わが青春の追憶

砲術学校

鬼より恐い砲術学校

海軍には、専門的な教育をする学校が各種あって、試験に合格した者が練習生として入校し、特殊な技術を習得のうえ、実施勤務において重要な配置に就くのである。
海軍の学校には、指揮官を養成する江田島の海軍兵学校とか、幹部軍人となる海軍大学もあるが、これは、中学校を抜群の成績で卒業した者が、激しい受験競争に打ち勝って入校するところであり、我々尋常小学校しか出てない者の進むべき学校は、砲術学校を始め、水雷学校、航海学校、通信学校、工機学校、潜水学校、航空学校、航空整備学校などがある。さらに教育課程として、普通科、高等科、専修科、特修科の段階がある。
そして普通科練習生を卒業していないと、下士官に任官できないし、高等科を終えて兵曹長に進級する資格を得るのであった。そのため志願兵は勿論のこと、徴兵であっても下士官に進みたい者は、学校に入らなければならないのである。だが、普通科の特技を身に付けると、徴兵であっても志願兵として取り扱われ、三年の兵役が更に三年延長されるので、早く家に帰りたい者は学校に行こうとしない。
海軍の学校は、技術や知識を修得することのみが目的ではなく、厳格な規律と軍人精神を修養する所として若い兵たちに恐れられていた。
特に横須賀の砲術学校は、厳しいことの代表的な学校として、
『鬼の日向か地獄の伊勢か、それより恐い砲術学校』
と、兵隊たちを震え上がらせていた。

呉海兵団で一緒になった連中は、一等兵、二等兵は少なく三等兵の同年兵が多かった。呉駅で汽車に乗り、呉線、山陽本線、東海道本線と、久し振りの娑婆の空気にはしゃぎながら横須賀駅に着き、衣嚢を担いで砲術学校に向かった。
市街地を通り追浜の地獄地帯に入った。横須賀海兵団、工機学校、航海学校を通り過ぎてトンネルに入った。
「今から砲術学校の営門にかかる。俺が指揮をとるから俺の号令に従ってくれ。皆しっかり頼むぜ」
呉から一緒に来た一等水兵の号令で、二列縦隊になり歩調をとって進んだ。営門の前には善行章を付けた一等水兵が立っていた。
「頭、右」
歩調をとって衛兵の前を通り過ぎようとした。
「おい止まれ、貴様たちは何処から来た兵隊だ、そんな態度では本校に入ることはできん。もう一度やり直し」
「はい、回れ右、前え進め」
「馬鹿者、移動する時は駆け足だ、うろうろするな早くしろ」
その駆け足がまた遅いと、早駆けで何回となく走らされた。真っ白い夏の軍服に重い衣嚢を担いで、ヘトヘトになるまでやらされ、軍服が汗で濡れてきた頃、やっと校内に入ることができた。

横須賀海軍砲術学校は、名称の通り砲術を教育するところであるが、その内容はいろいろと分かれている。砲に関するものには、拳銃、小銃、機関銃、高角砲、大砲があって、それを的に命中させるための測的術などもある。さらに海軍でありながら陸上の戦闘を教育する班もあって、それぞれ専門的に分けた班が編成されている。

砲  術
 水 上 班
  ・中小口径砲 (小銃から十五糎砲まで)
  ・大口径砲 (二十糎砲以上)
 対 空 班
  ・高角砲、対空機銃
測 的 術
 測 的 班
  ・測距、 探照灯
 幹 部 班
  ・射撃盤、発砲電路
陸 戦 術
 陸 戦 班 (千葉県、館山にあった)

私がどこの班で勉強するかは、適正検査によって決まる。それまでは仮入校ということで、対空班の兵舎に入ることになった。
「今日来た者はよく聞け。貴様たちは仮入校であっても、この対空分隊で飯を食う以上はここの規律に従ってもらう。対空班は日本海軍中一番厳しいところだと思え。まず貴様たちに守ってもらうことは各自の行動である。兵舎外に出たときには必ず駆け足だ。二人以上であれば誰か指揮者になって号令をかけろ。行動は駆け足というよりも早駆けだ。兵舎内に居てもダラダラするな。ボヤッとしている奴は退校させるからそのつもりでおれ」
「それでは、吊床を渡すから取りに来い」
吊床のキャンバスと括り綱を受け取った。衣嚢と一緒に括ってある毛布を取り出そうとしたら、
「今から一斉に吊床を組んで事業服に着替えるんだ。吊床を組み終わったらネッチングに納めるんだぞ、分かったか」
「総員、吊床納め」
さあ大変、衣嚢を括ってある紐を解いて中から事業服を取り出し、軍服を脱いで事業服に着替え、続いて吊床の吊紐を一本一本キャンバスの穴に通 しては縛り付けていく。
「なんだ貴様ら、そんな手緩い動作で本校の練習生になれるか。遅いことなら猫の子でもやるぞ、もっと早くやれ」
教員たちは大声で怒鳴りながら、直心棒を振り回してそこらあたりを殴り飛ばすのだ。
やっと吊床を括り、ネッチングに納めた。ホッとして整列した途端、
「遅い遅い、こんなことで対空班の飯を食う資格はない。今から貴様たちを仕込んでやるから有り難く思え」
「総員、吊床下ろせ」
それっと、二階にあるネッチングから吊床を下ろしてビームに渡して吊る。
「総員、吊床納め。納める所は海岸だ、急げ」
兵舎から三百メートル離れている海岸まで、重い吊床を担いでの競争である。途中でほどけたり遅い者は余分に走らされる。誰も汗びっしょりだ。
「総員、吊床下ろせ」
今度は海岸から吊床を肩に、兵舎の二階まで早駆けだ。階段を駆け上がったところで、息が切れそうで倒れかかった。苦しい。だが負けないよう頑張った。
最初からこんな調子で徹底的にしごかれることになった。やはり「鬼より恐い砲術学校」である。

掃除も大変であった。兵舎内の模様は海兵団と同じであるが、木甲板に蝋を塗ってソーフで延ばしながら拭くので、『回れ、回れ』は一段と激しく、苦しく辛いものであった。
海兵団と違って新兵ばかりの編成ではない。善一も居ればオチョーチンも二水もいる。三水の中にも先輩がいる。だから私たち同年兵が一番若い兵ということで、ここでも新三等水兵である。
だから食事の支度や片付けは勿論のこと、何をやっても準備と後片付けは我々がやらされるのだ。勉強しながら余分に作業をするのだからたまったものではない。

翌日から適性検査が始まった。筆記試験と体力視力の検査である。といっても直感的な判断力とタイムを要求されるものが多かった。三日間にわたって行われた適性検査の結果 、私は測的術幹部班と決まった。これが今日から私に与えられた教育科目であり、実施勤務に着いても測的術に関係する部門に配置されるのである。幸運か、不運か。
測的幹部に選ばれた者たちは、海兵団の成績が優秀な者を集めて編成されたと聞く。田舎者の私だが、厳しい砲術学校で、どこまでやれるか頑張ってみよう。

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