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津波で持ち主不明の品々 宮城・名取市が処分2月3日 18時52分
東日本大震災で津波に流されたあとに回収され、持ち主が分からないまま保管していたランドセルや卒業アルバムなどについて、宮城県名取市は震災発生から5年になるのを前に引き取りに来る人がほとんどいなくなったとして、処分を始めました。
処分されるのは、宮城県名取市の沿岸部でボランティアなどによって回収され、持ち主が分からないままになっているランドセルや楽器、卒業アルバムなどおよそ3300点です。
名取市はこれまで、市内の小学校で保管しながら返却のための催しを開いたり、希望者に個別に閲覧してもらったりしてきました。しかし、閲覧の希望者は去年1年間で2人しかいなかったうえ、保管場所の小学校の校舎がかさ上げ工事のために近く解体されることから処分することを決めたということです。
3日は、市の職員5人が保管場所の部屋に積み上げられたおよそ100個のランドセルを、トラックに積み込んだほか、卒業アルバムを整理したり、賞状などを額縁から外したりしていました。こうした品々は4日、宮城県山元町の焼却場に運ばれ処分されるということです。
また、名取市はこれまで25万枚の写真をデジタル化して保存していましたが、このうち23万枚は処分し、今後は画像の状態がよい2万枚の写真について返却に応じながら、半年後をめどに処分するということです。
名取市総務課の小笠原博志係長は、「すべてを持ち主に返せなかったのは残念ですが、『津波を思い出したくない』などといった理由で取りに来ない被災者もいてその気持ちも分かるので、区切りをつけました」と話しています。
東日本大震災の被災地では宮城県内の10の市と町がこうした品物を保管していますが、このうち名取市を含む4つの市と町が、震災発生から5年で処分したり処分を検討したりするということです。
名取市はこれまで、市内の小学校で保管しながら返却のための催しを開いたり、希望者に個別に閲覧してもらったりしてきました。しかし、閲覧の希望者は去年1年間で2人しかいなかったうえ、保管場所の小学校の校舎がかさ上げ工事のために近く解体されることから処分することを決めたということです。
3日は、市の職員5人が保管場所の部屋に積み上げられたおよそ100個のランドセルを、トラックに積み込んだほか、卒業アルバムを整理したり、賞状などを額縁から外したりしていました。こうした品々は4日、宮城県山元町の焼却場に運ばれ処分されるということです。
また、名取市はこれまで25万枚の写真をデジタル化して保存していましたが、このうち23万枚は処分し、今後は画像の状態がよい2万枚の写真について返却に応じながら、半年後をめどに処分するということです。
名取市総務課の小笠原博志係長は、「すべてを持ち主に返せなかったのは残念ですが、『津波を思い出したくない』などといった理由で取りに来ない被災者もいてその気持ちも分かるので、区切りをつけました」と話しています。
東日本大震災の被災地では宮城県内の10の市と町がこうした品物を保管していますが、このうち名取市を含む4つの市と町が、震災発生から5年で処分したり処分を検討したりするということです。
気仙沼市は保管を継続
津波で流されたあと回収した品物を今後も保管しながら返却を続けようという自治体もあります。
宮城県気仙沼市は、地元で回収されたランドセルや楽器、それに卒業証書などおよそ1800点と写真およそ12万7000枚を震災で被災したスーパーマーケットの建物で保管しています。震災発生から5年となるのを前にこの建物を訪れる人は、1週間におよそ10人と震災直後の20分の1ほどに減っていますが、市は1人でも多くの人に返却しようと今後も保管していくことを決めています。
市から保管を委託されている気仙沼復興協会は、今後も職員が写真を持って仮設住宅を訪問するなどして、持ち主を探す取り組みを続けていくということです。気仙沼復興協会の鈴木貴志さんは、「いつか線引きをして処分しないといけないと思うが、できるかぎり持ち主が見つかるように保存を続け、少しでも返せるよう努力していきたい」と話していました。
宮城県気仙沼市は、地元で回収されたランドセルや楽器、それに卒業証書などおよそ1800点と写真およそ12万7000枚を震災で被災したスーパーマーケットの建物で保管しています。震災発生から5年となるのを前にこの建物を訪れる人は、1週間におよそ10人と震災直後の20分の1ほどに減っていますが、市は1人でも多くの人に返却しようと今後も保管していくことを決めています。
市から保管を委託されている気仙沼復興協会は、今後も職員が写真を持って仮設住宅を訪問するなどして、持ち主を探す取り組みを続けていくということです。気仙沼復興協会の鈴木貴志さんは、「いつか線引きをして処分しないといけないと思うが、できるかぎり持ち主が見つかるように保存を続け、少しでも返せるよう努力していきたい」と話していました。