SYNAPSEとSYNODOSのコラボ連載、今回が最終回です。前回は、「つながり」をテーマにしたイベントレポートでした。 広告、アートと町づくり、アートとテレビメディアなど、様々な分野で異なる文化同士をつなげ、新しい価値を創造しようとしている人々と議論を深めました。
しかし、こういった人々がいろいろなところで、ある意味、突出した存在として活躍しているにもかかわらず、日本や大学、地域などのコミュニティ全体としては、未だ浮上感が見られないのはなぜか。そんな疑問も同時に浮かびました。
今回は、「コミュニティ全体をアップデートすること」をテーマに、デザイナー集団であるNOSIGNERの代表、太刀川瑛弼さんにインタビューをしました。デザイナーとしての活躍だけでなく、行政関係のお仕事もされており、2014年8月に発行された『クールジャパン提言』(PDF)では、デザインおよびコンセプトディレクターを担当されました。また、太刀川さんは我々SYNAPSEが発行した2冊のフリーペーパーのアートディレクターもしてくださっています。
多くの人が問題意識を共有できるような提言を作成するにいたったお話や、ここ数年の日本における社会活動、コミュニティ全体としての成功やその持続可能性、それらを実現するために必要な多様性についてなど、横浜のNOSIGNER Office でお話を伺いました。
菅野 以前、我々が行ったカンファレンス(前回の記事参照)の冒頭で、実は「クールジャパン提言」の序文を使わせてもらったんです。というのも、序文の中の単語をいろいろ置き替えると、どの分野にも共通する問題提起になりうると思ったからです。
同じような構造の問題がいろんな分野で起きているのだと思います。実際に、他の領域に問題意識やアイディアなどを伝えること、多様性や越境性など、そういうことの重要性がいろんなところで叫ばれている。僕らがSYNAPSEを始めたのも、そうした問題意識を共有していたからでした。
太刀川 今から5年くらい前、例えば学術では、専門領域間に壁があり、どんどん細分化されて狭くなっていく中で、社会と学術の間に距離が出来ていました。同時に、学術内でも各領域間の繋がりが希薄になって、「別のところにもいろいろ発見があるのかもしれないけど……どうしたものか」みたいな雰囲気があった。洞窟の中にいるような感じですね。
研究のみならず、社会も細分化していったので、お互い交差することがなくなってしまった。そのことに危機感を覚えて、SYNAPSEを始めました。
菅野 「クールジャパン提言」は越境性を意識した提言になっていました。省庁の縦割りの弊害のように、国の観点から考えても「越境」の必要性を感じられるものがあります。
太刀川 なぜ「クールジャパン提言」を作ったかというと、クールジャパンも神社の人、アニメの人、アイドルの人みたいに、内部で専門分化していたからなんです。クリエイティブってツールに過ぎないんだけど、自分の領域以外のツールは、何のために使うのかがわからない。
まずはお互いのツールを理解したら、「一緒に面白いことをやろう」という機運が高まるんじゃないか、と思ったんですね。領域を超えたクリエイティブインダストリーを作ろう、みたいな感じです。
専門分化している状態が課題になるというのは、もう、どこの分野でも起きてることなんです。それを超えるためのやり方にはどうも「型」がある。それが分かっていれば、意外と課題を乗り越えることができる。
菅野 なるほど。どんな型なのでしょうか?
太刀川 実はたったの4つしかないと思うんです。一つは、多様性を許す。その上で、話す人数を減らすことです。同時に話せる人は少ない。多様性が担保された状態だけではなく、互いに「話を聞いた」-「聞いてもらった」という交換が起きるような環境にすることが重要だと思うんです。
菅野 だから提言を作る際も、多彩な職種の人たちで、しかし少人数のワークショップを繰り返し行ったんですね。
太刀川 そうですね。参加者がちゃんと一回、相手の話を全部受け取ることが必要なんです。しかし、このインターネット時代では、人は3秒しか話を聞いてくれなかったりする。でも、3秒で伝えられることなんてほとんどない。だから一瞬で笑えるものだけがバイラルメディアで広がるし、選挙ではただ名前を連呼することになってしまう。でも、大事なことは、その人が言ったことが吸収されることです。だから、そのための間口をつくることが必要だと思うんです。
領域横断のための型に話を戻すと、衆愚ではなく集合知にするには、相手と意見や主張をぶつからせるときに、必ずお互いが共感できるポイントまで磨かなきゃいけません。最大公約数を見つける、と言ってもいい。きっと、誰だって何パーセントかは正しいことを言っているんですよ。
だったらまずは相手の「正しいこと」をきちんと受け止めないといけない。だからこそ話し合うときは少人数である必要があるのだと思います。きちんと受け止め合うために。
その上で、いろいろ意見をぶつけた結果、「共通の祈り」みたいなものが見つかるんです。何かお店を作ろうと思って、内装、建築、広告、いろんなプロをあつめても、そもそも「どういうお店にしたいか」、その共通理解ができていなければなにもできないわけですね。
まず「共通のミッションを明確にするための型」が、「多様性」と「少人数」というわけです。また、その公約数を見出すためにも、まだ序盤では、誰が良い意見を言うかわからないので、開かれていること、オープンネスを確保することが大事です。
まとめると、(1)多様性、(2)スモールチーム、(3)共通のミッション、(4)開かれていること、となりますが、なぜこれらが必要なのかというと、誰かと一緒にものを作る場合に、しかし、当事者がそれぞれ「私が作っている」という感覚も同時に持つために必須のことだからなんですね。お気付きのように、最近では当たり前のように言われていることなんですけど。
菅野 なるほど。プロジェクトに関わる一人一人が「参加している」という感覚を持ち、集合知を作り上げていくためのメソッドですね。
グリッドの檻からの解放、クリエイティブの民主化
太刀川 こういう流れがここ数年で明確になってきたとは思うんだけど、ムーブメントになるためには条件があります。さっき言った共通の祈りのようなものを明確に、もしくはシンプルに設定する必要があると思うんです。
例えばモダニズムのデザインは、いろんな業種の人があつまって、産業革命からの工場生産に見合うように、作り勝手が良いことや、使い勝手が良いことを求めた結果、シンプルになっていった。Less is more ですね。まだ、方法論として答えが見つかっているわけではないけど、まず、多様性があって、でもそこから共通の祈りを見つけていくと、シンプルになる。
菅野 様々な仕事でハンコを押すことや書類を作ることばかりが増えて、実質的な生産以外の所に時間が取られ「そういうものなんだ」と言い聞かせているうちに、シンプルだったものが、どんどん複雑になっていく。本当はもっと簡単なことのはずなのに、煩雑で余計な作業に諦観、あるいは鈍感になっている。
クールジャパン提言ではそうした問題を解決しようとしているように感じました。行政資料のあり方の見直しであれば、フォーマットを変えて、インフォグラフィックを増やして、見やすくわかりやすくしようとか、「調達の仕方の改革をしよう」とか。そういったものが盛り込まれていて、複雑化してしまった様々なものを、フォーマットの面からも、機能的に、シンプルにしていこうという意図が感じられました。
塚田 組織での意思決定は複雑で時間がかかる、という弊害がありますよね。でも、そうした時に、領域横断的に動いて他の領域のトップの人にいきなりアクセスして、通常の過程をすっ飛ばして何かを始めるっていう例が意外と最近多い気がしています。
いきなりトップに話を持ちかけるって、同じ領域だとなかなか出来ないわけですが、他領域からだと意外としやすくて、すんなりやってしまえることもある。そういう道もある気がするんです(参照:前回の記事の西村氏談)。
菅野 例えば、研究の世界で言えば、学会などで他の研究室の先生と直接話せる機会があります。分野が違うと思わぬアイデアが生まれ、共同研究が始まることもあります。大学同士とか研究機関同士だと共同研究に至るまでの過程が多くなってしまいますが、研究室を主宰しているトップと話すと、案外話が進むことがあるかも。
太刀川 うん。縦割りは本当にどこにでもあって、さっき言ったようにクールジャパンでも問題になりました。ヒエラルキーという縦の縛りも、立場や階級みたいな横の縛りもある。他の領域の人とでも、同じようなポジションの人としか話さないという、横にも縦にも縛りがある感じがあります。僕らは、縦にも横にも、格子状の箱に閉じ込められているみたいですね。ここを、超えるための提言にしたかった。
ワークショップには、各領域の偉い人たちも呼んだんですけど、領域問わず、みんな意見が似ていましたよ。例えば、クールジャパンでは英語特区を提唱して、それが軽く炎上したけど、お呼びした方々はみんな「それくらい、当然だよね」ということが分かっている。英語が話せないと自分の意見を伝えられませんからね。そうすると、色んなことが変わらない原因はトップが悪いから、というばかりではないわけです。
領域の多様性の他に、立場の多様性というのも必要で、互いのリスペクトも必要。それぞれの立場で大変なこともあるんだけど、立場が偉さになっちゃってるんで、分断しちゃうんでしょうね。外人がファーストネームで呼び合うの、立場を気にしないための生存戦略なんじゃないかと思うんですよ(笑)。
でも、最近は徐々に変わってきましたよね。繰り返しですが、共通の祈りの設定、領域という縦の縛りと立場という横の縛りからなるグリットの檻からの解放・流動性の向上、みんなの中にあるクリエイティビティを萌芽させる、これを、クールジャパンでやりたかった。クールジャパン政策では、市場で消費されるコンテンツを作るだけじゃなくて、ファンダメンタルな変化を起こしたかったんです。
菅野 いうなれば、クリエイティブがもっている社会機能を民主化する、そんな感じですね。
太刀川 そうですね。その結果、ああいう提言になりました。
その後の影響――ソーシャルインパクトについて
塚田 ちなみに、提言を作ったあと、その後は何か動きがあるんです?
太刀川 あの後、内閣改造があったので、いろいろ変わっちゃいましたが、行政の中にいる人やクリエイターの方々からはとても評判が良くて、いろんな省庁・部門にいる人でイノベーションに興味を持っている人がたくさん読んでくれました。クールジャパンはもともと経産省からはじまったので、他の省庁の事業まで広がるには時間がかかるし障壁も多いんですが、内容以外に、モノゴトの進め方のフォーマットが残ったりしています。
京都市では、ソーシャルイノベーションセンターができて、僕がそこでクリエイティブディレクターをやることになりました。実は、ああいう方向での提言に共感してくれる人がいることは分かっていたんです。現状を打破してイノベーションを起こしたい人の課題は似ていますから。その共感を社会に一石も二石も投じる、暖簾も何度も押すという気持ちでやったら、やっぱり、日本中から反響があったし、じわじわ効果も見えています。
ただ、いろんな活動は萌芽しているんだけど、今はまだ、ソーシャルインパクトが低すぎるんですね。一発ではものごと変わらないので、みんなで10発くらいいれましょう、そんな気持ちですし、そういう人は、集まりつつあると思います。
塚田 そうですね。わたしも、みんな「わかってる」と思います。でも「わかってる」だけで終わらせないためにも、ソーシャルインパンクトが大事ですね。
菅野 僕が最近感じるのは、多くの人が「変わったら良いな」と思っているわけではなくて、「別に変わらなくて良いんで……。むしろ変わって欲しくないです」っていう人が思っている以上に多いのではないか、ということです。依然としてこういう雰囲気が存在するので、そこを払拭するためにもソーシャルインパクトというものは、非常に重要な位置を占めてくるように思います。
太刀川 本当は、社会は縦割りにはできてなくて、お互い影響を及ぼし合っているんです。こういうことをたくさん言っていけば、僕がやるかやらないかは別にして、どこかで盛り上がっていくはずだし、そういうアイデアの流動性みたいなのが段々向上して、クリエイティブで対話的なものが増えていくと思います。「これ、最初に誰が言ったんだっけ?」そんな状況で良いと思うんです。