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セッション33 1981年3月1日 Sum(v1.01)
Q1-2 セッションの進行に関する質問
Q3-5 カラー・セラピーというものについて
質問者: お答え頂き有難う御座います。 それでは次に、私が考えていた事として、存在らが日々の生活の中で体験する所の経験らに対しては、事前のプログラム行為の様なものの一つが存在しており…、その事によって、一個人が、彼の日常の生活の中で、或る特定の成長触媒らを確実に入手する事が可能となっている、という様な事態は存在するのでしょうか? 例えとして、我々が日常生活を経験する間には、其処で様々な物事を体験する事となります。 我々はそれらの経験を、以下の様に見なす事が可能であり…、其れらが純粋に”偶然の出来事である”と見なす事が可能であると同時に、あるいは、会合の約束らや、或る場所らへと意図して向かう場合の様に、其れが我々自身の”意識的な計画の一つによって発生したものである”、と考える事も可能であります。 私がふと考えていた事として…、その様にして、存在達の有する成長触媒・成長促進剤(catalyst)に対してもまた、いわば”舞台の裏側から”事前にプログラム行為の様なものが行われており…、其の事によって、ある存在達に関しては、彼らがより迅速に成長を行う事が可能となる為に、必要とされる経験らが(意図的に)作り出されている、と言う様な事態は存在するのでしょうか? その様な事が…、この様な状態とは実際に行われている事なのでしょうか?
ラー: ラーです。 我々の信ずる所では、我々とは、貴方の御質問の要点を理解したと考えますので…、(其の理解に従ってお答えを致したいと思います)。 しかしながら、もし、我々の理解が正しいもので無い場合には、どうぞ、更にお尋ね下さい。
この”受肉作業”というものが如何なるものであるかについてを認識する段階へと至った受肉存在…、従って、自身の体験する経験に対しては自ら事前のプログラムを施す様になった受肉存在とは、その一回の受肉の間に経験する所の触媒、その”量”を自ら選択する事が可能となって参り…、もしくは、この状態を異なった言葉で表現させて頂くならば、一回の受肉の間に体験する所の”レッスンらの数”…、その存在が引き受けて体験し、其処から学びを得る事となるレッスンら、其の数を自ら選択する事が可能となって参ります。 しかしながら、この触媒の量・数が自ら選択可能となっているという状況とは、”総ての運命・出来事が予め完全に決定されている”、という状態を意味しているのではなく…、寧ろ、其処には、目に見えない”ガイドラインら”が存在する事となる、という事であり、この事前のプログラミングに従って機能する所のガイドラインに沿った中で、出来事らが形成されて行く事となる、という事であります。 従って、或る存在に於いては、特定の経験を有する為の一機会を入手する事に失敗したとしても、(このガイドラインの働きによって)、新たな機会が其の存在の目の前に再び現れる事となり…、いわば、”生命経験を学ぶ学生”である所のその存在が以下を理解して、其処には或る特定の一レッスンが与え続けられている事に気付き、其の学習に対して取り組みを開始させるまで、其処には、新たな機会が現れ続ける事となる、という事であります。
質問者: それでは、それらのレッスンとは、存在の生命経験が継続されて行くに従って…、貴方なら恐らくこう表現されるかもしれませんが、それらレッスンとは、”再プログラムされて行く”事は可能となっているのでしょうか。 仮に、其処に一者が存在し、彼とは、受肉前には、実際には形成する事を選択していなかった様な或る(望ましくない)傾向性を新たに形成している、と仮定します。 それでは、その後、彼とは、経験らを(再)プログラムする事によって、その後、この予定されていなかった所の傾向性を緩和する為の、平衡化作業からなる一機会を有するという様な事は可能なのでしょうか。 正しいでしょうか?
ラー: ラーです。 仰られる事柄は、全くその通りであります。
質問者: お答え頂き有難う御座います。 それでは、(我々の受肉経験とは、或る段階以降、自らの計画の下に発生する事となる、という事でありますので…)、上の議論から、私が、いわば”憶測の中で引き出す”所の結論としては…、一存在にとっては、その心の中に有する所のその”方向性”だけが、(その周辺に於いて結果となって現れる所の出来事・現象、それらが如何なるものとなるかを決定する所の)、唯一の原因・要素となっている、という事でしょうか。 この存在が当物質界に於いて経験する事となる所の触媒とは、如何なる事柄がその周囲に於いて発生しているのであれ、この成長促進剤・触媒(catalyst)とは、厳密に、彼の心の中に存在する所の方向性、此れとの一関係性の中で其の性質が決定されて行く事となる、という事でしょうか。 この事の一例として、私は、以下の諺を挙げたいと考え…[或る諺が述べられるが、この部分は削除される]、この例とは、心の方向性がその成長触媒のあり方を左右している、という状態を言い表していると考えますが…、正しいでしょうか?
ラー: ラーです。 我々とは、我々からあなた方へと向けて行われる所の対話らに於いては、良く知られた例や諺、もしくは格言が用いられない事を望ましいと考えさせて頂いており…、その理由は、それが如何なるものであれ、この諺というものの中で良く知られたものとは、此れまでに、途方も無く多くの量の歪曲に晒されて来ている為であります。 それ故に、貴方の御質問の第一の部分に対してお答えをさせて頂く前に、先ず、我々からは、上で挙げられた例を本文から削除して下さる事をお願い致します。 次に、(其処で経験が発生する際に、此れに対して)それぞれの存在からは如何なる”知覚・認識”が行われる事となるか、其の状態とは、その心/体/精神/複合体の有する方向性、もしくは、その分極化状態に完全に依存したものとなる、という御推測とは、我々の知る限りに於いては、此れが全く仰られる通りであります。 ただ、この事例としては、(上の諺の代わりとして)、恐らくは”あなた方の日常雑貨店に於ける一場面”についてを考察する事が可能でありましょう。 其処に於いては、貴方の前に立っている所の存在が(商品購入の為の)十分な所持金を有していない、といった場合が存在しております。 この様な場合、これら存在の内の或る者とは、この出来事を機に、盗みを行おうとするかもしれません。 また或る存在とは、この出来事によって、自身を非成功者の一人であると見なす事となるかもしれません。 また或る存在とは、平然として、最も必要の薄い商品らを購入品物の中から取り除き、支払う事が可能な品物のみを選択して、何事も無かったかの様に、自身の用件を処理して行く事となります。 また、貴方の後ろに立っている存在とは、この出来事を観察する中で、其処に同情を覚えるかもしれず、また、その様な貧困に打ちのめされた一者の横に自身が立っている事に対して、自身が侮辱を受けた、と感じるかも知れず、其の出来事に対して寛容さを感じるかもしれず、或いは、その出来事に対して無関心であるかもしれません。
(上の諺ではなく)、この類推によって、この度は、より適切な一方法によって、上の内容(或る一つの・共通の出来事から、その心の傾向性が理由となって、其処には様々に異なった知覚・認識が行われる事となるという事態)を理解する事が出来ましたでしょうか?
質問者: はい、理解致しました。 それでは、上のお話から、私とは、更にその理解が困難な以下の概念を類推させて頂く事となり…、これから申し上げる概念、その理解が困難である理由とは、貴方が以前に御説明された様に、第四密度のポジティブ側の存在達でさえ、今だに”防衛的行動の概念”を有しているにも係わらず、第四密度より上の存在達とは、この防衛的行動の概念を使用する事は無くなって参る、との事だからであります。 一方で、この防衛的行動の概念と…[すくす笑い]、攻撃的行動の概念とは、我々の現在の経験世界に於いては、大変活発に使用されております。
それでは、この私の推測を申し上げますと…、もし、或る一存在が、その思念・思考に於いて、ポジティブ的な意味合いの一つの中で強力に分極化を行っている場合、(その心の傾向性が周囲の出来事の性質を決定して行く訳ですから)、防衛的行動を取る必要性からなる所の機会が、この存在の周囲からは全く生じない事となり…、従って、彼にとって、この防衛的行動の概念を有する必要が無くなって参る、という事でしょうか。 正しいでしょうか?
ラー: ラーです。 (たとえ、その存在が如何にポジティブ側へと分極化を行っているとしても、防衛的行動を取る必要性からなる所の機会が、其の存在の前から完全に姿を消す事となるかどうかとは)、其れを事前に予想する事は不可能であります。 というのも、先に我々がお話致しました様に、受肉経験らを自らプログラムする事が可能となった一存在とは、そのぞれぞれが、其処で学ばれる事となるレッスンら、その数と強烈さ具合を自ら選択する事が可能となって参るからであります。 其の中で、極限的にポジティブ側へと分極化を行う一存在とは、自己に対して、以下の様な状況らをプログラムする事によって、自らの有する能力に対してはテストを行う場合が存在しており…、自己、もしくは他自己(他者)の物理的死へと繋がる様な場面の中に置かれた場合でも、自らとは防衛的行動を取る事を慎む事が可能であるか、この能力を試す為に、自己をその様な状況らの下に立たせる事を事前にプログラムする場合が存在しているからであります。 その様な中、この様なレッスンとは、非常に強烈な・困難な性質からなる所のレッスンの一つであり、従って、その様な存在らが自身に対して予めどの様なプログラムを施したかとは、いわば”他から事前に知られる事”は決して無い様にされております。 一方で、我々とは、もし其れを望む場合には、この各人が自己に対して施した所のプログラムを読み取る事が可能であります。 しかしながら、その様な行為とは権利侵害行為の一つであり、従って、我々とは、その様な行為を行わない事を選択しております。
質問者: 貴方は”Ninth Configuration”という一映画を御存知かどうか、此れをお尋ねしたいと思います。 この映画を御存知でしょうか?
ラー: ラーです。 我々は、貴方の心を走査させて頂き、この”Ninth Configuration”という構成配置(configuration)を確認致しました。
(訳注: この部分、ラーは若干おどけた答えを行っている様に思われる)
質問者: この映画とは、丁度、現在我々が議論している点(防衛的行動を慎む事)についてを取り上げて描いたものであります。 その中に於いて、登場人物の”大佐”とは、この防衛的行動を取らねばならない様な立場に立たされ、一つの決断を迫られる事となります。 其の中で、私はふと、この窮地に於ける彼の分極化状態とはどちらの側に向いたものだったのだろうか、と考えておりました。 彼とは、ネガティブ勢力らに対して降伏する事…、貴方なら恐らくこう表現されるでしょうが、”ネガティブ勢力らに対して降伏する”事を選択する事も可能であったのでありますが、彼とは、それを行う代わりに、”彼の友達を守る”事の方を選択致します。 それでは、この様に、ポジティブ側へと分極化した人間を守るという行為と、ネガティブ側に指向する存在達からの抑圧(に対して抵抗せずに此れを)許すという行為とでは、このどちらが、よりポジティブ側へと分極化を行う行為なのかという点について、貴方から此れにお答えして頂く事とは仮にも可能でしょうか?
ラー: ラーです。 この御質問とは、貴方自身の本来の出身密度(第五、もしくは第六密度)、其の視点の下で考えられた場合の答えを其処に含むものであるというだけではなく、同時に、第四密度的な視点の下で考えられた場合の(更に異なった)答えをも其処に含むものであり…、この答えとは、”ヨシュア:Jehoshuah”と呼ばれた存在…、あなた方からは”イエス”と呼ばれた存在、彼の取った行動の中に於いて、この状況が最も良く理解される事が可能となっております。 この存在とは、(第四密度的理解に従った場合)、本来、其の仲間ら・友達らから守られるはずでありました。 しかしながら、この存在とは、其の仲間らに対しては剣を収める様に諭す事を行いました。 其の後、この存在とは、自ら自己を(迫害者らの下に)引き渡した事によって、その身体に於ける死へと追いやられる事となりました。 この様に、この”自らの愛する他自己を守りたい”という衝動とは、第四密度に於いて此れが最も固執されつつ盛んに行われている所の衝動であり…、この第四密度とは、この”共感心・同情心”(compassion)という感情が豊富に存在する一密度であり…、(しかしながら、この第四の更に上位密度らに於いては、この”守る”という行為を更に上回る所の知恵と真の愛からなる振舞い方が存在する、という事であります)。 これ以上の御説明については、我々は、此れをお話しする事は可能でないと同時に、其れを行う必要も無いと考えております。
Q12-13 今後其の発生が予想されるカタストロフィーと古参の存在らの受肉状態について
Q14-18 当第三密度に於ける成長触媒(catalyst)の提供のされ方、其のメカニズムについて
Q19-20 第四密度ポジティブ側・ネガティブ側の存在の紫色光線の状態とは如何なるものか。 さらに第五、第六密度存在の有する光線状態について。
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