わが青春の追憶

呉海兵団

寝るも起きるも訓練のうち

「総員起こし、総員吊床おさめ」
つづいて起床ラッパが拡声機から流れる。それっと一斉に飛び起きて吊床を括る。
吊床を括るには決まったやり方がある。括り綱で五か所を等間隔に、しかもキャンパスに番号の書いてある個所には綱が当らないようにし、キャンバスの合せ目を巻き込みながら全身の力で硬く縛るのである。だが、慣れないとうまくいかない。中の毛布を整えて端を折り曲げないと括ったカッコが悪い。長い綱を何回も巻くため束にしたまま縛るにはコツがあり、縛った綱の余りを硬い綱の間に交互に通すのだ。
この吊床が、戦闘のときには防弾覆いとなり、船が沈没したときには浮き袋にもなる。我々兵員の生命を守る大切なものであるため、水の入らないよう硬く括らなくてはならないと教えられた。
括られた吊床は、まるで人間一人を縛りあげたような形をしており相当な重さである。これを通路の上部にある吊床格納庫(ネッチングといっていた)に一本ずつ整頓して納め、事業服を着て教班ごとに整列し、教班係の私が当直教班長に報告するのである。

「総員、吊床おろせ」
これは起床の場合の逆をやればよいわけだが、なにしろ早く早くと怒鳴られ、殴られ、その上タイムを測り、
「吊床おろせ」
「吊床おさめ」
と、何回となく繰り返しやらされるのであった。
初めの頃は五分以上もかかっていたが、三分になり、二分になり、やがて一分三十秒ぐらいまでになる。タイムは号令が終わったときから整列して報告するまでであり、一人でも遅ければ教班全体が遅くなる。チームワークがうまくいかないと早くまとまらない。
ネッチングは通路の上部にあり、そこは二階になっていて柵がしてある。ここに上がる梯子は兵舎の両側に二か所あるだけだ。しかも狭いので一人ずつしか昇れない。ネッチングには各教班から二人上がって、吊床を下ろす時も納める時も、この二人にやってもらうのだが、遠くにある梯子を他の教班の後から上がっていたのでは遅くなる。だから、皆で二人をビームに押し上げてやり、終われば飛び降りる。これで何秒か速くなる。しかしこの方法は非常に危険である。以前に大怪我をした者があったから、やってはいけないことになっていたのだが、遅い時には飛び降りる。教班員の中から比較的手早い者を二人選んでこの役に当て、早く終わった者が二人を手伝うことにした。
ときどき括った吊床の検査がある。検査といっても一つ一つ調べるわけではない。全員重い吊床を担いで、兵舎外周を何回か駆け足で走らされるのである。そして、遅れた者は直心棒に追われながら、よけいに走らされるのだ。綱の締め方が緩いと吊床が肩から垂れ下がったり、綱が解けたり、ひどい場合は内臓がはみ出るものもある。こうして、括り方の悪かった者は、いつまでも「吊床おろせ」、「吊床おさめ」を繰り返されるのであった。
ときには、この重い吊床を小銃に例えられ「捧げ銃」「担え銃」「構え銃」と腕の折れそうなしごきを受け、汗と涙でクシャクシャになったまま寝ることもあった。
海兵団での吊床訓練は、夜毎このようにして鍛えられるのだが、一分間の壁はどうしても破ることはできなかった。それが、帝国海軍で一番厳しいと言われた横須賀海軍砲術学校では、五十秒の記録が出せることになるのだ。

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