蹴球探訪
手倉森監督 リオへの道はベンゲル流
来年1月五輪アジア最終予選
(10月7日)
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【サッカー】絆を育んだ「白い恋人」 最終メンバー入り逃した札幌・荒野の思い2016年2月2日 紙面から
◇連載<手倉森ジャパン リオへの軌跡1>「最弱世代」とやゆされた男子サッカーのリオ世代、U−23(23歳以下)日本代表が、6大会連続10度目の五輪出場を決めた。カテゴリーこそ違うが、A代表のザック・ジャパンが2011年のアジア・カップで優勝を飾って以来5年ぶりのアジア王者に輝き、日本の復権を印象付けた。激闘、激戦の末に待っていた“ドーハの歓喜と奇跡”。逆襲の裏側を計3回の特別連載で振り返る。 北海道の名菓「白い恋人」が、ドーハでチーム内にさらなる団結心を生んだ。1月3日に決戦の地に入ったU−23日本代表の戦士たちに、差し入れが届いた。送り主欄に書かれていたのは「荒野拓馬」。J2札幌所属の22歳MFは、12月の沖縄・石垣合宿まで最終メンバー入りを競いながら漏れた。 一つはチームに、もう一つはなぜかDF岩波(神戸)宛て。岩波は「何で俺に…」と当初は戸惑ったが、すぐにふに落ちたという。岩波は21歳ながらチーム内のまとめ役で求心力もあり、かつ選手誰もが気さくに話ができる存在。岩波は「俺は全然食べてない。みんなに取られた」と笑ったが、岩波所有の白い恋人争奪戦を通じ、選手間の距離がより縮まっていったという。 「チーム一丸」「まとまっている」。大会期間中、耳にたこができるほど聞いた言葉だが、その重要性をこの世代は痛いほど分かっている。苦い記憶がある。手倉森ジャパンの22歳の選手が中心だった2012年のU−19日本代表はもうひとつまとまりに欠け、空中分解。あと1勝に迫りながらU−20W杯の切符を逃した。3年前の“古傷”が教訓となっていた。 U−19、23の両代表を知るMF矢島(岡山)は言う。 「石垣からグッとまとまって、声も出るようになった。だから、ここに来られなかった選手の分も頑張らないといけないって思う。全員が本当にそう思えるチーム」 石垣合宿は残り2枠を競うサバイバルレースだった。その練習で先頭を走り、率先して声を出していたのが荒野。その荒野も盟友の無念を背負っていた。FW金森(福岡)は石垣合宿初日に右太もも負傷で離脱。「残り2枠は俺と金森でと話していたのに…」とこぼしていた。 金森から荒野。荒野から最終メンバー23人に渡ったたすき。選手個々は思いをつなぎ、走りきった。その先に待っていた歓喜。世界を知らない、アジアを越えられない最弱世代とやゆされた若者たちが手にしたのは大陸王者の称号と同時に、それ以上に価値のある強い絆だった。 (占部哲也) PR情報
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