アメリカの80キロ退避勧告はSPEEDIの情報に基づいていたのか?


<以下、囲みは引用>
上杉  原発事故における政府や東京電力の対応の不備が、年末年始あたりから続々と明らかにされていますよね。たとえば、昨年12月に行われた国会事故調査委員会で文部科学省の担当者が、事故直後にSPEEDI(緊急迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のデータを米軍に提供していたことを明かしました。国内でSPEEDIの情報がすべて公開されたのは、事故から2カ月後ですよ。政府による情報隠蔽があったということが証明されたのです。 アメリカ政府が3月17日に自国民に対して80km圏外への避難勧告を出したのは、この情報に基づいてのことだった。今年2月に出されたNRC(米国原子力規制委員会)による報告書で、それは明らかにされています。しかし、こうした事実が公になっても、政府やメディアからの訂正はありません。
『Voice』2012年5月号151頁


検証結果:アメリカの80km圏外退避はSPEEDIの情報に基づいて行われたものではない。


  • 2012年2月、アメリカ原子力規制委員会(NRC)は情報公開法(FOIA)の求めに応じ、福島原発事故直後の電話会議の記録を公開した。記録には、事故のさいNRCが50マイル(80km)の避難勧告を決断した経緯が明らかにされている。しかし、そこには 上杉氏の主張とは異なり、SPEEDIにかんする言及は見られない 。80km退避勧告は、福島第一原発4号機の核燃料プールをめぐる誤報に基づいて発せられた事が明らかになっており、これは公開当時にアメリカの主要メディアでも報じられている。




1.米原子力規制委員会(NRC)によって公開された原発事故後の電話会議記録

  • NRCが公開した会議記録
3月11日3月12日3月13日3月14日3月15日3月16日3月17日3月18日3月19-20日3月20日

電話会議で避難勧告をめぐって議論されているのは4号機の核燃料プールの状況であり、勧告は3月16日に決定された(※16日p.129以降の会話記録)。放射性物質拡散の試算については、NRCの保有する RASCAL (Radiological Assessment System for Consequence AnaLysis = 影響分析のための放射線評価システム) が会議のなかでたびたび言及されている(※16日の記録p.29417日の記録p.413での発言等)。また、これらRASCALの試算データは避難勧告にかんするNRCの文書にも添付されている。 全会議記録を通してSPEEDIへの言及はなく、また避難勧告をめぐってSPEEDIの情報を考慮したと推定されるような発言もない。

<以下引用>
3月16日水曜、我々はアメリカ政府当局と協力し、米国市民に原発の80km圏内から避難するよう勧告する決定をした。NRCによる在日米大使館あての避難勧告は、在日米国人の健康と安全を護るためにだされた。我々の評価は当時理解していた条件に基づいている。状況を把握する日本当局者との接触が限られており、当時の原発の状況には広範な不確実性があったため、潜在的な放射能災害を正確に評価することは困難であった。 適切な避難範囲を決めるにあたって、NRC職員はRASCALのコンピューター・コードを用いて周辺の潜在的な影響を評価する一連の計算を行った。 計算モデルは福島第一原発近辺に適した気象学的モデルを用いた。ソース・タームは燃料棒の損傷や格納容器その他拡散状況についての、仮定だが不合理ではない評価に基づいていた。これらの計算では、原子炉や使用済み燃料プールからの〔放射性物質の〕大規模な拡散があったばあい、福島原発の80km圏外という、EPA(合衆国環境保護庁)の防護措置ガイドラインを超過した避難距離になりうることが判明した。米国の緊急準備枠組の規定では、状況に応じて緊急避難範囲を拡大することになっている。この枠組みに則り、当時入手しうる最大限の情報にもとづいて、NRCは米国市民の80km避難が賢明な措置であって、米国での近似状況下でも同様の措置がとられるだろうと判断し、そうした勧告を大使その他の米国政府高官にだすこととなった。

NRCのサイトでは、情報公開法(FOIA)に基づく要請に従い、福島の原発事故に関連する文書・メール等の記録が公開されており、SPEEDIに関連した文書記録も見ることができる(※日本の原発事故に関するFOIA関連文書:FOIA/PA-2012-0160)。それによれば、NRCには3月16日分からのSPEEDIデータが送られてきていることがわかる。しかし、関連文書やメールを見るかぎり、 避難勧告がこれらのデータに基づいていたことを示すものは全くない 。避難勧告を正当化するデータとして、諸々の文書やNRC関係者のメールが言及しているのは、いずれもRASCALのものである(※公開された資料を見るかぎり、NRCの関係者がSPEEDIのデータについて具体的に言及しているのは、避難勧告がだされた後の3月26日のメールのみである)。

上杉氏の言う、” 避難勧告がSPEEDIの情報に基づいていた事を明らかにしたNRCの報告書 ” なるものは 存在しない (※NRC文書データベース)。そして上杉氏の説明は、上記のようにNRCによって公表されている事実とはくい違っている。

2.ワシントン・ポストおよびニューヨークタイムズの記事

ワシントン・ポスト:「福島をめぐるNRC電話会議、初期の切迫感と混乱を示す」スティーヴン・マフソン 2012年2月21日
<以下訳出>
昨年日本でおきた津波から数日間の電話会議の記録が、火曜日〔21日〕NRCによって公開された。その記録は福島第一原発での緊急事態をめぐる初期段階の切迫感と混乱をあらわにしている。

記録にはまた、NRC議長グレゴリー・ヤツコが、米国人に原発から50マイル〔80km〕への退避を勧告するという、物議をかもした決断をくだす根拠になった長い議論も収められている。それによると決定は、福島第一原発の使用済み核燃料プールのひとつが干上がっており、その隔壁が、当局者の言葉によれば、「崩れ落ちて」放射性物質を放出しているという、現在では間違いとされている事故評価に基づいていた。

ニューヨーク・タイムズ:「会議記録は日本の原発危機当初の米国での混乱を示す」 マシュー・ウォルド 2012年2月21日
<以下訳出>
ワシントン-昨年3月に福島の事故がおきた当初の数時間および数日間、原子力規制委員会〔NRC〕本部は何か「戦場の霧」に似たものに覆われていた。NRC議長は火曜日〔21日〕、地震から数時間後に行われた内部電話会議の秘匿記録を機関が公開したさい、そう語った。

NRCには日本政府と東京電力-福島第一原発を震災後の津波にやられた公益事業会社-から得た情報もあったが、記録のなかで当時事故評価を語っている当局者たちによれば、大半の情報はニュース報道から得られたものだった。

たとえば災害の二日目、当局者の一人が使用済み核燃料プールでの「沸騰にかんする未確認の報道」に言及しているが、報道では六つの原子炉のどれがそうなのか言われておらず、米国で類似の原子炉を監視していた関係者を苛立たせる曖昧さがあった。

今から見れば情報の幾つかは単に間違っていた。NRCの技術者ジョン・マニンガーは、4号機での爆発は燃料プールをこじ開け、そこには原子炉以上の放射性物質があり「少しも水が残っていない」と報告している。「砂を中に落とし入れる事などについて誰かが話している」と彼は付け加えている。

NRC議長グレゴリー・ヤツコは、4号機のプールに水が残っていないと信じたせいで、米国人に半径50マイル〔80km〕圏外-日本政府の勧告よりはるかに広い範囲-への退避を勧告する事となった。 しかしNRCの当局者は火曜日、じっさいに放射性物質の拡散があったのだから決断は正しかったと述べた。

参考
『新報道2001』(2012年3月11日)(Dailymotion):NRCの公開された電話会議記録と避難勧告のさいにRASCALを用いた事への言及がある(7分15秒あたり)
NRC(アメリカ原子力規制委員会):情報公開法(FOIA)に基づき公開された日本の原発危機関連文書
原発事故対応の世界基準』:アメリカはじめ海外各国において原発事故のさいの国際的な避難基準は80kmであるという上杉氏の説の検証


更新
2012.10.03 オンザウェイジャーナル2011年12月01日放送からの引用を追加
2012.10.13 文章表現など微修正
2012.10.20 退避基準にかんする検証を分離、避難の世界基準として独立項目に。