ビジネスの世界では、何かを主張したり、何らかの意思決定を下す場合、それらの根拠は数字で示すように、と教えられるのではないでしょうか。一方で、都合よく巧みに数字を操ることで、事実 (ファクト) が歪められることも多々あります。数字自体は嘘をつきませんが、嘘つきが数字を利用するとどうなるでしょうか。
結論が先にあって、それに都合のいい数字を調達する、ということがクセになってしまうと、いつしか自分に都合のいい数字やデータしかみえなくなるものです。多くの人は統計リテラシーが身についていないことが多いため、そのように数字を利用した論理展開に寄り切られてしまうことも少なくありません。
少し前になりますが、写真週刊誌『FLASH』(2014年11月4日号) にセンセーショナルな記事が掲載されました。以下のような、子宮頸がん検診を否定するメッセージです。
「若い人で見つかっているのは、ほとんどがたいしたことのない上皮内がん」
「病院は、金儲けのためなら、平気で患者の子宮を奪いとる」
発言者は、以前より問題にしている近藤誠氏です。そして、彼は産婦人科医師のことを「子宮狩り族」とまで呼び、悲しいかな、これを真似する者まで現れる始末。
世界中どこを見渡しても、医師としてこのような倫理的配慮を欠いた危険なメッセージを平気で公にできる者は他にいないでしょう。
このような恐ろしい表現を持ち出して、リスクを誇大に強調することで、子宮頸がん検診を全否定してしまうイデオロギッシュな集団の言動をみると、心底嘆かわしくなります。このような手法は昨今の政治や社会問題を議論する場面においても同様にみられるのではないでしょうか。
さて、その近藤氏が監修を務める漫画『医者を見たら死神と思え』(小学館 ビッグコミック 2015年11月10日号 連載第23回) には以下のようなシーンがあります。
このグラフは、『がん治療の95%は間違い』(幻冬舎新書)でも繰り返し引用され、過去25年間で子宮頸がん罹患率が7倍も増えているのに死亡率は変わっていない、だから検診は無意味で放置がよいと強調しています。
しかし、このグラフはがんが見つかった女性が放置された結果データではありません。産婦人科医師たちが治療介入して得られたものです。したがって、放置が良いと主張されたいのであれば、放置したデータを示したうえで比較議論すべきです。
子宮頸がん検診不要という論理展開についても、このグラフの中では検診の受診率がわずか20〜30%前後に過ぎず、このデータだけを見て検診の是非を問う議論はナンセンスでしょう。ちなみに、以下のグラフは80%を越える検診受診率によって子宮頸がん検診の有効性が示された英国のデータです。
英国は、1988年に国策として検診を広く全体に普及させたことで、死亡リスクと直接関係のある浸潤がんの罹患率を下げることに成功しています。ちなみに、もし検診推奨を怠り、国民を '放置' させた場合、子宮頸がんによる死亡者数が確実に増えるだろう、ということもしっかり検討されているのです。
近藤氏が前のグラフで過去と比較して7倍も増えた子宮頸がんとは、「上皮内がん+浸潤がん」の足し算になります。以下、年齢階級別の子宮頸がん罹患率 (2011年) を上皮内がんと浸潤がんに分けて示します。
直接死亡リスクに繋がらない上皮内がんを多く含んだ罹患率と死亡率を、30〜34歳のみを対象にして、同じ時点で比較することにどれほどの意味があるのでしょうか。30〜34歳に相当する女性が上皮内がんと診断され、適切な治療を受けずに10〜30年放置されることで浸潤がんになるリスクまでも加味された、時系列の議論が必要なはずです。
ちなみに、子宮頸がんの自然史について、上皮内がん (高度異形成含む) が適切な治療を受けないで30年以上放置されると、'30~40%' が浸潤がんに移行するという観察データ報告があります (Lancet 2004; 364: 249-56, Lancet Oncol 2008; 9: 425–34)。
上皮内がんが見つかった時に、通常推奨されている円錐切除 (子宮頸部を円錐状に切除すること) について、 近藤氏のベストセラー著書『がん放置療法のすすめ -患者150人の証言』(文春新書) の中に、円錐切除で不妊症になる可能性は「極めて高い」と例のごとく数字を示さないで言い切っています。果たしてそれは本当なのでしょうか。
英国の医学雑誌「BMJ (British Medical Journal) 」よりレビュー論文が報告されています。それによると、円錐切除による不妊リスクは1.29倍、妊娠後の総流産リスクは1.04倍と若干高まるものの、統計学的には未治療と変わらないという結果でした (BMJ. 2014.28;349:g6192.)。
近藤氏は根拠を示さないで「妊娠・出産を望むなら円錐切除は避けよう」と声を上げていますが、長期的にみると放置することのほうが極めて高い '生命リスク' を背負うことになります。
良識ある産婦人科医師ならば、近年増えている若い女性の子宮頸がんに対する妊孕 (にんよう) 性リスクの問題についてはしっかり考えているはずです。治療の際には十分なインフォームド・コンセントもしっかり行き届いていることでしょう。
一般的に、上皮内がんから転じた浸潤がんのすべてが死亡リスクに繋がるわけではありませんが、最近メディアで大々的に報じられた全がん協の治療成績をみると、ステージⅡ以降で発見される浸潤がんは、進行度に従って明らかに10年生存率が落ちていくことがわかります。
そもそも、30〜34歳というわずか5年幅だけの年齢層データを切り取ってきて、子宮頸がん検診は無意味、と一般化する論調は乱暴です。妊孕 (にんよう) 性リスクという視点から、若年女性に注目して議論したいのであれば、偏らずにもう少し年齢幅を広げるべきでしょう。以下、20〜44歳までのデータを抽出してみると 、15年前よりも、明らかに若い女性の浸潤がん罹患数が増えています。
'マザーキラー' と称されるこの病気の死亡率を減らすためには一体どうしたらいいのか?という問いに対して、①科学的根拠に基づく子宮頸がん検診の受診率を欧米並みにアップすること、②さらに上流レベルでがん予防を目指すために、HPV (ヒトパピローマウィルス) ワクチン接種の推奨、という解決策が検討されるのは当然のことです。しかし②については、因果関係も定かでないリスクを誇大に煽り、観念のみでHPVワクチンを悪と裁く動きもあるわけです。その問題についてはここでは割愛させていただきますが、代わりに医師・ジャーナリストでもある村中璃子氏による以下のまっとうな記事をご参照ください。
・あの激しいけいれんは本当に子宮頸がんワクチンの副反応なのか 日本発「薬害騒動」の真相(前篇) WEDGE Infinity(ウェッジ)
・子宮頸がんワクチン薬害説にサイエンスはあるか 日本発「薬害騒動」の真相(中篇) WEDGE Infinity(ウェッジ)
・子宮頸がんワクチンのせいだと苦しむ少女たちをどう救うのか 日本発「薬害騒動」の真相(後篇) WEDGE Infinity(ウェッジ)
・「エビデンス弱い」と厚労省を一蹴したWHOの子宮頸がんワクチン安全声明 WEDGE Infinity(ウェッジ)
個人的には、これまで出版メディアを介して子宮頸がん検診の重要性を繰り返し唱えてきたつもりです。なぜならば、子宮頸がんの場合には、上述してきたような検診の有効性を示すしっかりとした科学的根拠があるからです。
その有効性を歪めようとする近藤氏は、「子宮狩り族」と呼ぶにもかかわらず、日本の産婦人科医師たちが現場で適切な治療を施すことで得られた蓄積データを都合よく利用したり、欧米のがん医療レベルの方が日本より良しとするのに、検診受診率70~80%以上の先進諸国が根拠としているエビデンスには見向きもしようとしない。自分にとって都合のよい数字さえ調達できれば、結局はなんでもよいということなんでしょう。
私は、決してがん検診原理主義者ではありません。他のがん腫においては、過剰診断や過剰治療というリスク問題は無視のできない重要な課題です。世間を見渡すと、医師や診断レベルの質が担保されていなくても、検査の数だけをこなせばよいとする金儲け至上の行き過ぎた検診ビジネスも数多くみかけます。漫然とPSA (prostate-specific antigen=前立腺特異抗原) を測定しているだけの開業医も少なくありません。また、リスクの低い若年の女性すべてにマンモグラフィが必要だとも思いません。
私は産婦人科医や統計家ではないので、上述してきたことが、ひょっとしたら専門的な解釈と食い違うこともあるかもしれません。だからこそ、産婦人科学会や行政の方々が、今よりもさらに声を大きく上げていただき、一体何が正しいのかわからない人たちへのリテラシー教育に、もっともっと積極的になっていただきたいと思うわけです。
冒頭で述べたように、数字を利用する嘘つきに対して「その数字って本当なの?」「その解釈で大丈夫なの?」そう批判的にみれる健全な賢さを、ひとりひとりが身につけて欲しいなと思います。