「この本を読み終えたその日から、あなたは日記をつけはじめるだろう。」
私と日記の歴史
子供の時から日記なんてほとんど書いたことがなかった。本当に夏休みの絵日記とかそんなレベル。
しかし2014年になって、お気に入りの革のシステム手帳を使い出してから日記をつけ始めた。その手帳を作ってくれた先輩が毎日日記をつけていたからだ。
当時なんとなく書き始め、読み返すと結構面白いな。ぐらいの気持ちで書いていた。
書き方も決めておらず、淡々と時系列で事実のみを書いていたが、それは間違いじゃなかったとこの本を読んで実感した。
この方法は2016年現在も続いている。
日記の書き方
日記は感想や想いなど書かず、淡々と行動のみを客観的に記録すること。
これについては2014年から日記を書いていて、本当にそう実感している。感想を書くのは結構面倒なのである。
日記に感想を書く必要はない。
「朝7時。目覚まし時計どおりに起きる」これで充分だ。
「私たちは他人の心を知ろうとするとき、その人の言動を観察するではないか。」
筆者の日記フォーマット
- 日付
- 起床、睡眠時間
- 1日の行動記録を時系列で
- 着想
ずいぶんシンプルだが、毎日つけるものだから自分に負担がない方が断然よい。
私は4.の着想は基本書いていない。時々書いている程度。
日記をつけることでどうなるのか?
記憶力がよくなる
自分を客観視することができる
私は親が自分を理解してくれないという学生達によく次のような話をする。「きみは親が理解しないと文句をいうが、それはきみが親の目から見たら納得できないようなことをしているからだろう」と
日記は読み返すことで初めて効果が発揮できる
自分の書いた日記ほど面白い読み物はない
人生論についても豊富に展開
・多くの人は、「自分は平々凡々とした日々を過ごしている」と思っている。だが、それは間違いだ。おもしろくない人生を送っている人など実は一人もいない。人はみな「劇的に」生きているのだ。
60代になると一般的に、その後の人生を余生だと考える人が多い。しかし筆者は人生に余生などないと思っている。人生は最後まで人生である。
人間の一生は自分自身にかける問いのレベルで決まるといっていい。だがこうした問いはすぐに答えが出るものばかりではない。そんなときは答えが見つかるまで、問いを別の場所に保管しておくことが必要となる。その場所を問いのプールと呼んでいる。あくまで意識としての問いの保管場所だ。この問いのプールに問いを入れておけば、いつかは答えが見つかる。ただし、答えが見つかるためには一つだけ条件をがある。それは問い自体を忘れないこと。忘れずに何度も、答えが出るまで繰り返し問いかけ続けることだ。
まとめ
なんとなく書いていた日記だったが、こんな人生に関する部分まで関わっていくんだなと感じた一冊だった。
日記=行動記録である。自分を知ることは人生で大きな大きなウエイトを占める。
「自分の人生の答えは、自分で出すしかない。」
この言葉を胸に、これからも日記を書き続け自分と対話していこう。