NEXT 未来のために「大人になりたかった少年 作家・野坂昭如の“戦争”」 2016.02.04


今から5年前の冬。
ある人物を雑誌で特集するために日本を代表するアーティストが集まっていました。
威張って下さい。
はい。
カメラに収まるのは去年12月に亡くなった野坂昭如。
戦後の日本を駆け抜けた作家です。
そうです。
2003年に脳梗塞で倒れてからも最後まで作品を発表し続けた野坂さん。
歌手CMタレントそして政治家などさまざまな顔を持つ作家でした。
野坂さんが終生背負い続けていたもの。
それは昭和20年14歳の夏に味わった過酷な体験でした。
小説「火垂るの墓」。
神戸大空襲のあと焼け跡をさまよう兄と妹の命尽きるまでを描いた野坂さんの代表作です。
14歳の野坂さんと幼い妹の実体験を基に書かれました。
晩年に野坂さんがつづった言葉です。
作家野坂昭如。
昭和20年の夏焼け跡に立ち尽くしていた少年はなぜ大人になる事を願ったのでしょうか。
1月。
50年来の友人が野坂昭如さんをモチーフにした作品に取り組んでいました。
ア〜エ〜イエイ。
世界的なイラストレーター黒田征太郎さんです。
数多くの作品を共同で発表してきた黒田さんは今改めて野坂昭如という存在の大きさを感じています。
2人の出会いは1969年野坂さんの連載小説に黒田さんが挿絵を描いた事がきっかけでした。
黒田さんにとって野坂さんはどのように生きるべきかを指し示してくれる兄のような存在でした。
野坂さんはいつも次回作への意欲を語っていたといいます。
最後まで書く事に命を燃やした野坂さん。
何が駆り立てていたのか。
野坂さんは昭和5年1930年に鎌倉で生まれました。
しかし生後間もなく母親を亡くし神戸に養子に出されます。
貿易会社に勤めていた養父を敬愛していた野坂さん。
戦争末期中学生になった頃には妹も家族に加わりました。
どうも。
お忙しいところすいません。
いえいえどうも。
一緒に学徒動員に駆り出されるなど戦時中の厳しい時代を共に過ごしました。
成績がよくクラスの級長だった野坂さんは常に余裕を漂わせた少年だったといいます。
しかし野坂さんの人生は一変します。
3,000人以上が亡くなったといわれています。
大空襲で家を焼かれ養父を亡くした野坂さん。
養母も身動きができないほどの大やけどを負いました。
14歳の野坂さんは1歳4か月の妹と2人焼け跡をさまよう事になったのです。
うちおばちゃんに聞いてん。
お母ちゃんも死にはってお墓の中にいてるねんて。
野坂さんの小説が原作の映画「火垂るの墓」。
神戸大空襲のあと野坂さんと妹が強いられた過酷な経験が基になっています。
もうちょっとで飲み込んでしまうとこやった。
栄養失調で命を落とす主人公の妹節子。
野坂さんの幼い妹も餓死しました。
作家野坂昭如の原点ともいえる「火垂るの墓」。
野坂さんはこの小説で1968年直木賞を受賞します。
しかし野坂さんは何かに突き動かされるように文壇の枠を逸脱していきます。
・「この世はもうじきおしまいだ」・「あの町この町鐘がなる」直木賞受賞の翌年には歌手としてレコードデビュー。
・「ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか」・「ニ・ニ・ニーチェかサルトルか」更にキザな衣装でテレビCMに出演するなど人々を挑発し続けました。
元編集者の水口義朗さんです。
野坂さんのデビュー作から代表作のほとんどを手がけました。
2人の交流は生涯続きました。
(水口)これ野坂さんこれね。
名だたる作家とつきあってきた水口さんにとっても野坂さんの放つエネルギーは強烈でした。
決められたルールや社会の常識に縛られる事をかたくなに拒んだという野坂さん。
その行動や小説に見られる人間観には家族や戦争を巡る幼少期の体験が投影されていると水口さんは考えています。
水口さんが手がけた野坂さんの代表作の一つ「エロ事師たち」。
人間の持ついかがわしさを描き出した傑作です。
はっきり言うと。
自らの戦争体験と真摯に向き合う一方で既成の価値観に抵抗し続けた作家野坂昭如。
晩年の作品にずっと抱えていた苦悩が吐露されていました。
なぜ野坂さんはあえて「大人になりたかった」と語ったのか。
水口さんはある悲壮な告白を聞いた事がありました。
だから本当にね…イラストレーターの黒田征太郎さんも野坂さんから神戸での少年時代の体験を聞いた事がありました。
野坂さんは多分この辺りにおられたと思うんですよ。
この街で家族と過ごした14歳までの日々。
黒田さんは大人になりたいと願った野坂さんの原風景だったのではと考えています。
すごいこう…戦争を遂行しあの夏幼い妹の命を奪った大人たち。
その一方で戦後の繁栄を死者たちの無念をよそに享受する自分も含めた大人たち。
野坂さんは苦しみながら大人のあるべき姿を模索していたのではないか。
1980年代野坂さんは国政に進出し世間を驚かせます。
更に当時絶大な力を誇っていた田中角栄元総理に選挙戦を挑みました。
今回見つかった野坂さんの選挙演説の草稿です。
「今日はこちらは、野坂昭如です。
子供たちのためにまともな世の中を、そして二度と飢えた子供の顔をみたくない。
野坂野坂昭如です」。
(松田)とにかく非常に注目度の高い選挙でしたから。
野坂さんの選挙戦を取りしきった編集者の松田哲夫さんです。
勝てる見込みが薄いとされる中でも野坂さんは真剣に訴え続けたといいます。
子どもたちの未来に切実な思いを持ち続ける事。
それが野坂さんにとっての大人だったのではと松田さんは考えています。
14歳の少年が焼け跡に立ち尽くしていた日から50年以上がたった1990年代。
野坂さんは黒田征太郎さんと大きな作品に取り組みました。
野坂さんが書いた戦争にまつわる童話に黒田さんがイラストをつけた作品集。
童話を絵本にする事で改めて戦争の悲惨さを訴えたのです。
この時沖縄戦にまつわる童話の創作に初めて取り組んだ野坂さん。
沖縄での取材中黒田さんに手紙をしたためていました。
そこにはこれからも戦争と向き合い続けていくという覚悟が記されていました。
「出直します」。
デビュー以来時代と対峙し続けた野坂さん。
72歳の時に脳梗塞で倒れてからも作品を発表し続けます。
雑誌に掲載する作品について打ち合わせる野坂さんと黒田さんです。
テーマはその前の年に起きた原発事故について。
実際に現地を訪れた黒田さんが福島の現実を伝えました。
野坂さんは福島で見た光景について話す黒田さんの目をずっと見つめていました。
野坂さんと黒田さんが発表する予定にしていた本のゲラです。
原発をイメージしたイラストの横に「人間は使ってはいけない」という野坂さんの言葉が添えられていました。
野坂昭如さんが亡くなって間もなく2か月。
今野坂さんの思いに触れてきた一人一人がその遺志を引き継いでいこうとしています。
亡くなるその日まで雑誌の連載を続けた野坂さん。
最晩年に絞り出すように語った言葉を黒田さんは自らに刻み込んでいます。
こんにちは。
野坂さんが少年時代を過ごした…野坂昭如っていう人知ってる?
(一同)さあ…。
知らないよね。
知らないっすね。
ごめんごめん!「火垂るの墓」って知ってる?知ってます!「火垂るの墓」を書いた人!
(一同)お〜!野坂さんって人がね。
ありがとう!
(一同)うお〜!イエ〜イ!イエ〜イ!妹を失った昭和20年の夏大人になる事を誓った少年。
子どもたちの未来に思いをはせ続けた作家が最後の8月につづった言葉です。
2016/02/04(木) 00:10〜00:40
NHK総合1・神戸
NEXT 未来のために「大人になりたかった少年 作家・野坂昭如の“戦争”」[字]

去年12月、85歳で亡くなった野坂昭如さん。小説家の枠にとどまらない行動を支えたものは何だったのか。親交が深かった「友」の証言から野坂さんの生き様を見つめる。

詳細情報
番組内容
去年12月、85歳で亡くなった野坂昭如さん。「焼跡闇市派」を標ぼうし、小説「火垂るの墓」など数多くの作品をのこしました。作家の枠にとどまらず歌手・CMタレントなどとしても活躍した野坂さんを突き動かしていたものは何なのか。50年近く交流を続けてきたイラストレーターの黒田征太郎さんなど、野坂さんの「友」たちがその素顔を語った。亡くなるその日まで作品を世に問い続けた野坂さんの生き様を見つめる。
出演者
【語り】一柳亜矢子,【朗読】登坂淳一

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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