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●日体協会長退任挨拶/3月23日の評議員会にて(4月1日)

3月末をもって、日本体育協会の会長を退任しました。2005年4月の就任から、3期6年間。なんとか無事に役割を全うできたのではないかと、肩の荷を降ろしてホッとしています。

その退任直前の3月11日、東日本大震災という未曾有の大災害が発生しました。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りし、被災地の皆さんに心からお見舞いを申し上げます。

いまも被災地では多くの方々が避難所などで苦しく不便な生活を強いられています。募る不安や睡眠不足、ストレスなどを少しでも解消し、被災者の皆さんを勇気づけたい。もちろん政治家として取り組むことは多々ありますが、体協会長の立場からも何ができるか考え、各地域の体協や加盟競技団体に対し、率先して避難所へ行き、被災者の皆さんをスポーツの力で励まし、元気づけるよう、最後の評議員会で要請しました。

ボールを蹴ったり、キャッチボールをしたり、体を動かしたり、何でもいいんです。そういうことをどんどんやってほしい、と。それが地域スポーツに根付いた体協の役割なのです。被災地の状況は容易ではなく、避難生活の長期化も予想されているだけに、体協が地方の競技団体と連携し、それぞれのアスリートにも協力を求め、被災者支援という面でも大いに存在感を示してほしいと願うものです。

さて、この6年間を振り返れば、そもそも体協の会長になるなんて、夢にも思っていませんでした。政治の世界では、「このたびは図らずも、この地位に就きました…」なんて挨拶をよくしますが、実際は図って図って図りまくって、総理や閣僚、党役員のポストを手に入れているものなんです。しかし、わたしが体協会長に就任した経緯は、正真正銘の「図らずも」でした。

日本陸上競技連盟会長で当時は衆院議長も務めていた河野洋平氏や、日本サッカー協会最高顧問だった長沼健さんからご推挙いただいた上、早稲田大学ラグビー部の先輩である日比野弘体協会長選考委員長からもお話があり、「もう逃げられないな」と思ってお引き受けしたのでした。

もちろん、わたしが会長に就くことにより、体協にはどんなメリットがあるのか、考えました。総理の役目を終えた人間が、このポストにいることが良いのかどうかということも。だから、歌の文句じゃありませんが、まずは謙虚をもって旨とし、目立たぬように、控えめに、そして、珍しがられないように、そんな気を遣いながらやってきた6年間でした。

体協が取り組んだ課題は、いくつもありました。常々、よく言われるのは国体改革ですが、これはなかなかやりきれませんでした。国体改革を取り仕切る泉正文国体委員長は、ある時は厳しく要請し、ある時は低姿勢にお願いもしましたが、わたしたちが求めるような結論にはなかなか至らなかったのです。なぜなら、国体を構成する競技団体の長や地方の体協の代表という仲間内だけで議論するので、結局は地域と自分のエゴしか出てこないのです。そこに賢明な解決策を求めるほうが難しかったのかもしれません。

しかし、たかが体協、されど体協です。日本のスポーツ界の裾野にあり、あまねく地域にまで普及していくという意味において、体協は大変大きな存在です。世の中はどんどん変わり、オリンピック種目にも新しい競技が入り、日本にも新しい競技が普及する。それらを一切、仲間はずれにはできないはずです。わたしが日本協会会長を務めるトランポリンにしても、オリンピック種目にまでなっているのに、国体種目にはなっていない。それは、既存団体が新しい種目を加えようとしないからです。「主催県が必ず一位になる」「いや、一位でなければならない」という国体の改革もやりきれなかったのは、非常に残念です。「よく考えて判断しないと、国体無用論、体協無用論になってしまいますよ」ということは、会長退任の挨拶でも強く申し上げました。

一方、国会では、約50年ぶりにスポーツ振興法を改定し、スポーツ基本法が制定される見通しになりました。自公政権の時代、すでに両党案が国会に提出されていましたが、民主党政権になって潰されました。メンツにこだわったのか、その後、民主党はあらためて政府提案で法案をまとめつつあります。内容は自公案を土台にしたものであり、各党の合意が得られるでしょう。わたしは、以前は自民党で法改正の推進役でしたが、体協会長就任後は受益者としてお願いする立場になり、それがかえって法制化には良かったと思っています。スポーツ庁の創設なども盛り込んであり、日本のスポーツ振興にとって歴史的な改革にしなければなりません。

もう1つ、心から良かったと思ったのが、2006年に創設した「日本スポーツグランプリ」です。全国には、80歳や90歳になってもスポーツを黙々と続け、無名で顕著な功績を挙げておられる方が大勢いらっしゃる。そうした方々を、天皇皇后両陛下をお迎えした懇親会で、生涯スポーツ社会の実践者として表彰するのです。陛下からお言葉をいただいたお年寄りが、涙を流して喜んでいる姿に接すると、こちらまで嬉しくなります。

最大の課題は、1964年東京オリンピックの年に移設した体協やJOC本部が入る「岸記念館」の改築です。所有者の財務省、隣接施設の東京都など多くの調整で結論が出ず、継続協議になっています。幸い、財務省、文科省、とくに東京都の石原知事にも理解を得ているので、良い方向に向かうものと期待されます。

日本体協は、講道館柔道の創始者・嘉納治五郎氏が創立した「大日本体育協会」を前身とし、ことし7月で100周年の節目を迎えます。天皇皇后両陛下を招いた式典も計画しており、わたしも実行委員長だけは続けて最後のお勤めをしますが、わたしの体協への最大の貢献は、財界の雄であるトヨタ自動車会長の張富士夫さんを、後任の会長にご推薦し、承諾いただいたことだと思っています。子どもからお年寄りまで、広く国民の中にスポーツを普及し、生涯スポーツ社会を実現してほしい。ラガーマンとして、スポーツの偉大な力を知る一人としても、そう期待しています。

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