2016-02-02

今の携帯電話には多様性がない

最近携帯電話を変えた。

auiPhone5sからdocomoiPhone6sにだ。

値上がりする前にショップに駆け込んで購入したのだった。

小学生の頃の今現在ガラケーと言われるもの基本的携帯電話だった時代を思い出した。

今よりも携帯電話を選ぶのが楽しかった。

色々な多種多様携帯電話が毎月発売された。

季節ごとに出る作り込まれ携帯電話カタログを読むのが良かった。

メーカーごとにそれぞれ特徴があって、キャリアによっても色があった。

カシオauしか売っていなかったり、富士通ドコモだけだったりというのもあった。

現在携帯電話売り場を見てみると、多彩なものはない。

基本的iOS搭載機かAndroid搭載機か2つしかないのだ。

どれもパソコンに近い。

ガラケーパソコンというよりも時計のようなものだった。

これは自分にとっては小学生の時の思い出だ。

iOSAndroidという枠から基本的に出れない時代を良いという人はたくさんいるだろう。

しかし、これは今現在みなさんが叫んでいる多様性という言葉を写しているのかもしれない。

一見多様で自由と謳いながらも、ある枠から出てしまう者、気に入らない者は猛烈に叩かれたり、多様性と言いながらなんだかんだiPhoneが良いという格差があったりというものである

iPhoneを買った後、自分iPhoneのような上位、容姿のいい人間になりたいと思いながら酷いニキビ跡だらけの汚い顔、酷い容姿で惨めに新宿を歩いて家に引きこもるのだった。

別に携帯電話の話がしたいのではなくて、容姿問題なのだ

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