この場を借りて、愚痴をぶちまけようと思う。愚痴であり、嘆きでもあり、怒りでもある。そして悲しみとも言えるほど、僕はいま怒っている。それで眠れなくなってしまったので、macを引っ張り出して書き始めてしまった。何に怒っているかといえば、この広告に関してです。
いくらなんでも酷すぎる。何かひどいか、きっとみんなわからないと思うので説明します。これはTCC(東京コピーライターズクラブ)という、「コピーライターの賞」の応募広告である。そしてここに写っている方々は、広告界の超大物、重鎮の三人です。そしてコピーはこう書いてある。
誰に、
ほめられたいんですか?
「いいね!」と
仲間うちに褒められるのも
うれしいんでしょうけど、
本当は、誰よりも、
一番厳しいあの人に褒められたい。
ですよね?
いや、違うでしょ?そんなチンケな理由でコピー書いてるんですか?重鎮に褒められたいから日々の仕事をしているんですか?上のひとに認められたいから、仕事するんですか?
この広告が、広告業界のダメさ加減を物語っていると思います。つまり、閉鎖的で、内輪的で、排他的で、「社会のほうを見ていない」ということが表れてしまっている。
もしかしたらどこの業界も一緒なのかもしれません。でも広告界はその傾向が強いと思います。なぜなら、広告ビジネスというメディアビジネスそのものが排他性が強いからです。コピーライターに限らず、デザイナーの賞も近いものがあります。その排他性や閉鎖性が、エンブレムの問題の大きな要因だったと考えています。
コピーライターになると、まずは「TCC新人賞」を目指します。新人賞を取ると、一人前として認められる世界なのです。知ってましたか? そして新人賞を取ると待っているものがあります。月額5000円の会費です。その見返りは「TCC会員」と書けることですが、そんなものに意味あるとは到底思えません。5000円で日経新聞とったほうがはるかに得です。お釣りもでますし、有益です。嬉々として新人賞に応募する人たちが理解できませんでした。
結局なにが言いたいかというと、こういった内輪の団体は、もう必要ないのではないかということです。「コピーライター」とう職の知名度が低い時代に、ある程度の役目は果たしてきたのかもしれませんが、今の時代はいいものは社会が評価してくれます。
そして何より、仕事をする上では「自分の実感」こそが大事です。「いいコピーがかけた。」「いい文章がかけた。」そういう実感こそが、何より大切なはずなのです。とくにクリエイターと呼ばれる人種なのだから、「自分がどうしても生み出したい」、「書きたい」そういう感情こそが原動力のはずです。
褒められるのはもちろん嬉しいけれど、それは副産物です。そして褒めてもらうのは読者であり、受け手です。間違っても、業界の重鎮たちじゃないはずです。だから僕はこの「コピーライターの広告」が嫌いなのです。
村上春樹さんの言葉を引用します。
自分の「実感」を何より信じましょう。たとえ周りがなんと言おうと、そんなことは関係ありません。書き手にとっても、読み手にとっても、「実感」にまさる基準はどこにもありません。
村上春樹「職業としての小説家」
賞に頼るというのは、自分の実感を信じていない証拠です。自分の実感に勝る基準はどこにもありません。賞を授ける団体は、もう解散しましょう。そして自分の実感を何より信じましょう。そうすれば、きっとコピー界も広告界もよりよい世界になるはずです。
自分の「実感」を何より信じましょう。
仕事において「実感」にまさる基準はどこにもありません。