午後からは「観光」「健康医療産業」「最先端技術」といった6つのテーマに分かれ、2日間にわたって議論が展開される予定です。
(黒柳)40年前に『徹子の部屋』始まりました。
その時もこのお二人は現役で本当にお仕事をやってらした方なんですけど。
こちらラジオの巨人永六輔さん。
そしてこちらテレビの巨人大橋巨泉さんです。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
今日は色んな趣向がございますので皆さんお楽しみにということでお話伺います。
(拍手)本当に私が大好きな永六輔さんと大橋巨泉さんと…そして2人ともそんな最高のでき上がりじゃない状態なんですけど来てくださいまして私本当涙が出るぐらい嬉しいと思っています。
40周年ですって?40周年です。
おめでとうございます。
ありがとうございます。
おめでとう。
あのね…もう一人ここに渥美清がいてほしかったのね。
ああ…。
ああ…うん泣いちゃう。
渥美清大好きなんで…。
その清さんと浅草の芸人として出てた時にこれからはテレビもあるから名刺を出して…名刺を出してねそれでその名刺で名前を出して…。
作った名刺が出てきたの。
えっ…。
えー!渥美さんの?うん。
浅草時代の名刺?そう。
うわーすごい。
これは珍しいでしょう。
ああ…本当だ。
これは私見たことない。
これ渥美清さんの名刺。
会った頃の…初めて会った頃の渥美さんなんだ。
でもこの時もう座長もやってたって言ってたからね。
永さんはパーキンソン病…。
でもあれですよね永さんパーキンソン病でもはっきりパーキンソン病ってわかったから今お薬も随分できてるし…。
ラジオにお出になったけどもちゃんとお出になってできたんだしそれはよかったですよね。
よかったけどやっぱりあなたに会える巨泉に会える…。
今巨泉って言ってるけど巨泉に言わせると「巨泉って言ってくれるのはお前だけだ」って…。
もうねほとんどね…植木等さんも亡くなったしハナ肇も亡くなったし勝新も亡くなったし俺のこと「おい巨泉」って言うのもう今本当に永ちゃんしかいないんじゃないかな?そうですよね。
合計年齢今までこの番組40周年やって最高じゃない?まあ3×9=20…。
3×9じゃないよまだ。
3×8=24。
3×8=24…。
そうですよね。
まあそんなわけなんですけど。
それで巨泉さんはこの前来てくださった時にがんの手術をあそばしまして…。
それでそのあと腸閉塞になったんですって?そうなんですよ。
これはテレビをご覧の皆さんも気を付けたほうがいいのはものすごい昔の手術の痕でなんか食い物が詰まってなるんですってね。
僕の場合も10年前の胃がんの手術の時の腸に…何ていうのかしら?そこへ食べ物が絡んで詰まっちゃったんです。
そういうことでなる?そんなちょっとのことで?だからお医者様いわく子供で5つ6つの時に盲腸の手術をしてそれが20年30年経って腸閉塞になってもわかんないでしょ?子供は。
そうなの?わかりません。
ですからそういう症状をねなんか嘔吐したりものが下までちゃんといかなかったりっていうようなのがあったら一応疑ってみたほうがいいって言われました。
それでとにかく巨泉さんはありがたいことに私と永さんに呼ばれたら死んでも出るって…。
そうなんです。
すごいでしょ。
でもね永ちゃんが危ないなと思ってお医者様に止められそうになったから。
じゃあ俺も何とかしなきゃと思ったら「いや大丈夫。
俺も出る」って言って…。
そう。
土曜日の生放送の長い時間やってるのと月曜日の夕方の生とどっちがいいですか?夜のほうが楽。
楽でしょ。
うん。
パーキンソンっていうのはその日その日の調子によるから朝調子がいいと思うと駄目だったり。
だから夕方のほうが…。
いい…。
パーキンソンになってからは夕方のほうが声やなんかも出やすい?もう一人男がいた。
僕に…巨泉がね「仕事したほうがいい」「病院に行けよ」「医者に会えよ」っていうのを…教えたの。
その時に「ラジオはやめるなよ」「ラジオは機械が聞こえてれば聞こえてるんだから…永ちゃんの声が聞こえればそれでいいんだから」って言ったのが小沢昭一。
そう…。
小沢さんも亡くなったからね…寂しいからね。
寂しいね。
うん寂しい。
寂しいっていえば野坂昭如が…。
そうそう。
野坂さん亡くなったの寂しい。
俺が「病院に行け」って言ってなかなか言うことを聞かなかった双璧ですよ。
野坂昭如永六輔。
永ちゃんは行ったけど野坂さんは行く前に倒れちゃったもんね。
同じ頃みんな仕事を始めたわけじゃないですか。
だけどやっぱりこうなってみるとみんなどこかだんだん悪くなって…。
私も気を付けてますけど。
そんなはずはなかったじゃない。
もっとずっとみんないけるはずだったじゃない。
でもやっぱりこういう仕事っていうのはやっぱりどこか体に…なんかね。
あれだけ元気だった巨泉さんがね第一病気になるなんて思ってもいなかったもんね。
僕も思ってもみなかった…。
ねえ…。
でもなるんだね。
でもこれからなんか抗がん剤始めるんだって?それはね僕の場合もうがんの手術を3回してて放射線治療も3回してるわけです。
ということはもう放射線も手術もほぼできないわけ。
そうなの?それ以上放射線を当てるとかえってそれで体に悪くなっちゃう…。
残ってるのは抗がん剤だけなんだけど僕はお医者さんにだいぶ前から「抗がん剤で頭の毛がなくなったりもう戻したりご飯が食べられなかったりしてすごい副作用に苦しむぐらいなら死んだほうがいいからしないでください」って…。
頼んだ?頼んだ。
そしたら去年の暮れになって「今は巨泉さん抗がん剤も進歩して」…。
点滴やなんかで直接いくのはやっぱり副作用が強いけど飲む抗がん剤っていうのがあって。
へえー…。
これは毎日飲んで1週間休んでまた2週間飲んで1週間休んでみたいな。
で「副作用があったら直ちにやめますからそれならやりますか?」って言うから「いいですね。
なんで何もないのにやるの?」って言ったらやっぱりこれだけがんが今まで出てると予防的な意味での抗がん剤っていうのが今あるんですって。
なるほど。
でもあれですねお痩せになったりなんかしたけどお元気はお元気ね。
痩せたのはさっきの腸閉塞のおかげ。
そうね。
あれがつらいですよ。
だって…10年前の胃がんの前が80キロ。
今の…それは80キロあって手術して72キロになって万万歳だったの。
その72キロが…中咽頭がんの手術の前の体重…。
今50キロですよ。
そう…。
うん。
50キロでしょ。
病気でしょ。
で僕なんか巨泉に押されて病院に通ったんだけどもこの人ずっと態度が大きいんだよね。
フフフ…。
そりゃそうですよ。
出てやるっていうね。
「テレビ出てやる」って言う方ですから。
俺でも永ちゃんの番組に「出てやる」って言ったことないね。
お二人ともこういう日本の技術的なものをお好きだと思ったのでこれお菓子作っていただいたんです。
甘いものお好きでしょ?富山の「引網香月堂」さんというところのお菓子なんですけど。
向こうの菊とかそういうのの…なんて奇麗なんでしょうね。
花びらがね。
そう。
そして手前がパンダなんですけども「祝40年」って書いてくだすってすごい可愛い。
そうパンダなの。
今寝てるからちょっと皆さん…。
ちょっとごめんなさい。
ちょっとごめんなさい。
こういうふうにしてみますね。
おお…可愛いね。
これ眼鏡掛けてるの何?巨泉さん?そうじゃない?俺なんだって。
巨泉さんでしょ?これがね。
これ永さん?うん。
どうしてこんなぺたんこなんだろう?でもまあ可愛い。
あとでお土産にお持ち帰りいただきます。
ありがとうございます。
パンダっていえばパンダが日本に来る前に話題になった時に僕たまたまモスクワに…。
そう!いる時に「モスクワのパンダに会ってくれ」って言うんで…。
そう。
頼んだの。
モスクワのアンアンっていうのにねちょっとでもいいから会ってってね。
会ったの?違うの。
雪の中で永さんがね「アンアンアンアン」って捜したけどアンアンがいなかったんですって。
すごいがっかりしたっていう時ちょうど私ロンドン行ったんですよ。
そこにチチっていう女の子がいたところにアンアンが結婚しに来てたの。
えー!私は2匹見たのよ。
すごいラッキーと思ったら永さんが「もう動物園中駆け回ったけどパンダいなかった」って…。
寒い中大変で…動物園歩きながら俺はチャックに惚れてるんだなと思った。
「チャックに惚れてるんだなと思った」?嬉しいと思いますよそういうのってね。
これだけ長い付き合いですよ。
僕は…本当にNHKのを見てて「リリック・チャック」っていうコーナーが好きで好きで。
永ちゃんが書いた詩を黒柳さんが読む…。
とにかくテレビっていうのはそれまでラジオで音声を売ってたのを映像を売るのに実質的に音声のコーナーじゃない?でもこれでいい詩があって読み手がよければこういうことができるんだなと思ってそれで僕は何とかそれをやろうと思って自分でやったんですよね。
ロミ・山田さんかなんかとやったんでしょ?だから「リリック・チャック」っていうのをいただいて「リリカ・ロミ」っていうコーナーを作って。
永六輔の100分の1にも及ばないけどつたない詩を書いてやったんですよ。
そしたら結構ねあの…。
よかった?評判あって本になって。
僕の詩を…「巨泉の詩」っていう本になったぐらいで。
永さんあれ本にしてないでしょ?私のやつ。
「リリック・チャック」?してないよね?そういう考えなかった…?今度それからまた20年か30年経って『ギミア・ぶれいく』っていう番組をTBSでテレビやった時に亡くなった森光子さんに森さんこれこれこういうわけで僕は執念深いから今から30年前に黒柳徹子が読んでたテレビの詩の朗読を森さんやってくれますか?って言ったら「巨泉さんが言うんならやりましょう」って。
それで詩はともかくとしてじゃあ藤村とか漱石とか谷崎とかそういうもののいいところの文章を森さんに読んでいただいてそれなりの照明とセットで見せるっていうのをやったんだけどこれは結局あんまりうまくいかなかったな。
そう?うまくいかなかった話?ただちゃっと黒柳さんが座って永ちゃんの詩読むのが一番よかった。
あれごたごたしたほらコントがいっぱいあった中にあれがポンと入ってたからね…。
その前に渥美ちゃんが馬鹿なことやったりなんかしてそのあとポッときたからね。
歌があったりとかね色々あれして。
永さんが『徹子の部屋』に最初に出てきてくださった時の残念ながらちょっとビデオがもう残ってないんです。
写真は残ってるんで写真と声とでちょっと見ていただいていいですか?「あなたはこのNETの局にお出になるの今日初めてですって?」「スタジオにきちんと呼ばれて出たのは今日が…」「開局して何年ですか?」「もうすごいでしょ」「生まれて初めてですちゃんとして出たのは」「上がってるんですって?」「上がってる…」「初め嫌だって仰ったそうですけど」「フィルムで出たことはあるの。
それから外の中継で昔『モーニングショー』で」「『モーニングショー』の放送の最中にね“こんなくだらない番組出てられるか”って言ってたんか切ってやめたっきりもう十何年…」あの頃永さん何かっちゃあすぐ怒って帰ったね。
あの頃じゃなくてもそれからだいぶ経ってもやめちゃうんですよ。
そうすると僕のところへ来るんですよね。
局から電話かかってきて。
「実は永さんがやめちゃったんですけど今週来週やっていただけますか?」って言うとなぜか俺レギュラーになっちゃうんだよね。
そう。
いくつあったかわかんない。
でもその2人が仲がいいっていうことがちょっと…。
同じ早稲田だっていうことはわかってるんだけど仲がいいっていうか気が合うっていうの私知らなかったのそんなには。
永六輔って結局女にどのぐらいモテたか知らないけど男でこの人に憧れてたのたくさんいるんです。
それこそ野坂さんなんかも4つかそこら年上だけどもう永六輔になりたくてしょうがなかった。
前田武彦にしても青島幸男にしても。
僕も…。
だって中学で三木鶏郎のやつやってたんですよコント書いて。
そう。
だから誰だって憧れますよ。
それであのね永さんと最初に会った時ねそこでそういうのをやってる時に日本のディズニーが声を入れるっていうことになったのね。
それで私もオーディション受けに行ったんですよ。
あれ『ダンボ』だっけ?そしたら私落ちたの。
だけどすごくよかったんだって。
申しわけないからってMr.カッティングって…全部の責任者が永さんにね赤いハンドバッグを渡して私にねそれを持っていって謝ってくれって。
私『ヤン坊ニン坊』かなんかやってる時に永さんが来てねハンドバッグ私に渡してくれたのが会った最初だったのね。
もうそれだから60年ぐらい前のこと。
僕は…この人とぼけるじゃない。
えっ?だから黒柳さんってもうすごい俺のことをわかってくれてるのかなと思って見てたらある時テレビで「大橋巨泉さんが」って言ったら「大橋巨泉さんってあのロミ・山田の旦那さんね」って…。
そうそう。
違う。
それからまたしばらくしたら「野球やって一塁のほうへみんな駆けていくけど三塁に誰もいないのになんであっちへ駆けないの?」って言うんでああやっぱりこの人は…こういうとぼけが味なんだなと思って。
それから私はあなたを初めて見た時『11PM』にあゆみの箱のことでチャリティーのことで伺ったらあなたがね麻雀のことを説明してらっしゃったんですよ。
イーチャンのトイトイでどうとかって。
私その時ずっと見ててね「あんなにね麻雀屋さんが上手に喋るようになったらテレビに出てる人たちって本当にお手上げね」って言ったら「あの人…麻雀屋じゃないわよ。
大橋巨泉よ」って言われて「ほう…」。
芳村真理さんなんかに言われてね。
ああなるほどね。
その時初めて見た。
それでは大橋巨泉さんが初めて『徹子の部屋』に出てくださったのは20年前のことです。
それまでご自分の番組に全力投球したいので他の番組に出ないって仰ってたんですけどセミリタイアなさるとか何とかって…。
で『徹子の部屋』に出てくださったVTRをちょっと拝見します。
「僕はね『徹子の部屋』に出てない数少ない芸能人」「『笑っていいとも!』に出ない…。
まだ出てないんです」「本当に?」「数少ない芸能人」「それは現役時代に人の番組には出ないっていうポリシーがあったからなんですけど今はもうリタイアしてますからお呼びが掛かれば…スケジュールさえ…スケジュールっていったってゴルフのスケジュールですけど」「それとぶつからなければ何にでも」「番組のクオリティーによっては出させていただきますけど」「ご自分がお作りになった番組はとにかく絶対当たるように作ろうっていうお気持ちはおありになったでしょ?」「ええ。
もう企画の段階からキャスティングの段階から台本…まあ元々僕は本書きでしたからそれにも加わってやると」「その代わりやったら絶対数字取るというのだけは守ってきましたね」「そうですね」嫌な奴だなベラベラ喋って。
いや…。
俺今あんなに…あのスピードで喋ったら舌噛んじゃうな。
でもあれですよ。
そういうふうに人の番組でも何でもいいなと思ったら「あれはよかった」って言うのは…よかったって認めるのはすごいと思いますよ私。
ところでここの前に…。
永さん。
これは永さんの名前にちなんでるの?こんなに私エイっていうものがですねこんなふうにおもちゃで売ってるものだって知らなかった。
いっぱい売ってるんです。
永さんも持っていらっしゃるのそうだけど。
こんなに…。
これ大橋巨泉さんの全部お土産なの?ええ。
だからこの10倍ぐらい永ちゃんのところ…。
博物館できるよね。
できるね。
こんなに長い尻尾があるの?エイって。
ありますよ。
マンタ。
すごいですよ皆さんこんな長い。
マンタ…。
マンタって言うわねそういえばね。
あらー…。
えー可愛いんだ。
そういう尻尾の長いマンタ系はやっぱり暖かいところの国に…。
そうなの?えー。
こんなさまだらのもあるんだわ。
ほら。
そういう縫いぐるみ系とそれからこういう芸術作品系とあるんですね。
これね。
ここにあるの皆さん…。
えーこれなんか随分あれですよね。
すごい本当のをよく…何ていうの?エイを見て。
でもこの忙しい巨泉が奥さんと2人で必ず水族館に行ってエイを探すのね。
それを持ってスタジオに来てくれる…。
こんな忙しい…。
忙しいのに…いつも買ってきてくれる?でも永さん涙が出るぐらい嬉しいと思ってるって。
うん嬉しい。
俺も嬉しい。
だから一生懸命探すのね。
だって今から60年前でしょ?うん。
60年前に日本テレビやNHKで台本を書いてて僕は永ちゃんに憧れてて。
それで…50年60年経って色んな病気したけどこうやって一緒にテレビに出たりご飯食べたりできるっていうことはこれはやっぱりなんか神様でもいれば恵みですよ。
本当にそうですよね。
そうでしょ?小沢さんとだってもっとご飯食べたかったし…。
ねえ。
井上ひさしさんとももうちょっとなんか喋って飯でも食いたかったけどできないんだもん。
そうよね。
それ長い間いってそれで…永ちゃんがラジオの番組やっていれば呼んでくれるし。
行って永ちゃんの代わりに言いたいこと言えるしね。
でも永さんは今あれですかねラジオをやって…もうすごい長い間ラジオをやってきてラジオをやっぱりやってきてよかったですか?ラジオひと筋にしてよかった。
ひと筋にしてね。
本当テレビは『徹子の部屋』ぐらいしか出ないって仰ってたんで。
あとラジオをやってよかった…。
うん。
それからまた色んな方にお会いになったでしょラジオの中で。
それでそのラジオで巨泉に巡り会って…。
また長い長い歴史があってテレビとラジオで分かれてて両方が両方…。
今巨泉はラジオで素晴らしいです。
そうですってね。
ラジオのトークが。
ひと回りしてきたんだなと…。
なるほどね。
今からそれこそ30年40年前にTBSの前にアマンドがあった頃僕が仕事終わってコーヒー飲みに寄ると永ちゃんが一番奥にいるからこっちで手上げると向こうで手上げて。
何してるんだろうと思ったら原稿を書いてるんだよね。
よくこんなところで書けるなと思うんだけどああいううるさいところがいいのよ…。
でも本当に40年という晴れの日にお二方においでいただいて本当に嬉しかったしどんなことがあっても巨泉さんは呼ばれたら来るってね。
私普通だったらこんなに痩せちゃったら昔と違うから嫌だなとかって思うかなと思ったらそうじゃなくてね。
僕はこの話があった時にこんなに…そのね50キロになっちゃってて…その時は48キロぐらいで。
弟が「兄貴いくら黒柳さんでもその痩せさらぼえた」…。
痩せさらばえた。
「…さらばえた顔をファンの人に見せるのはどうなんだろう」って言うから「それはだって隠してるわけじゃないしいいんじゃないの?」って。
「それでも俺は徹子さんとの約束だから出る」って言ったんですよ。
だからしょうがないよねこれは。
でも私嬉しかった。
本当涙が出るほどね…。
今はちょっと涙出てないですけど涙が出るほど嬉しかった…。
それからまた永さんは永さんでね本当はね今日あれなんでしょ?こんなことやって出てる場合じゃないんでしょ?「こんなこと」ってことはないでしょう。
病院かなんか入ってなんか…。
あんたの元気をいただいて帰りますよ。
もうあげられるものだったら何でも差し上げますよ。
でも元気なんだから大丈夫よ。
精神が元気なんだから。
ねえ。
パーキンソンにならなきゃ永さん随分色んなことできたわね。
それ悔しいですよね。
俺だってがんに…このね中咽頭がんにならなければまあ100はともかく90まではいくかなと思ってたけどなかなかそうはいかないんだよね。
でもまあ2人とも今度介護のことについてお話ししたりとかさそういうこともやってらっしゃるでしょ?永さんも。
だからそういうことはお聞きになった方がとても役に立ったりすると思うんだけど。
やっぱりそういう話をするようになるとは思ってらっしゃらなかったでしょうからね若い時は。
でもね僕さっきVTRで自分の番組に集中したいから人の番組に出ないっていうポリシーを持ってたっていうけど黒柳さんもそうだったんです。
これが始まってから他の番組ねあるクイズ番組一つだけ出ていらっしゃるけどあとは出ていらっしゃらないで。
やっぱり集中して自分の番組だけやるのがいいのかなって。
46年。
46年?同じ番組?わあー!46年?すごいのね。
ありがとうございました。
またいらしてください。
2016/02/04(木) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 祝40周年!永六輔&大橋巨泉[字]
〜テレビ初!ラジオの巨人vsテレビの巨人vs黒柳!〜永六輔さん&大橋巨泉さんが今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
40周年突入ウィーク!4日目のゲストは“ラジオの巨人”永六輔さん&“テレビの巨人”大橋巨泉さん!
◇番組内容
永さんは現在パーキンソン病と闘いながらラジオ出演を続けている。一時期は引退も考えたが、大橋さんら友人の励ましで続ける決意をしたと語る。大橋さんは昨年がんの手術後、腸閉塞を患ったが徐々に回復しているという。本来ならテレビ出演も辞退するところだが「永さんと黒柳さんのお呼びとあれば!」と一緒に40周年のお祝いに駆けつけてくれた。スタジオでは60年以上前からの友人という永さんと大橋さんの大学時代の話題も。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32723(0x7FD3)
TransportStreamID:32723(0x7FD3)
ServiceID:2072(0x0818)
EventID:48978(0xBF52)