江戸幕府を開いた天下人徳川家康。
その家康が顔がゆがむほどの恐怖を味わったという戦があります。
戦国最強とうたわれた武田信玄との戦いです。
この時最前線で大活躍し徳川軍を完膚なきまでたたき潰した男がいました。
その名は武田勝頼。
信玄の息子です。
時は戦国。
生き残りを懸けた戦いが各地で繰り広げられる中名将・信玄の跡取りとして登場したのが…幼い頃の勝頼は武田家でひとりぼっち。
勝頼が主になれば武田は滅びるぞ!家臣たちは勝頼を…更に実の父・信玄からも衝撃のひと言。
勝頼そなたは武田の次の当主ではない。
若き日の勝頼に秘められた悲しいさだめとは?そんな勝頼の支えは家族でした。
妻や子供と共に描かれた極めて珍しい家族の肖像画をテレビ初公開。
偉大なる父を持った武田家のプリンス勝頼の愛と苦闘の物語です。
名峰・富士を望む山梨県甲府市。
かつての甲斐国です。
戦国最強の武将とうたわれた武田信玄が治めていました。
天文15年。
しかし生まれた年と四男なので「四郎」と呼ばれていたという事以外幼い頃の記録は残っていません。
ここにいたのですか?はい庭の花を見ていました。
その理由は母の諏訪御料人にあったと言われています。
(ほら貝)当時領土を広げるため…四郎の母はそんな死に追いやられた領主の一人諏訪家から連れてこられ側室となったため武田家の敵として警戒されていたのです。
必ずや我ら武田に深い恨みを抱いているはず。
そのとおり。
おなごとはいえあの者は油断できません!疑いの目は子供である四郎にも向けられました。
そなたは何も悪くないのですが…。
ここではつらい思いをさせていますね。
全てこの母のせいです。
強く生きるのですよ。
はい母上。
母と子支え合いながら武田家の中で耐え忍び暮らしていたのです。
それから10年余りの月日がたち四郎は成人した事を祝う元服を迎えます。
一人前になった証しとして新たな名前諱が信玄から告げられました。
「勝頼」じゃ。
これより後は四郎勝頼と名乗れ。
与えられた諱には「頼」の一字がありました。
この字は母の実家・諏訪家が代々名乗ってきたもの。
武田家の男が用いてきた「信」の字をもらう事はできませんでした。
父である信玄にも武田の人間とは認めてもらえなかったのです。
ははっ!結構なる名を頂戴いたし恐悦至極に存じまする。
更に…。
甲斐を出てもらう。
そなたを諏訪家の当主とする。
なんと家からも出され母の実家を継ぐよう命じられます。
新たな領地として勝頼が移り住んだのは高遠。
母の実家諏訪家ゆかりの地です。
領主となった勝頼が神社に納めた釣り鐘が今に伝わっています。
奉納者の名前は諏訪四郎神勝頼。
勝頼は諏訪家の人間として新たな人生を歩み始めました。
更に高遠に母・諏訪御料人のお墓も建てます。
勝頼はこの地で骨をうずめる覚悟だったのかもしれません。
心の声母上。
もはや武田の者ではない私が生きてゆく地はここ高遠しかありません。
どうかこれからもお守り下さい。
ところが5年後。
勝頼に転機が訪れます。
(勝頼)父上が?それは父・信玄からの突然の呼び出しでした。
心の声今頃父上が私に何の御用であろうか…。
急ぎ甲斐に戻った勝頼。
そこで思いも寄らない事態に直面します。
勝頼お前にこの武田の家を継がせるかもしれん。
心して励め!えっどういう事でございますか?実はこの裏にはお家を揺るがす大事件が絡んでいました。
武田家を継ぐはずだった…これに激怒した…また次男は幼い頃に失明して出家。
三男は早くに亡くなっていました。
正室の子が他にいないため側室の子である勝頼が一躍跡継ぎ候補の中の一番手になったのです。
励め。
この事に武田家の家中は騒然となります。
よりによって敵の子が武田の主だと?跡継ぎなら他にもおるではないか!武田家には…勝頼がすんなり次の武田の当主になれる状況ではありませんでした。
心の声それでも父上は私を…。
よしそのご期待にきっと応えてみせる!勝頼に実力を示す機会が巡ってきます。
隣国・北条家との戦いです。
城に籠もる敵の大軍を少人数で挑発し城の外へおびき出すおとりを命じられたのです。
一歩間違えば命を落としかねない危険な役目です。
心の声私の行く末はこれで決まる。
何としても敵を引きずり出してやる。
僅かな手勢で敵の城に攻撃を仕掛ける勝頼。
うっ…!この時勝頼は思わぬ行動に出ます。
城の外から敵を挑発するだけでなくなんと自ら城内に突入し大暴れ。
そしてすかさず…。
よし退け!すると…。
追え!まんまと敵兵が城を出て追いかけてきました。
射かけいっ!待ち構えていた味方の総攻撃で見事大勝利。
勝頼の働きを見た信玄の言葉が残されています。
「勝頼は…」。
父・信玄に実力を認められた勝頼は次の戦では信玄に次ぐ副将に大抜擢されます。
敵は武田家最大のライバル織田信長です。
心の声織田との戦では今まで以上に働いて父上を安心させねば…。
そこへ知らせがもたらされます。
何?父上が!?勝頼わしもそろそろしまいのようじゃ。
何をお心の弱い事を。
お気を強くお持ち下され。
聞け。
わし亡きあとの武田家の事じゃ。
勝頼そなたは武田の次の当主ではない。
陣代じゃ。
「陣代」とは仮の当主の事。
勝頼は武田家の正統な後継者としては認められなかったのです。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
今日の主人公は数々の戦で手柄をあげ実力を父・信玄に認められながらも正式な後継者になる事ができなかった武田勝頼。
その理由は家臣の反発を抑えるためとも言われています。
武田家の正式な跡継ぎとして指名されたのは勝頼の子で信玄の孫にあたる信勝でした。
陣代という極めて不安定な立場で武田家のかじ取りを担う事になった勝頼。
その前途は大変厳しいものでした。
その遺言は不思議なものでした。
心の声父上のお言いつけのもとどこまでも武田の家を守る!ところが勝頼の前に難関が立ちはだかります。
それは家臣の反発。
仮の当主陣代などに従えないとばかりに何かと抵抗してきたのです。
家臣たちといかに信頼関係を築くか。
勝頼の苦労をうかがわせるものが残っています。
こちらは古くから武田家に仕える重臣の一人に出した起請文。
いわば誓約書です。
立場の弱い陣代としてあえて家臣をたてる。
武田家をまとめる苦肉の策でした。
一方信玄の死を隠すためにはこんな方法をとりました。
それは手紙を信玄の名前で出す事。
こちらの書状は信玄の死から2か月後に書かれたものです。
信玄の名や印と共に病気が治らないので花押いわゆるサインが書けなかったという言い訳まで記す念の入れよう。
しかし秘密とは隠そうとすればするほどバレてしまうもの。
その理由を探り始めます。
信玄は病にかかったらしい。
既に世を去っているといううわさもあるぞ。
これらの未確認情報を確かめようと徳川家康は行動を起こします。
しかし武田軍は反撃してきません。
心の声間違いない。
信玄はもうこの世におらぬ。
この事は家康と同盟を結ぶ信長にも伝わります。
信玄が消えたか。
武田も長くはあるまい!ハッハッハッハッ!間もなく信長と家康は3万8,000の大軍で武田領に攻め込んできました。
迎え撃つ勝頼の軍勢は1万5,000。
心の声数は劣るが武田は無敵。
わしが大将のこの決戦も勝ってみせる。
長篠・設楽原で合戦が始まりました。
進め〜!怒とうの突撃を開始する武田軍。
そこへ…。
(銃声)織田・徳川連合軍の激しい銃撃が浴びせられます。
数で劣る武田軍は数千もの将兵が討ち死に。
信玄の時代から仕えてきた重臣たちも相次いで倒れていきます。
心の声駄目だ。
わしの力では父上のようには武田を導けない。
大敗を喫した勝頼は信玄から受け継いだ領地の一部を失ってしまいました。
勢いに乗る信長と家康は一気に武田を滅ぼそうと動き始めます。
心の声このまま大軍で攻め込まれたら防ぐ手だてはない。
どうしたらよいものか…。
やがて勝頼は決断します。
それは…。
父・信玄がとってきた道との決別です。
(勝頼)北条に使いを出せ。
ははっ!勝頼が目を向けたのは東の大国北条家です。
北条と同盟を結ぶ事ができれば織田・徳川に対抗しうる一大勢力が誕生します。
とはいえ信玄の頃から争いが絶えなかった北条家と今更同盟など至難の業です。
どのようにして北条を説得したのか記録が残されています。
「武田とよしみを通じて下さい」。
勝頼は苦しい状況を正直に伝え同盟を懇願しました。
心の声武田はそこまで本気か。
よかろう。
その翌年…この婚姻によって両家は固い絆で結ばれたのです。
武田・北条という巨大連合の誕生を前に織田・徳川はそう簡単には攻められなくなりました。
信玄以来続いてきた武田家の戦いは収まり甲斐に平和がもたらされました。
家臣たちは勝頼の手腕をたたえました。
勝頼は陣代として見事武田家をまとめ上げ国を守るという使命を果たす事ができたのです。
長年周辺の国々と戦を繰り返してきた武田家に勝頼は一時的とはいえ平穏をもたらす事に成功しました。
あの信玄ですらなしえなかった快挙です。
勝頼の原動力となったもの。
それは偉大な父と決別し自分には何ができるか見つめ直して実行した事でした。
そして「歴史秘話ヒストリア」。
そんな武田家に最大のライバル織田信長が襲いかかります。
幼い頃に母を亡くし父には家を追われた勝頼。
それから10年。
妻・北条夫人との新しい生活は勝頼がようやく手に入れた家族との暮らしでした。
結婚して間もない…桃や桜が花開き一年で最も華やぐ季節。
勝頼は武田家の重臣が列席する諏訪大社の祭礼に妻を連れてゆきます。
当時こうした儀式に夫婦一緒に参列するのは大変珍しい事でした。
霊験あらたかなこの諏訪大明神は武田の守り神。
むろんそなたにとってもだ。
私一日も早く武田のお家になじむよう努めます。
この時勝頼32歳。
北条夫人は14歳。
妻と過ごす穏やかな日々を勝頼はかみしめていた事でしょう。
このころ勝頼の子・信勝は11歳になっていました。
心の声
(勝頼)信勝に家督を譲るまであと5年。
妻と力を合わせてこの子を父・信玄のような立派な当主に育てよう。
勝頼が家族をいかに大切にしていたかを示すものが残されています。
こちらが武田勝頼公北条夫人信勝様のご肖像画になっております。
武田の家紋花びしをあしらった衣を身にまといりんとした姿の勝頼。
すぐ下には妻の北条夫人。
そしてその横には息子の信勝。
家族3人がまるで寄り添うように一枚の絵の中に描かれています。
戦国大名の肖像画といえば一人で描かれるのが普通だった当時家族一緒の絵というのは他に例を見ません。
(勝頼)さあこちらへ参れ。
ここに座るのだ。
(信勝)はい。
(勝頼)信勝はわしと母の間のここだ。
さあそなたも早く。
(北条夫人)はい。
では…。
(勝頼)よいか。
皆絵師の方を見よ。
愛する家族と共に過ごす幸せなひととき。
それは母を失って以来たった一人で生きてきた勝頼にとってかけがえのないものでした。
(雷鳴)しかし幸せな時間は長くは続きませんでした。
結婚から2年後…しかもあろう事か…この巨大な敵に攻め込まれたら太刀打ちできません。
北条家は妻の実家です。
当時実家が敵に回った妻をそのまま家に置いておくのは危険な事。
夫に害を及ぼす前に実家へ追い返すのが世の習いとされていました。
聞いておろうが武田と北条は手切れとなった。
私は北条の家に戻されるのでございましょうか?いやそなたはわしの妻。
この館から追うなど思いも寄らぬ。
これから居づらくはあろうがわしのもとを去らないでくれ。
何があろうともわしが守ってまいる。
はい…。
どうもこのお二人見てるとこれはもう本当に相思相愛というか…ついに織田信長が5万もの大軍で武田の領国に攻め寄せてきました。
こちらは勝頼が新たに築いた居城新府城。
高さおよそ130メートルもの断崖の上に建ち周囲に深い堀を巡らした鉄壁の要塞です。
心の声天下の武田を甘く見るなよ!来い信長!信長との決戦がまさに始まろうとしたその時です。
(噴火音)突如浅間山が噴火。
武田の領国甲斐や信濃が滅ぶ時浅間山が噴火すると当時信じられていました。
なんと不吉な…。
武田が負ける前触れか…。
武田軍の家臣や兵士に衝撃が走ります。
動揺する武田軍はそこを織田軍につかれる事になりました。
(家臣)申し上げます!またもや織田への寝返りが!
(家臣)織田勢の勢いすさまじくもはや支えきれません!相次ぐ裏切りに苦しむ夫・勝頼。
北条夫人は武田の守り神に願文をささげました。
勝頼様…。
勝頼は味方の立て直しを図るため新府城に戻りました。
しかし…そこへ織田軍に加えて徳川・北条15万以上とも言われる大軍が新府城に近づいてきます。
城に立て籠もっても勝ち目はありません。
かと言って降伏したところで命の保証もありません。
心の声私の父たる信玄公。
私は一体どうすれば…。
陣代じゃ。
陣代じゃ。
心の声そうだわしは陣代だ。
陣代の使命はこの武田家を信勝に継がせる事。
そのためにわしは武名も面目も捨てる!勝頼は覚悟を決めます。
わしがそなたらを守り抜く。
安心してわしについてまいれ。
はい父上!さあ参ろうぞ!家族や家臣を伴って落ちのび再起を図る。
それが勝頼苦渋の決断でした。
勝頼は甲斐を東へ横断し国境の山を越えて落ちのびようと考えます。
急げ!女・子供も連れた700人余りの逃避行が始まりました。
…と記録は伝えています。
途中で行方をくらます者も相次ぎました。
それでも敵の追撃を必死にかわしながら東へ東へと逃れていきます。
出発から8日後ようやく国境の山の麓までたどりつきました。
(勝頼)あの山を越えれば織田勢も追ってはこれまい。
今少しだ。
その時です。
いたぞ〜!敵の大将じゃ!とうとう織田軍に追いつかれ囲まれてしまいました。
勝頼に付き従う兵は僅か40人ほどとなっていました。
もはやこれまでか…。
まだ間に合う。
そなたはここから落ちのびよ。
織田・徳川は北条に何の遺恨もない。
そなたまで危害は加えぬ。
武田家陣代としての命じゃ!去れ!勝頼様は私に「去るな」とかつて仰せられました。
私は武田のおなご武田勝頼の妻にございます。
どこまでもお供を!さようか…あい分かった。
信勝そなたに強き武田家を残してやりたかった。
父を許せ。
父上。
私は父上の子に生まれて幸せでございました。
信勝…。
天正10年3月11日。
(兵たちのおたけび)武田勝頼は愛する家族と共に戦場の露と消えました。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」。
最期の瞬間に勝頼が託したたったひとつの願いとは。
そんなお話でお別れです。
太平の世となった江戸時代。
武田信玄が戦国最強の武将としてたたえられる一方でその息子・勝頼は国を滅ぼした弱くて欠点のある大将と言われ続けてきました。
勝頼が家族と共に最期を迎えた場所です。
その後間もなく彼らを供養する寺が建てられました。
9年前この寺で発掘調査が行われ勝頼にまつわる新たな発見がありました。
それはお経が書かれた石経石。
勝頼の死から200年がたった節目の年地元の人々によって法要が営まれた時のものです。
その数5,000余り。
一番大きな石には勝頼と共に妻の北条夫人息子の信勝3人の戒名が記されていました。
これは家族を愛し守り抜こうとした勝頼の人柄を慕った村人によって埋められたものでした。
境内にある勝頼の墓。
その左右に寄り添うように建っているのは北条夫人と息子・信勝の墓です。
武田家・陣代として力の限りを尽くした武田勝頼。
今愛する家族と共に静かに眠っています。
2016/02/03(水) 22:00〜22:45
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア▽偉大なる父・信玄よ!〜若きプリンス 武田勝頼の愛と苦悩[解][字]
武田信玄の跡を継いだ2代目・勝頼の人生は孤独と苦悩に満ちたものだった。そんな悩める勝頼の心の支えは愛する家族の存在!大河ドラマでも注目を集めた勝頼の悲しき人生。
詳細情報
番組内容
戦国最強とうたわれた名将・武田信玄の跡継ぎとして領国を受け継いだ2代目・勝頼。偉大すぎる父をもったことで苦悩の人生を送ることになる。重臣たちの反発や強敵・織田信長の襲撃など、数々の困難に直面する中、勝頼の心の支えとなったのは、妻の北条夫人と息子の信勝だった。テレビ初公開の勝頼の“家族の肖像画”などを紹介しながら名将・武田勝頼の愛と悲劇の人生の物語をお送りする。
出演者
【出演】崎本大海,【キャスター】渡邊あゆみ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:26385(0x6711)