高齢者の隠れた欲望~少子高齢化社会の問題はあとまわし
■死と年金と医療費
少子高齢化社会の難題を考えるとき、その言葉に「化」がついているせいで、我々はついついこの問題は今ではなくいつかくる将来の話だと思いがちだが、実はその問題はもう来ている。
それは、今年夏の参院選シュミレーション(日本一の選挙データベースが導き出した2016年参議院選挙 獲得議席予想 | 選挙ドットコム編集部)の一覧表にもある通り、与党圧勝予想の根拠のひとつでもある。
65才以上は「(自分自身は)戦争には遠い」世代でもあるため、一般的には戦争関連法案も受け入れやすい。自分が戦争には行かないとわかっている限り、あるいは自分のもっとも身近な存在(子どもや夫)が戦争に行かない年齢であることがはっきりしている場合、それは他人事となる。
それはつまり「現役からも遠い」ということであり、戦争へのレアな参加云々を問うことも含めて、たとえばいま現在のレアな問題である「学校改革」や「就労支援」については他人事となってしまう。
孫のことを考えると、戦争や学校や就労構造のことも真面目に考える必要はある。そのことは十分理解していても、ホンネでは、自分の死(健康)と、年金と、医療費をか考えてしまう。
■18-19才
それはつまりは、誰が悪いわけでもなく、65才も過ぎて統計的にはあと25年は生きることができるとわかってはいても、もう今さら学校や非正規雇用の問題や戦争のことなどは考える必要はない、ということだ。
「死」が迫っている人には、そうした社会的な問題は考える必要性がない。
それが、引退世代の関心事だ。就労構造(正社員解体等)や学校改革はお任せ、憲法もまあ日本が強いにこしたことはなく、とにかく、年金支給年齢(65才)を上げず額(月額満額で6万7千円ほど)は下げないでほしい。
ちなみに、「18-19才」は2学年合わせても75万人程度しか投票に行かないと予測されている(日本一の選挙データベースが導き出した2016年参議院選挙 獲得議席予想 | 選挙ドットコム編集部)。2学年でも75万人では、1学年250万人以上の団塊の世代が何人投票に行くかはわからないが(高齢になるほど投票率は上がる)、大勢には関係ない。
これはつまりは、10代の2学年75万人の信任を得ていることも含めて、そこに高齢者向けの政策が含まれていたしても、国民の信任を得たということになる。
■「高齢者の隠れた欲望」
これは、選挙に行き且つ人口の多い65才以上向けの政策がさらに打ち出せるということでもある。
65才以上は「(自分自身は)戦争には遠い」世代でもあるため、一般的には戦争関連法案も受け入れやすい。また「現役からも遠い」世代のため、一般的には、学校改革や就労支援もおざなりのものでも許容する。
この意図はつまりは、「選挙動機に関しては、自分の「死」(健康)と、年金と、医療費なのが、引退世代の関心事だということだ。
言い換えると、就労構造(正社員解体等)や学校改革はお任せ、憲法もまあ日本が強いにこしたことはなく、とにかく、年金支給年齢を上げず額は下げないでほしい、ということなのだ。
パーソナルな欲望が中心になる、これが高齢社会のキモでもある。子ども・若者の学校や就労よりも、自分の健康と年金が重要なんですね。
当然、高齢者1人ひとりは悪くなく、そんな人々が中心になった社会、それが今の日本(少子高齢化社会の問題とは、「高齢化している今現在」に最大の歪みが現れる社会です)だ。
そして、こうした、「高齢者の隠れた欲望」が支配する社会、それが少子高齢化社会の姿だということ。
表面的には子どもだ若者だと言いながらも、ホンネでは自分たちの健康や年金や医療費や死のあり方に焦点化してしまう世界、それが「少子高齢化社会」の真の姿ではないだろうか。
■少子高齢化社会はいま突入している
加えてこれが一番重要なのだが、少子高齢化社会の問題とは、数十年後に訪れる高齢化した社会の問題ではなく、そのように「高齢化していき人口構造が変化していくいま過程」そのものが問題だということだ。
今現在にこれが起きる、今現在にこうした問題が起こっている、それに対してどう捉えればいいのかを考え仕組みづくりに苦労し続けるあり方こそが「少子高齢化社会」だ。
「化」の問題は将来ではなく、いま現在の問題だということだ。
その意味では、いまは、少子高齢化社会のまっただ中にある状況であり、他人事のようにそれを語るときはすでに過ぎた。★