15年前、わたしは今より、建設的な人間だったと思う。
投げやりなところはあったが、未来には、いいことが必ずあると信じていた。
刹那的なところ、退廃的なところが、年々増してゆく。
世の中にポジティブな思想がたくさんあふれていて、そうありたいと思うのに、
いい人でいたいと思うのに、
気づけば毎日、目に入るもののほとんどが嫌いだし、
簡単に言えば、うんざりしている。
未来のことは、考えたくもない。
15年前、わたしは、いつか高いブランドのバッグを手に入れたいと思っていた。
いつか、これだと思うものが見つかったら、買おう。
そして、大事に使おうと思っていた。
そう思ってから15年の間、
自分よりもぜんぜん若い人、あとからデビューした人、
みんな、当たり前のようにブランドバッグを持っていた。
「いつか」なんて思ってたけど、値段を見ると、とても買えなかった。
度胸がなくて、怖くて、一生ものなんて決められない、どうでもいい、と逃げ出したくなった。
でも、人がいいバッグを持っているのを見るたびに、
「自分には、あんなバッグは買えないんだ」
「センスもないし、選ぶ勇気もないんだ」
と、小さく、卑屈な気持ちになっていた。
そんなふうに感じる自分が、とても嫌だった。
バッグを買うだけで、そんな気持ちと手が切れるのだったら、買おうと思った。
そして、気に入ったバッグに出会った。
GUCCIの、花と鳥の中国風の柄の入ったバッグで、
これを買うのがどういうことかというと、
ヴィトンのグラフィティ柄のバッグを買うようなことだ。
定番として長く使えるバッグとは言えないような、
そういうバッグである。
でも、すごく好きで、
買ってみようと思った。
銀座のお店に行ってみたら、そのバッグがあった。
いちおう、他の美しいバッグも見た。
もっと長く使えそうなもの、もっと凝ったもの、
もっと高級感のあるもの、たくさんあった。
でも、やっぱりこれだ、と思った。
今だけの流行でもいい。
今しか使えないバッグでもいい。
わたしは、先のことなんか、考えない。
いつまでも使えるバッグなんか、どうでもいい。
いま、いちばん好きなバッグを持ちたい。
わたしは、今を生きるんだから、これでいい。これがいい。
「これにします」と言ったとき、
店員さんが、
「うちは、他の店舗より1日早くこのシリーズを店頭に出しています。今日からお店に置いています。
お客様は、日本でこのバッグを買われた、最初のお客様になります」
と言った。
「わたしも、初めてのGUCCIです」
と言うと、
「それは光栄です」
と言って、どう見ても庶民のわたしに、丁寧に接客をしてくれた。
「セックス・アンド・ザ・シティ」の映画で、
バッグのレンタルばかりしていた、キャリーのアシスタントのルイーズが、
初めて自分のルイ・ヴィトンを持った場面を思い出す。
自分がこれまでしなかったこと、
できないと思っていたこと、
できるんだったら、そんなことで小さな卑屈さや劣等感が消えるなら、
どんどんすればいい。
わたしは、もっと定番のバッグを選ぶ人間だと思ってた。
賢い選択をする人間だと思ってた。
でも、違った。
こういう人間だった。
そういう些細なことが、
「自分はこうだ」と、自分を檻に閉じ込めるような気持ちを、
打ち破ってくれる。