覚醒剤を所持していた容疑で逮捕された元プロ野球選手の清原和博容疑者について、同級生でチームメートだった桑田真澄氏が、心境を語った。2月4日、巨人の宮崎キャンプを取材に訪れ、報道陣の取材に応じた。
桑田氏はPL学園のエースとして、清原容疑者との「KKコンビ」が甲子園を沸かせた。巨人でも一緒にプレーした。
サンスポによると、最後に話したのは約3年前。それまではよからぬ噂を聞く度に、連絡を入れて、確認する間柄だったという。
「僕も小姑のように、こういうことはよくないとか、こうしなきゃいけないと引退後も言い続けてきたので。それを言えるのが僕だと思うんですね。その小言に嫌気がさしたんでしょうね。『一切関わらないでくれ』ということを言われて、3年ぐらいになりますかね」
(桑田氏が激白14分「僕も小姑のように言い続け…『一切関わらないでくれ』と言われた」 - 野球 - SANSPO.COM(サンスポ)より 2016/02/04 12:18)
疎遠な関係になったというが、同級生として現状を案じ、再起を願うコメントも残した。
「彼の性格は1番知っているので、今、どういうふうに時間を過ごしているか分かる。今言えるのは、野球のピンチに代打とリリーフはいるけど、自分の人生に代打とリリーフはいない。現役時代に数々のホームランを打ってきた。自分の人生でもきれいな放物線を、逆転満塁ホームランを打ってほしい」
(桑田氏、清原容疑者から縁切られたが逆転満塁弾願う - 野球 : 日刊スポーツより 2016/02/04 12:16)
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ドラフト1位で巨人、のちピッツバーグ・パイレーツ
=1984年
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ドラフト1位で西武、のち巨人、オリックス
=1983年8月17日
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決勝で宇部商(山口)を下した=1985年8月21日
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のちリッカーミシンを経てドラフト1位で阪神
=1980年
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のち本田技研を経て、ドラフト1位でヤクルト
=1980年
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ドラフト1位でロッテ、のち中日
=1980年8月
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ドラフト1位で近鉄、のち中日、西武
=1981年8月
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ドラフト1位で巨人
=1981年
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ドラフト3位で巨人
=1981年
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ドラフト6位で西武、のち福岡ダイエー、巨人、横浜、埼玉西武
=1981年8月
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ドラフト4位で巨人、のち中日
=1981年8月11日
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ドラフト1位で西武、のちヤクルト
=1981年8月
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ドラフト1位で南海、のち横浜大洋
=1982年8月
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ドラフト1位でヤクルト、のち横浜
=1982年
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ドラフト1位で阪急、のち中日、ヤクルトなど
=1982年8月
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ドラフト1位で中日、のち日本ハム
=1983年
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ドラフト2位で近鉄。のち、ヤクルト、ニューヨーク・メッツなどを経てオリックス、千葉ロッテ
=1983年8月
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ドラフト3位で阪神、のち千葉ロッテ
=1983年
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ドラフト1位で巨人
=1983年4月5日
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東北福祉大からドラフト1位で横浜大洋。のちシアトル・マリナーズ、横浜
=1985年3月
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NTT四国を経て、ドラフト1位で西武。のち、福岡ダイエー、西武
=1985年
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亜細亜大からドラフト3位でヤクルト。のち、シカゴ・ホワイトソックス などを経て、東京ヤクルト
熊本工を破り、3回戦進出した広島工ナイン(高津臣吾投手は左から2人目)=1986年8月15日
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立命館大からドラフト1位でオリックス。のち、アナハイム・エンゼルス、シアトル・マリナーズ
=1986年8月
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ドラフト4位でヤクルト、のち東北楽天
=1986年8月14日
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ドラフト1位で中日
=1987年3月27日
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同志社大を経て、ドラフト2位で日本ハム、のち阪神
=1987年8月21日
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ドラフト6位で日本ハム、のち福岡ソフトバンク
=1987年8月
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ドラフト1位でロッテ。のち、ニューヨーク・ヤンキースなどを経て阪神
=1987年8月
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神崎工高(兵庫)に編入し、阪神に練習生を経てドラフト1位で入団
=1987年
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ドラフト1位でヤクルト、のち中日
=1988年
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ドラフト1位で巨人
=1987年
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ドラフト1位で横浜大洋、のち中日
写真:1回裏江の川1死三塁、本塁に突入する谷繁元信(中央)。右は福岡第一の土屋浩二捕手(甲子園)=1988年8月20日
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早大中退などを経て、ドラフト1位で福岡ダイエー
=1989年8月
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福岡ダイエーからドラフト1位指名を受けるがこれを拒否、翌年巨人にドラフト1位で入団
=1989年8月
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