マイナス金利 黒田氏の決断
2月1日 20時15分
1月29日、日銀は、日本で初めてマイナス金利政策を導入すると発表しました。
銀行が日銀の当座預金に余分にお金を預けるとペナルティーとして「手数料」をとるというもので、銀行のお金を貸し出しや投資に回すよう促し、経済の活性化やデフレ脱却につなげようというねらいがあります。
しかし、このマイナス金利政策の導入については、直前まで黒田総裁が否定的な考えを示していたこともあって、市場は意表を突かれた形となり、一時、混乱する場面もありました。
「サプライズ」の演出には成功した一方で「市場との対話」には課題を残したと言われる今回の決定。黒田総裁はなぜ前言を覆し、マイナス金利の導入を決断したのか。経済部、金融担当の芳野創記者が解説します。
マイナス金利導入を否定していた黒田総裁
「マイナス金利だ!」
その瞬間、大手証券会社のディーリングルームではどよめきが起こりました。日経平均株価は、あっという間に600円近く急騰。その後は270円余りの下落に転じますが、再び持ち直し、476円の値上がりで取引を終えました。
「かなりのサプライズだ」
銀行のディーリングルームでも驚きの声があがりました。外国為替市場では、1ドル=121円台半ばまで一気に円安が進んだあと、値動きの荒い展開になりました。債券市場では、長期金利が1日には、一時、0.05%まで大きく低下し、過去最低を更新しました。
東京市場を大きく揺さぶった日銀のマイナス金利政策。市場関係者の中で予想していた人はほとんどいませんでした。なぜならこの僅か8日前に黒田総裁が導入に否定的な考えを示していたからです。
1月21日、黒田総裁は、参議院の決算委員会で「次の追加緩和はマイナス金利しかないと思うが、どうか」と迫る議員の質問に対し、次のように述べていました。
「日銀の政策手段には現時点で行っている量的質的緩和もありますし、その他さまざまな手段はあると思います。けれどもマイナス金利についてはプラス面、マイナス面いろいろあると思います。現時点ではマイナス金利を具体的に考えていることはございません」
その前日にも参議院の予算委員会で、銀行が日銀に預けている当座預金につけている金利を引き下げるべきではないかと問われた黒田総裁は、「当座預金につけている金利は、大量のマネタリーベース(日銀が供給するお金)を円滑に供給することに資するものだと考えていまして、引き下げということについては検討しておりません」と答えていました。
過去の黒田総裁の発言をひもとくと、マイナス金利を含め、日銀に預けている当座預金につけている金利を引き下げることに一貫して否定的だったことがわかります。
去年10月の記者会見では、「引き下げは検討しておりませんし、近い将来、考えが変わる可能性もないと思っています」とまで言い切っています。
“君子”ひょう変の理由は
それでは黒田総裁がこれまでの考えを覆したのはなぜなのでしょうか。
まず、年明けから続く金融市場の混乱がデフレ脱却の支障になりかねないと危機感を強めたことがあります。
黒田総裁が国会でマイナス金利の導入を否定した1月21日、東京市場では、原油価格の急落を受けて日経平均株価は、400円近く値下がりし、1万6000円近くまで下落。この時点で年初からの値下がりの幅は3000円を超えていました。さらに外国為替市場でも1ドル=116円台まで円高ドル安が進みました。
『市場の混乱の影響で企業や家計の心理が悪化すれば、物価も押し下げられ、物価上昇の基調が崩れかねない』と黒田総裁は判断。
スイスで開かれるダボス会議に出発する前、事務方に「仮に追加緩和を行うとしたらどのような選択肢があるか検討してもらいたい」と指示したといいます。黒田総裁がダボス会議に向けて出発したのは、22日の未明。その前から日銀内で追加緩和の可能性について具体的な検討が進んでいたことになります。
アベノミクスの信認回復のねらいも
この時期には、政府内からも「追加緩和」ということばが出てくるようになりました。1月20日、菅官房長官は、記者会見で次のように述べました。
「日銀の黒田総裁は、常日頃、物価の基調に変化があって2%の物価安定目標のために必要になれば、ちゅうちょすることなく追加緩和を含めて対応すると述べておられます。日銀と政府は、しっかり連携しながら、世界全体を注視していきたいと思っています」
これを日銀内では『追加緩和を期待するメッセージだ』と受け止めた人もいました。折しもアベノミクスの司令塔だった甘利前経済再生担当大臣の問題が発覚し、アベノミクスへの信頼感が一気に揺らぎかねない状況でもありました。
そもそも日銀自身が、29日の金融政策決定会合では、2%の物価目標の達成時期を先送りせざるをえない状況に追い込まれていました。原油安が主な要因とはいえ、達成時期を遅らせることになれば、これで3度目。アベノミクスの主軸となってきた日銀のデフレ脱却に向けたが政策の有効性が問われかねない状況でした。
金融緩和限界論を打破したかった
それでは日銀が出した答えがなぜマイナス金利だったのでしょうか。
そこには、できるだけ市場のよい反応を引き出したいという思惑があったとみられます。日銀はすでに大量の国債を買っており、国債を買い続けるのは遅かれ早かれ限界にぶつかると指摘されていました。
市場関係者からは「追加緩和で国債の買い入れ額を増やすだけでは、市場の失望を招くだけだろう」という声も聞こえていました。日銀としては、従来とは別の「新たな緩和策」を打ち出す必要があったわけです。
黒田総裁は、今回の措置について「従来の量的・質的緩和の限界を示すものでなく、それを含めた3つの次元でさらに金融緩和を進めることができる」と、これまでの大規模な金融緩和を進化させたものだと強調しました。
課題を残した「市場との対話」
黒田日銀の金融政策の本質は、強いメッセージを発信して「期待」に働きかけることです。
2013年4月の就任直後の「異次元緩和」。そして、よくとし10月の追加緩和に、市場は好感し「サプライズ」を演出することに成功しました。
今回、黒田総裁がこれまでずっと否定的だったマイナス金利の導入を発表したことで、市場には「日銀は“サプライズ”効果をねらうあまり、市場との対話をおろそかにしているのではないか」という厳しい見方も広がっています。
黒田総裁としては、発言どおり『マイナス金利の導入は考えていなかったが、事務方から強く進言された』というストーリーなのかもしれませんが、なぜひょう変したのかの説明は不十分だったと言わざるを得ません。黒田総裁の発言を額面どおり素直に受け取れなくなったことで、日銀と市場との神経戦は今後、激しくなりそうです。