原理主義的なリベラルは現実によって常に裏切られる運命にある
「いっさいの復讐を自分に禁じ、相手が殴ったら殴られつづける」という原理主義的なリベラルは、いうまでもなくきれいごとにすぎない。映画はそのことも承知していて、アフリカの難民キャンプにおけるアントンの“偽善”を容赦なく暴く。
キャンプの病院には、ときおり腹を切り裂かれた女性が運ばれてくる。「ビッグマン」という地域の悪党が、呪術のために妊婦の腹から生きたまま胎児を取り出すのだ。
ある日、このおぞましい悪党が足に大怪我を負ってやってくる。病院のスタッフや患者たちは、ビッグマンを治療せず死ぬに任せておくべきだと口々に懇願するが、アントンはそれを医師の倫理に反すると拒否する。
だが一命をとりとめたビッグマンはアントンを挑発し、暴言を浴びせるようになる。それに耐えかねたはアントンは、最後にはビッグマンを復讐を叫ぶ群衆のなかに放置してしまう。暴力に対して暴力で報復することを許したのだ。
映画はその後、アントンがデンマークに戻ったところでもうひとつの事件を用意する。「報復は復讐の連鎖を招くだけ」というアントンの理想論に、子どもたちは納得していなかった。そこで彼らは、アントンに代わって自分たちの手でラースに復讐すべく、納屋で見つけた火薬を使って自家製のパイプ爆弾をつくりはじめたのだ……。
『未来を生きる君たちへ』が描いたのは、原理主義的なリベラルは現実によって常に裏切られる運命にある、ということだ。それは「リベラル」が絵空事だからだが、その理想を愚直に実践することには絵空事を超えた価値がある。
できるわけがないことをやろうとする人間の前に、現実の壁が真っ先に立ちふさがるのは当たり前だ。だがそんな“愚か者”こそが、「人権」という人工的な(人間の本性に反する)思想を擁護し、暴力のない安全で幸福な社会(Better World)をつくることに貢献してきたのだ――この話の詳細はスティーブン・ピンカー『暴力の人類史』(青土社)を読んでほしい。
だがこの「人権尊重」は、移民を受け入れるときだけでなく、彼らを排斥するときにも方便として使うことができる。妻や娘を平等に扱い、子どもの人格を尊重し、宗教よりも世俗的な価値観を優先する啓蒙思想を拒絶する者は、「リベラルのユートピア」に居場所を与えられないのだ。
このようにして、リベラルな福祉社会はリベラルなまま、「価値観」の異なるムスリムの移民を排除できる。ヨーロッパの“極右”と呼ばれる政治集団は、東欧などからのキリスト教徒の移民への差別は許されないが、近代的でリベラルな世俗社会の価値観に同化できないムスリムの移民への「区別」は正当化できる、と主張しているのだ。
原理主義的なリベラルの信念は、ISによる度重なるテロでも試されることになった。テロに報復してシリアやイラクのISの領土を空爆しても、相手の憎悪を煽るだけで問題はなにひとつ解決しないのは明らかだ。だがテロの犯人に「赦し」を与えたところで、彼らはそんなものを一顧だにせず新たなテロを計画するだろう。
EUというゆるやかな共同体のなかに複数の国家が共存するヨーロッパは、いわば巨大な社会実験をやっているようなものだ。いまやもっとも過激(原理主義的)なリベラリズムは北のヨーロッパから生まれ、それがニューヨークやカリフォルニアのような「リベラルなアメリカ」に伝わり、カナダやオーストラリアなどの英語圏の移民国家(アングロスフィア)に広まって「グローバルスタンダード」をつくっていく。
こうしたリベラルの潮流が(良くも悪しくも)世界の基準を決めているのだとしたら、その源流である「世界でいちばん幸福な国」の“右傾化”は、私たちの未来を知るうえで重要な出来事になるだろう。
橘 玲(たちばな あきら)
作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』(ダイヤモンド社)など。中国人の考え方、反日、歴史問題、不動産バブルなど「中国という大問題」に切り込んだ『橘玲の中国私論』が絶賛発売中。最新刊は、『「読まなくてもいい本」の読書案内』(筑摩書房刊)●橘玲『世の中の仕組みと人生のデザイン』を毎週木曜日に配信中!(20日間無料体験中)
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