昨日、母校の東京大学でバカ田大学の話をしたとき、こんなことを考えて、お話した。
これまで、東大にせよ、学力テスト(ペーパーテスト)で点数をつけて、点数の高い順番に入れる、という入試をしてきて、それが「フェア」、「公平」だということになっていたけど、本当にそうかなあ。と。
例えば、文字が読みにくい難読症(ディスレクシア)の方とか、学習障害の方とか、さまざまな脳の個性を持った方もまた、東大にせよ、どこの大学にせよ、学びたいという気持ちはあるわけで、そのような方が、大学の授業にアクセスできないというのは、ほんとうに公平なのかなと。
ペーパーテストが得意な子が入るということは、結果として、脳の個性のスペクトラムの中で、ある偏った部分の方だけを入れてきた、ということにならないのかな。
それって、本当にフェアなのかな。
そんなことを考え、感じ、お話しました。
むずかしい話だということはわかっています。
定員が限られているなかで、たくさん応募があるなかで、どのように選択するか。
大学入試のあり方、ほんとうにむずかしいけど、上のように考えることもできる、という参考までに。
みなさんは、どう思われますか?
東京大学の関係者の方のご意見も、うかがいたいです。
これまで、東大にせよ、学力テスト(ペーパーテスト)で点数をつけて、点数の高い順番に入れる、という入試をしてきて、それが「フェア」、「公平」だということになっていたけど、本当にそうかなあ。と。
例えば、文字が読みにくい難読症(ディスレクシア)の方とか、学習障害の方とか、さまざまな脳の個性を持った方もまた、東大にせよ、どこの大学にせよ、学びたいという気持ちはあるわけで、そのような方が、大学の授業にアクセスできないというのは、ほんとうに公平なのかなと。
ペーパーテストが得意な子が入るということは、結果として、脳の個性のスペクトラムの中で、ある偏った部分の方だけを入れてきた、ということにならないのかな。
それって、本当にフェアなのかな。
そんなことを考え、感じ、お話しました。
むずかしい話だということはわかっています。
定員が限られているなかで、たくさん応募があるなかで、どのように選択するか。
大学入試のあり方、ほんとうにむずかしいけど、上のように考えることもできる、という参考までに。
みなさんは、どう思われますか?
東京大学の関係者の方のご意見も、うかがいたいです。
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若い才能を随分無駄に逃してしまっていたんだね。
あぁ~モッタイナイ!
というレベルを成熟度2として、未来の知識、価値体系をレベル5とするなら、どんなテストをしてもレベル3、4を評価できなければ、大差ないのでは?
出題者の未来予測能力を超えた学生を取りたいのであれば、オリジナリティーだけを評価する出題のAO入試枠を確保すればいいのでは。
既存の知の価値体系がレベル2だという自覚が大切かと。
そろそろ、入試に重きを置くのをやめに出来ませんかねぇ。
学ばなければ卒業出来ない、そういうシステムになるといいですね。
その「学ぶ」ではないことは
みなさん、
周知の事実だとは思います。
これから先 100年後か200年後になるかわかりませんが、
そんな時代があったんだ、と。
そう思うと、
今って、なんなのでしょう?
そして
究極的には「人類の学び」って 何に向かっているのでしょう?
あらゆるジャンルの本を読むのが大好きで、茂木さんの本も興味深く読ませていただいており、高校の福祉科を卒業したら、生命科学の勉強がしたい!と意気込んでいた息子ですが、LDの支援を得るために通っているサポート校の指定校推薦では福祉系と経済の大学しか選べず、一般受験ではLDがハンデとなっています。
寝ても覚めても学ぶことが好きで、たくさんの本をリュックに日々前向きな息子に、学ぶ機会を与えたいと願って止みません。
違いをハンデとせずに、誰でもが学びたいことが学べる世の中になってほしいです。
先天性の小児がんを乗り越え、人の助けになりたいと福祉科で頑張っている息子が、初めて自らの意思で自ら学びたい事のために動こうとしています。
本人は、ひたすら頑張るそうですが、親としては、せめて同じ土俵に立てるような受験体制があればと夢見ています。
私は、学習障害(診断はしてもらってませんが)の子供の親です。みんなと比べたらできないけど、彼なりに色々と学びたい‼︎気持ちは強いのかな〜と私は感じています。
変わるといいな〜
茂木さんが言った事で、何かの一歩になりますように‼︎
担任の先生からは、大学に行っている人も沢山いますと励まされましたが、まだまだ壁は厚いです。
受け入れてくれる高校もなかなかなのに、大学となると率先して、受け入れ体制を整えてくれるところがあれば、励みになるのですが。
地方だとまだまだです。
いつかは学びたい人が、誰でも受験できる体制になると良いなと願ってます。
何を学ぶ場なのか、といった
教育の場としてのあり方の問題を考えさせてくれました。
私はLD、発達障害の子ども(小学生から高校生)を専門に学習指導をしていますが、
文字が上手く書けなかったり、漢字や英単語が覚えられない、
読むのが非常に遅いか、読む事そのものが困難といった「勉強ができない」問題が、
その子の知的水準や理解とは全く関係ないということを常々感じています。
たとえば教室にはIQ130から140というお子さんも来ますが、
学校の成績は非常に悪く、本人にも自信がない。
それは、その子が書くことに困難があり、
漢字やスペルが書けないから、ということがほとんどの原因です。
やる気もあり、内容をすべて理解しており知識も豊富・・・おまけに独創性もある。
米国で言う、ギフテッドのお子さんたちだと思いますが、
こうした子どもが、大学入試以前に、高校入試すら受かりませんし、
学校でも評価されないのは、
おかしいと学校も思わないのか不思議でたまりません。
>ペーパーテストが得意な子が入るということは、結果として、脳の個性のスペクトラムの中で、ある偏った部分の方だけを入れてきた、ということにならないのかな。
まさに言語性優位で視覚認知も高く、短期記憶力の高いお子さんだけを選別してきたのではないですか。
子どもにどのような力をつけさせたいのか、
大学でどのような人間を育てたいのか、
それに沿ったテストであれば、
形式はもっと自由にできるはず。
茂木さんのような方が疑問を呈し、
発信して下さること、大変心強いです。
多様な人間が社会を構成しており、その中には情報の処理に個性がある人も含まれる。
こうした多様性を学校の現場でも認め、評価のあり方についてもっと考えてもらいたい・・・。
僕は茂木さんの意見に同意します
大学入学後に受ける授業カリキュラムは大学ごとに比べてもあまり大きな違いがないように思えます(進度の速さや細かい違いはあるかと思えますが)
という事は入学前のテストでランク付けされ合否が決められるのは違うんじゃないかなと思いました
1番大切にするべきなのは学びたいという気持ちだと思えます
学力があっても学びたいという気持ちは無く、ネームバリューを求めて入学する人もいるでしょうけど、そういう人よりも学力面ではその人より劣るけれど学びたい気持ちは強いそんな人を入学させた方が、大学側もメリットあると思いますし科学へ貢献してくれる人もそういう人だと僕は思えます
大学教育の目的が学問を学び、追究することである限り、大学には学問に対する適正の高い人が入学するべきです。
難読症だと残念ながら学問適正はとても低いでしょう。テキストなどが読めないと大学に通うことは厳しいと思います。
茂木さんもよく仰るように、今日ではインターネットの普及によってタブレットなどで学習することが可能なので、大学での学びに固執する必要はありません。
そして、入試は基本的にペーパーテストで問題無いと思います。ペーパーテストでは受験の範囲をしっかりと学んだ人が高得点を取ります。高校での勉強は学問の基礎となり、また、一生懸命勉強に取り組む姿勢は大学入学後も非常に重要なので、ペーパーテストで高得点を取る人は学問適正が高いと言えるでしょう。
ただ、ある科目だけ抜群に秀でている人は将来それに関連する学問の分野での研究で功績を残す可能性があるので、そういう人には特別な措置を取って入学できるようにするべきです。ペーパーテストで測れない非典型的な学力を持つ人に対してもAO入試などで対応していくのが良いと思います。
ものさしの種類が増える事で、公平性も増します。
大学の先生方の負担を減らすために今にような制度になっているように思います。
負担を減らすために、研究者、講師、メンター、秘書を完全に分けるべきではないでしょうか。
研究に集中する事で成果も上がりやすくなり、雇用を増やす事もできます。学生の選抜方法も増えるはずです。
何より、アカデミック職業を希望する人も増え、小中高校生の勉強に対する意識も変わって来ると思います。
あと一つ、大学が予備校と提携して、予備校を開くのはどうでしょう。予備校と言っても補欠入学をさせるものです。
その予備校の中で、優秀な生徒を入学させる制度を導入します。
さらに生徒全員に、大学の実験に協力(モニター)することを義務づけます。
資金を集めつつ、教育の臨床実験現場にもなり、大学が求める人材をより確実に手に入れれる訳です。
妄想を長々とすみませんでした。
上は中学生でタブレットを使って学習しています。
しかしながら、小テストやなんかも紙ベースですし、いろんな部分で不利だなと感じています。
学校側はもちろん、最大限の努力をしてくださり、できる限りの配慮をしてくださるのですが、高校入試は紙ベース…しかも記述式…どこまで配慮していただけるかは不明です。
高校入試にどう向かっていけばいいのかすら分からず、モチベーションを保つのすら難しいのが現状ですね。
大学入試がもっとオープンに変わったら、高校入試も変わると思います。
損をしている事がかなりあったと思います❗社会に出ても書類に文字を書く機会は、多い時に読みにくい字ではと、心配になりますが、得意な事で補うか、より考える事と思いました❗
違いますが、テレビ情報で早稲田の学生さんで自閉症の方が就職活動で面接などで困難になることがあるので、サークル活動をしているというニュースでした。
実際に社会に出ていく事が、困難な事も多いと考えさせられました。
先生は、LDさんやASDさん、ADHDさんなどは、脳の個性のスペクトラムと表現されるのですね(先ずはそこに感動しています)!
私は、脳の機能の偏りがあるからこそ、特化する人達が現れ、またそこから素晴らしい発見や発明などが生まれている、と考えています。
でも、その人が成長して学習するには、気が遠くなるような、環境を整えるための支援が必要な人もいます。
それを考えると、学習をする環境を整えるためにも、柔軟な人選(受験者)が必要ではないか、と思います。
例えば、書くことが難しい人には、タブレットのようなもので解答を出してもらったり、
想像することが難しい人には、画像や動画等を使った問題提示、
聞くことが難しい人には手話や、人工内耳をしている人には、コミューンという機械でより聞こえやすくする。
などの受験できる環境を整えてあげるのも
フェアにするのに助けとなるのではないでしょうか?
そして、色んな可能性を持った人が、学びたいと思う希望が叶えばいいなと思います。
> 塾講師です。ディスグラフィア(書字障害)を教えています。大学が学問を学び教える場である限り「優秀」な生徒を採用すべきですが、その基準は多様であって良いのでは?例えば知識量の多寡で選ぶもよし、記述問題のみにして思考力を見るもよし。またディスグラフィアやディスレクシアに対してはペーパーではなくタブレットで解答できるなどの方法を採択してほしいです。切実!
東北大の理工学部は、半数をAO入試でとっていると〜
試験で、合否をだすのも必要だと思います。
しかし、高校時代までに何かに長けていることを認める入試が推薦であったりAOだと思います。もちろん、大学によって推薦のハードル、AOのハードルは違います。
AO入試は、某有名私立K大学がAを20年以上
に始めました。試験で入学する学生に偏りがあると感じたからではないでしょうか?
国を牽引していく大学には、いろいろな体験をした学生が必要だと思います。机上では計れない事が国内、海外では起こるからで
す。
もちろん、茂木さんがおっしゃる能力に長けた学生の入学枠もあって然るべきだと思います。日本の良さである同一感は、いま海外と勝負するとき壁になっているのかもしれません。
改革には、まず国立大学から必要なのかも知れません。
今の社会で、皆 何を望んで、何を望まれて、大学生してるのかなぁ‥
と50歳を迎える現役 熟女子大生の私は思うのです‥私も若い頃は気づきもしなかったけれど。
みーんな、学びたい気持ちはあるんだ!
松、竹、梅 というのはどうでしょう、」と言ったら、他の先生方の目が点になってしまったとか、、、勿論却下されましたが(笑) スミマセン、、、、
ペーパーテスト枠があってもいいし、お金を多く積んだ バ カ息子枠があってもいいし、抽選ラッキー枠があってもいい。
多様性が大事だと思う。
られるべき。
その権利は保障してほしいです。