auのiPhone5sからdocomoのiPhone6sにだ。
値上がりする前にショップに駆け込んで購入したのだった。
小学生の頃の今現在ガラケーと言われるものが基本的な携帯電話だった時代を思い出した。
季節ごとに出る作り込まれた携帯電話のカタログを読むのが良かった。
メーカーごとにそれぞれ特徴があって、キャリアによっても色があった。
カシオはauでしか売っていなかったり、富士通はドコモだけだったりというのもあった。
基本的にiOS搭載機かAndroid搭載機か2つしかないのだ。
どれもパソコンに近い。
iOSとAndroidという枠から基本的に出れない時代を良いという人はたくさんいるだろう。
しかし、これは今現在みなさんが叫んでいる多様性という言葉を写しているのかもしれない。
一見多様で自由と謳いながらも、ある枠から出てしまう者、気に入らない者は猛烈に叩かれたり、多様性と言いながらなんだかんだiPhoneが良いという格差があったりというものである。
iPhoneを買った後、自分もiPhoneのような上位、容姿のいい人間になりたいと思いながら酷いニキビ跡だらけの汚い顔、酷い容姿で惨めに新宿を歩いて家に引きこもるのだった。