わが青春の追憶

呉海兵団

飯を食うのも一苦労

「食事のときは、ゆっくりとよく噛んで味わいながら食べてよい、けれど支度と後片付けは早くしてくれ」
入団当初の教班長は、我々新兵になにかと気をつかって親切だった。言葉も優しく、笑顔で話しかけてくれた。それに、叱られたり殴られたりするようなことはまず無かったが、日が経つにつれて、教班長の態度が豹変してきた。まず声が大きくなり、言葉づかいも「やってくれ、覚えてほしい」が、「やれ、忘れるな」といった調子である。それに言葉だけではなく、次第に手や棒も同時にとんでくるようになった。
海兵団での食事は、
「食卓番整列」
で始まる。それっと各教班から四名ずつ飛び出して中央の廊下に並び、
「第十教班」
と報告する。遅れて列の後ろになると、烹炊所で食事を受け取るのが遅くなる。食事の支度も競争で、遅くなったら教班長はゴキが悪い。
「貴様ら、たるんどるから遅いんだ、それとも飯を食いたくないのか」
とさんざん怒鳴られたあげく、食事を抜かされることもある。
食事は一汁一菜で、それほど悪いものとは思われないが(実際は美味いも不味いも、味わって食べる余裕はなかった)、なにしろ新兵は腹が空いている、量が多く欲しい。飯やおかずの盛りつけに多少の不公平はあっても、自分たちがやったことだし、盛り直す時間もない。だから苦情をいう奴はいなかった。
ただ、教班長につける食事は細心の注意を要する。飯は軟らかなところを押しつけないように軽くつけ、魚は頭の方を、汁は中身を多く、漬物は二切れ(三切れは身を切るといって嫌われた)、箸には新しい晒を巻いておく。それでも気にいらないと食べてもらえない。教班長が箸をとらなくては、こっちも食べるわけにはいかない。何がお気に召さないのかハラハラすることが多かった。
「第十教班長、第十卓配食よろしい」
「おー」
と返事があればしめたもの。だが、ボート競技や銃剣術、水泳、相撲など、その日の競技に負けていたり、他の教班よりも劣っていたものなら、
「貴様らに飯を食う資格はない!」
食事を目の前にして、教班長が食べるのを横目で見ているだけのこともあった。
食事を目前にしての特別訓練は、食い気盛りの新兵たちにとっては腹にしみてこたえるが、それだけに覚えもよい。教班長が書く手旗信号を、読めた者から食べてよいとくれば皆が必死になる。最後まで読めない者もいるが、次のときには飯の怖さで読めるようになる。
また、こんなこともあった。それは課業のため急いで兵舎を出るときや、休憩中に緊急呼集がかかった際、腰掛けが机から離れていたり、帽子缶、衣嚢、手箱などを定位置に納めないまま飛び出すと、つまり整理整頓を忘れると、誰がやるのか白墨で「使用止」と大きく書かれるのだ。兵舎に戻ってから気が付いたのではもう遅いのである。我が十教班も一度腰掛けをやられたことがあった。
「使用止」と書かれた腰掛けをどうしたらよいのか分からず、立ったまま食事をしたのであるが、教班長からはさんざん皮肉を言われ、どんなに詫びても知らん顔。
「俺が書いたんじゃないから、書いた人の許しを受けろ」
と、取りつく島もない。他の十一人の教班長に許しを願っても、
「俺は知らん」
の一点張り。だからといって勝手に消せば更に重大なことになりそうだ。使用止めの腰掛けをそのままにしておけば使えないどころか、
「いらないものなら片付ける」
と教班長は言う。仕方がないので再三再四各教班長のもとへお願いに廻った。見るに見兼ねたのか、それとも誠意を汲んだのか、ある教班長が、
「うるさい!貴様らがボヤボヤしているから使用止めになったんだ」
怒鳴ると同時に二、三発ビンタが飛んできた。しめたと思ったら案の定小声で、
「分隊付のところへ行け」
と知らされた。
勿論、分隊付が簡単に許してくれるとは思っていない。教班係の私は、直心棒にお説教とさんざん油を絞られたあげく、
「次の食事を、三分間で食って片付けろ」
で、けりがついた。
それからというものは、どんなに急ぐときでも、手箱、テーブル、腰掛、帽子缶 、小銃の引き金など、整頓を確かめてから兵舎を出るように、誰もが気を付けるようになったのである。
籠の鳥のような新兵の楽しみといえば、食べることと寝るだけであった。一日の激しい活動に心身ともに疲れきってやっと座る食卓も、不安と恐怖のうちに急いで終え、ときには空き腹のまま水道の水を飲んで我慢する夜もあった。
ああ、腹いっぱい食いたいなあ。

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