対案なら出せるけど
復古的な改憲を望む人たちは望まない人たちに「対案を出せ」と軽々しく言うのですが、対案を出したら真面目に検討する気があるのでしょうか。
他の先進諸国の憲法に備わっていて日本国憲法に備わっていないものというのは確かにいくつかあります。
例えば、日本国憲法は、直接民主主義的な手法を徹底的に排除しています。しかし、それは、とりわけ政権選択の主たるポイントとはなりにくい政策に関して、国民の希望に添わない決定がなされる危険性を生み出すこととなります。したがって、例えば、衆議院または参議院において10分の1以上の議員が要請するときは、特定の法案について、各議員における議決に加えて、国民投票において有効投票数の過半数の賛成を必要とするような改正を行うということは1つ考えられます。
また、日本国憲法の解釈としては、裁判所は、具体的な事件の解決に必要な限度においてのみ違憲立法審査権を行使できるとするのが多数説です。しかし、このように、具体的な事件の解決と離れて法令の合憲性を審査する司法機関が存在しないというのは、今日一般的ではありません。したがって、裁判所に、抽象的な違憲立法審査権を与える改正というのも考えられなくはありません。
また、国際社会は、人種や民族等に着目した差別や憎悪の煽動を取り締まるという方向に向かっています。しかし、日本国憲法は、表現の自由を広く保障しているため、人種や民族等に着目した差別や憎悪の煽動について罰則規定を制定することに踏み切れていません。したがって、人種や民族等に着目した差別や憎悪の煽動を、表現の自由の保障の対象から明文で除外するという憲法改正も有りえます。
また、経済のグローバル化に伴い、日本国内には様々な国や地域の人々が定住するようになり、その一部は日本国籍を取得するようになっています。このように、日本社会もまた否応なく多民族国家という様相を色濃く帯びるようになっていくわけですから、特定の民族の伝統や風習、習俗等を、日本国としての伝統や風習、習俗等として公権力が押しつけることを明文で禁止しておくというのは1つの考えだと思います。
また、過去の最高裁判例で規制が合憲とされている政治活動(例えば、公務員による政治活動や、戸別訪問等の手法を用いた政治活動等)について、これを制約できないものとする方向での憲法改正というのは十分に考えられます。これらの政治活動が制限されていない立法例は諸外国に多くあり、さしたる弊害を生んでいないからです。
このように対案を出せといわれれば出せなくはないのですが、とにかく憲法を改正したいという人たちがこれらの対案に乗ってくる可能性は乏しく、従って発議にいたる可能性はほぼないので、空しいだけなのです。
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