ほぼハリウッド大作とアニメしか見ていない自分ですら確信するのですから、それらが映画全体からしたら氷山の一角に過ぎないと考えれば明らかに大豊作の年でした。ハリウッド大作が好き、日本のインディーズが好き、あるいはビデオスルーの未公開映画が、まだ映画祭でしか目に出来ない掘り出し物が、ピンク映画が、低予算のVシネが、眠っていたビンテージ、ネット配信による最新作、刹那的なイベント上映体験が。好きな映画の趣味趣向様々なフォロイーさん達のTLから、連日傑作発見を伝える歓喜の呟きオンパレードだったように記憶しています。
傑作映画で埋もれ窒息していく世界。これからはほんの少し探し歩けば素晴らしい映画に出会えることは大前提となって、では国籍や年代も飛び越えて様々に拡充し続ける素晴らしい映画群から、自分はどのような指向性によって傑作を求めるのか。「いかに面白い映画を見つけるか」ではなく「どういった面白さの映画を選ぶか」状況はそんな段階に変化していると感じました。
無駄な序文を書いてしまいましたが、そろそろ覚悟を決めて、2015年に劇場で鑑賞した中で、思い出せる限り*1のタイトル:全41作品に独断と偏見で無粋にも順位を付けていきます。順位を付けて、理由を添えて、時に一度決めたものを並び替えて、それでも尚言い訳したくなるのは映画への申し訳なさではなく、選択基準や順位付け、言語化の領域からはみ出た余白に真の映画しか表現しえない何某かが眠っているから。批評からはみ出たものを見つけるために批評はあり、順位からはみ出たものを見つけるために順位付けには価値があるのではと、批評が不得手な人間の負け惜しみで考えています。
では。
41位 元永慶太郎『劇場版 デート・ア・ライブ 万由里ジャッジメント』
『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's』を見た時と同じで、クライマックスに派手なアクションがあるからと言って映画的になる訳でもなく、そこへ至る作画が大きなスクリーン(よりによって鑑賞シネコン最大の劇場)に映されて本当に貧相で哀しかった、「つまらない」超えて「哀しい」は流石に味わいたくなかったとの思いからここに置きました。
40位 元永慶太郎『PERSONA3 THE MOVIE #3 Falling Down』
最初から全4章でいくと決めていて、どうしてこんなダイジェスト回が発生してしまうのか。とにかくプロジェクトそのものを批判的に見る他なくなってしまう、原作ファンとして(それも劇場版から先に触れてゲームにハマった身として)この上なく、やはりこれも哀しい思いをした作品です。アトラスはアニメとのつきあい方をもう少し考えて頂きたく。デトアラに続いて元永監督がワースト1、2フィニッシュ、「こなす」ことと「出来てる」ことは違うの典型でした。
39位 石立太一『劇場版 境界の彼方 I'LL BE HERE 過去篇』
ただの総集編。これが意外とスクリーン映え。悪くないんです。順位低過ぎる気もしますがそのくらいハズレの少ない年だったのです。
38位 赤根和樹『コードギアス 亡国のアキト 第3章 輝くもの天より墜つ』
37位 赤根和樹『コードギアス 亡国のアキト 第4章 憎しみの記憶から』
あまりに長い制作期間中、監督の中で当初の意図から話が膨らんで章が1つ増えた、その柔軟性だけでペルソナ3に爪の垢煎じて飲ませたいシリーズではあるのですが、結果スタッフがキャラに思い入れ過ぎて敵方の脇役たちでさえ殺せなくなってしまい、ひたすらぬるたい茶番が続く羽目に。。。緊迫感が完全に消えました。映像的な見せ場はふんだんなだけに、何やってんだよ赤根監督と地団駄踏んでます。
船頭は一人で良かったのではないか。CGだからとか関係なく、世界を捉えるカメラが非常に狭苦しく感じました。画面内に社会も世界も見えてこないのに、社会や世界の話をしている居心地の悪さ。「空疎な街」を映すならばディストピア(又は、ユートピア)にも見えるのですが、そうではなくてただデザイン、張りぼてだけが映されているような、広がりの見え無さ。映画的に臨場感を保たせる体力が無い。かと思えばクライマックスで突然魅力的な空間演出がなされていたりして、志ある人たちが沢山参加してる筈なのにどうしてこうなったのか不思議です。要は「2人の監督によるハーモニー」を狙った企画だったのだろうと、そしてその企画を浅薄と罵るのもまたあまりに結果論過ぎて、もどかしいったらないです。
35位 石立太一『劇場版 境界の彼方 I'LL BE HERE 未来篇』
それなりに面白がった筈なんですけど、どうも記憶に残っていません。ただアニメーションそのものが文句なく眺めていて気持ちよかったのは、確か。
34位 樋口真嗣『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』
巨人絡みの場面で興奮するか人間絡みの場面で落胆するか、そのどちらに比重を置くかで賛否分かれる作品ではなかったでしょうか。自分は前者でした。
33位 ロイ・アンダーソン『さよなら、人類』
山田尚子監督もお好きなロイの作品、劇場で観るのは初めてでしたが、今までで一番退屈だった気がしないでも。しかし酒場の外を延々歩いて行くパレードとか、スクリーンでロイ作品を観る価値は存分に満喫です。
傑作!とまでは勿論言いませんが、悪しき前後編商法を採った邦画の中では相当に見れる部類の作品であったのは間違いないのでは。
まだイケイケだった脳筋集団が結集する前日譚である為、攻殻の持ち味である抽象的なテーマを持ち込めないという楔がありながら、それを逆手にとった即物的なアクションの重量感で見せる見せる。IGにずっと歩き続けていて欲しい道です。
30位 吉成曜『リトルウィッチアカデミア/リトルウィッチアカデミア 魔法仕掛けのパレード』
ならTRIGGERにずっと歩き続けていて欲しい道がこちらですね。特に一作目、もう何度も見てるけどスクリーンで観ると「作画崩壊( )サイコー」と快哉の声を挙げたく。ただ上映劇場の問題もありそうですが、音響の設計にはもう一手間必要かも知れません。キャラの声と効果音とが同じ位相で緩急がなく、煩く感じられました。
鎌倉を舞台にした四姉妹物語を是枝監督で、という無敵の布陣なのですが、正直原作のイメージがまだ根深く残っていた為に時間の流れの速さ(是枝作品としたって相当に速い)についていくのが必死で、世評ほどは楽しめませんでした。自分が楽しめなかった=駄目な映画では無いのは重々承知ですが、本作ほどそれを痛感するものも無かったですね。評判高い女優陣とはまた異なる箇所で大いにフェティッシュをそそられそうな箇所で満ちていて、それなのに原作という予備知識によって素直に享受できなかった。難しい所です。
28位 細田守『バケモノの子』
逆に作品としては駄目な映画だろうなと途中から薄々は感じつつ――しかし冒頭の演出力の高さは実写でもそうそう見かけないレベルで、過小評価されてるとも同時に思います――盛り沢山はいいけれど、どうにも独特のグルーヴ感に乗る愉しさ以外のものが無いなぁ(細田作品はそれがあるだけで凄いのですよ)と思っていたら、終盤の、評判の悪いヒロインが「様々な境界線を越えて主人公の元へ踏み込んでくる」一連の行動に涙し続けてしまって、それだけで完璧に甘受してしまったのがこちら。本作が異世界/現実世界問わず、無数の、そして幾つもの「グループ」「モブ」を描き続けることとヒロインは対として配置されているのです。そこに今、何よりも切迫した願いを感じましたし、個人的な琴線にも触れました。ところでこのヒロイン、当初は監督の欲望に忠実に少年として設定されていたらしく、個人的には夏休み全国東宝アニメ映画でショタっ子たちの三角関係が見れたのだろうかと想像すると「そっちのが見たかった...」とやや順位を下げざるをえずです。ジブリが『思い出のマーニー』で臆面もなく百合を展開した後だけに、余計。
27位 長井龍雪『心が叫びたがってるんだ。』
初見時はてんでピンとこなかったのですが、「これはミュージカル映画では無い」という監督の言葉を読んでの再見で今度は一気に映画が立体的に手前に近づいてきたような錯覚に陥り、メガネ無し3D体験をした作品。『劇場版あの花』でも同様に初見時「これ、何?」と戸惑って再見時に感動するという経験をしたので、次こそはちゃんと初見時に感動させてねとも。どちらも再見のきっかけは舞台挨拶。生・長井監督&マリーを見れたというのは昨年の極私的事件トップ10に入ります。
26位 田口トモロヲ『ピース・オブ・ケイク』
多部ちゃんファンの贔屓目もあるのでしょうが、「告白」と「浮気発覚の修羅場」、登場人物本人たちにとっては至って真面目な2つのシーンで、満員の映画館(小さな箱ではありました)が笑いに包まれるという状況を今日びの実写邦画で体験できた事の喜びたるやですね。「多部ちゃん主演で見てみたかった作品」の1つの形がここにあって、夢が叶いました。クライマックス、絶対にカットを割って欲しくないところで割られてしまって、ロケーション探しに難航したのは理解するけれど、まずその場面の撮影を確保出来てから制作に踏み込んで欲しかったというトモロヲへのガッカリはあります。
25位 ジャウマ・コレット=セラ『ラン・オールナイト』
数十年来の身内同士で殺し合う為に人生最後の夜を駆ける、そんなどうしようもない連中のどうしようもない状況を、観客にしっかり共感させてくれる。でもどうやって団地から逃げ出したのか説明求めます。ささいな傷かと思ったけど、意外と何ヶ月経っても「アレおかしくね?」ってポイントは忘れないもので。ジャウマの前作『フライト・ゲーム』は巷で言われる「ツッコミどころ」など全く気にならず2014年ナンバーワン映画となったので、やはり気になってしまう分、本作のパワーダウンは否めなません。
24位 アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ『バードマン あるいは(無知がもたらす予知せぬ奇跡)』
1シーン1カットの力作。10年前ならキュアロン『トゥモローワールド』に熱狂したけれど、今は「この廊下を移動する時間、どこでカット割って次の場面に移行したら気持ちいいだろうか」とつい考えてしまう変なノイズに邪魔されてしまうんですよね。ソクーロフ『エルミタージュ幻想』ならば移動するその一歩一歩の間に何十年の時が経過していく歴史が宿っていたし、ギャスパー・ノエ『アレックス』ならば映画がなぞらえた人間の体内器官を彷徨うグロテスクな趣きに満ちていたのですが、本作の移動にただ「移動」以外の意味を見いだせず、非常に無邪気だなぁと。しかしその無邪気さあってのイニャリトゥなのかも知れません。
23位 モルテン・ティルドゥム『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』
映画としては非常に退屈です。BBCが作ったTVドラマと言われても納得ですし、だったらシャーロックの1エピソードを見た方が遙かに面白い。でも感動の実話とはほど遠い、物語そのものの悪意に胸を打たれました。こうしてPCに文字を打ち込んでいる自分をはじめ、アラン・チューリングの恩恵を受け続けている観客たちに向けて、「お前らが俺のお陰でどんなに良い目を見ようと、どんなに俺に感謝しようと、俺は何一つ報われてなどいない」というチューリングの呪いのようなものがカンバーバッチの目に宿っていました。いえ、本当は宿っていないのですが(そこら辺が駄目)、しかしもしかしたら作り手の意図すら超えて、そういう呪詛の映画であると思ってます。
22位 クリント・イーストウッド『アメリカン・スナイパー』
最初から最後までスリルで目が離せないのだから映画として文句は無いのですが、年によってはぶっちぎりトップクラスであるイーストウッドさえここ、っていうところに2015年の豊作ぶりが現れているのです。「2015年のお薦め映画は?」と聴かれたら、ここから上位の作品全部!、と自信満々で答えます。
21位 コリン・トレボロウ『ジュラシック・ワールド』
見終わって何も残らないどころか、見ているその間にも何も残らない。楽しみながら空疎さを覚えて、こちらの感情置いてけぼりで勝手にジェットコースターが進むそのライド感の空しさ。「確かにあっと言う間に過ぎった今の時間、一体なんだったんだろう。オトナはこれの何が楽しいんだろう」と不思議がった、まさに子供の頃テーマパークで遊んでいた時の体感を再現された2時間。いや、最大級の賛辞です。
20位 スティーヴン・ナイト『オン・ザ・ハイウェイ/その夜、86分』
ただ男が電話でしゃべりながら運転してるだけ。これまた体感時間で60分にも満たないような変な映画で、映画館の中にあるものが「椅子とスクリーン」から「少しガス臭い車のシートと流れる夜景」に変貌する、特別な体験を味わえました。「スクリーンの向こう側」を深読みしたり「スクリーンの表層」を観察し抜く事が苦手な自分は、『ジュラシック・ワールド』や本作のように「スクリーンの手前」の客席を変質させてくれる、イベント体験としての映画が何よりの好物みたいです。
『海街diary』が是枝フィルモグラフィにとってそうであったように、ここまでテンポの良い原恵一作品ってもしかしたら初めてじゃないですかね。クレしんの場合は、意外と変な「間」のシュール気味なギャグを入れ込みたがる人だったので、ここまで終始一定のリズムで刻むことに新境地を見た思い。実写作品の監督業を経て、絵を描き込む作業の外側にも映画はある事を実感として掴めたのではないかと。
18位 チャド・スタエルスキ『ジョン・ウィック』
これも『百日紅』と同じと言っては言い過ぎですが、引っかかりなくテンポだけで話が進む、映像の密度が薄まる瞬間など無いのにすべてが軽い、だけど決してその軽さの裡に人の感情が蔑ろにされている訳ではないという、この塩梅。ちょっと理想的な映画だなーと思ったんです。とにかく最後まで敵のボスの側近のリアクションが最高なんですよ。2015年最も好きなキャラクターと言っても過言ではないです。主役でも悪役でも重要人物でもない、こうしたポジションの人間がしっかり描かれることで、その世界が生々しい臨場感を獲得する--これをクロトワ理論*2と呼びたいと今考えました。
17位 ペイトン・リード『アントマン』
どう面白いのかと問われて「普通に面白い」としか答えようのない作品って困りますよね。「アリみたいに小さくなれるヒーローの映画」。シンプルに一言で言い表せる映画は素晴らしいとされていますが、語る時に意外と困る。さあ、困りましょう。言葉にするには困るけど、見たら確実に面白い。老若男女が疲れることなく笑って、ハラハラして、そして見終わった時にはすべて忘れてぐっすり眠れます。アイツらとまた会いたいなー、と考えても寂しくはならない。マーベルシネマティックユニバースは、こいつらの生きている時空は、まだまだ、おそらくは無限に――続いていくのですから。
16位 マーク・バートン/リチャード・スターザック『ひつじのショーン バック・トゥ・ザ・ホーム』
台詞なしで成立するクレイアニメ。という事で場内満席のお客さんの中に、結構外国のお子さん達の姿を見かけたんですね。呟きでも報告しましたが、それなりに国際的な土地柄の中、海外アニメの上映劇場にそうした子たちを見かけない(吹替え版しか上映されない)事態がいつも少しばかり気にかかっていました。またタマフルのいつだったかの回で宇多丸さんが同様の指摘をしていた事でより「気のせいじゃなかったのか」と意識させられまして、それだけに日本の子供たちと外国の子供たちが等しく同じ劇場で同じ映画を見て笑っている、その幸福な時間に身を委ねた体験は忘れられません。映画そのものも、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』と並べて語られるべき傑作です。
15位 橋本昌和『クレヨンしんちゃん オラの引っ越し物語 サボテン大襲撃』
そんな風に「劇場のリアクション」を気にしながら映画を鑑賞するようになった原体験が映画クレしんシリーズ。「この映画を子供たちが見ている」事が映画が語る「ヒーローと子供」というテーマの一部と化す傑作『嵐を呼ぶジャングル』*3の野心的な実験性は例外としても、退屈な場面で騒ぐはずの子供たちが固唾をのんで見守った『戦国大合戦』の静寂や、また相当遠い記憶なのでボヤけてはいますが『雲黒斎の野望』のダブルプロット*4(終わったと思ったら真のクライマックスが!)では場内のオトナたちが「えっ?」と一斉に声を挙げたこと、そして水島努が全力で子供たちの心を揺さぶりまくった『メイド・イン・埼玉』『ヤキニクロード』『カスカベボーイズ』などなどの幸福な体験が、久しぶりに全力で戻ってきました。今時まさかの『トレマーズ』で『アタック・オブ・ザ・キラートマト』で『ザ・ミスト』。パクパク人が食べられることが映画としてこんなにも、子供たちがはしゃぐ程面白いことだったのかという驚き。むしろ残虐描写を排除した子供向けアニメであることで「人が呑み込まれていくことの映像的快楽」がより純化して抽出された、面白い試みではないかと思うのです。
14位 ジョン・ファブロー『シェフ 三ツ星フードトラックはじめました』
飯! 音楽! 旅! ハリウッドのしがらみを脱したファブローが、あたかも自身の再生の祈りをこめるかのように、全力で、気楽に、おどけた結果、「多様性」というテーマをどんな映画もなしえてこなかったレベルの軽やかさによってさらりと提示できてしまった快作。豪華スターがカメオで出たっきりもったいない放置されたりしても、もったいない場面が放置されているという贅沢さによって映画がさらに豊かになっている。ともかく何も考えずただただボンヤリしたい時に見たい映画――『メリーに首ったけ』『リトル・ミス・サンシャイン』『アドベンチャーランドへようこそ』『バス男(現ナポレオン・ダイナマイト)』等々のライン――にまた1つ新たなタイトルが仲間入りした嬉しさですよ。
情熱を抱えて2人の少年が駆け出す姿に被さるサカナクション『宝島』。そんな予告編を思い出すだけでこれからあと何十回勇気を奮い立たせる事だろう。思い返すそのたびに身内でくすぶる火種を燃え立たせてくれる、ただその為だけに奉仕する映画の有り様が、アンケート主義にも堂々則り売れる為のマンガを描き続ける主人公たちの有り様と重なっている。このシンプルさ。無駄な引っかかりや淀みの無さこそは今の邦画にもっとも欠けているものではなかったでしょうか。潔い、清々しい、そんな言葉の似合う作品。
12位 黒沢清『岸辺の旅』
『ニンゲン合格』こそ胸に響きましたが、『アカルイミライ』にせよ『トウキョウソナタ』にせよ、黒沢映画の中でもパッと見のジャンルとして「ドラマ」に分類されやすいものには惹かれずに来ただけに、今作もあまり期待値は上げずに臨んだのです。が、黒沢映画を総括して1つ上のステージに踏み込むような圧巻の映画に。今まで、それでも「死」は彼岸から此岸を侵食するものであったのに、ここではとうとう2つの領域は曖昧になって溶け合って、アカルイミライのクラゲたちはすっかり回路を通して世界に浸透し、東京をトウキョウたらしめたように、明るくはないけれどアカルイ未来を生きている私たちを祝福し始めました。変わらない作家であって欲しいシネフィルの欲望を無視して、ミスターは変わろうとしているのではないでしょうか。その方が、ワクワクします。しかし、最後の最後にブレるクレーン撮影はどうにかなりませんか。
11位 牧原亮太郎『屍者の帝国』
告白すれば一番好きなアニメ映画が『千と千尋の神隠し』で二番目が『メトロポリス』なんですね。話ではなく、細部に宿る「空想なのに、生活の臭いに繋がるディティール」の洪水におぼれていたいと常日頃希求している身としては久しぶり、それこそ『ハウルの動く城』ぶりじゃないかという絵の世界への耽溺を味わいました。きっと本作、いかにも日本のアニメだなぁと苦笑しながら、それでも作画の描き込みによって、挑もうとしているものの大きさによって、何度も映画館に足を運び、「駄目な映画だけど、困ったことに俺は大好きなのだ」と、そんな風に伊藤計劃先生ならば目を細めて慈しむのではないか。なんて、そんな勝手な妄想を抱きつ。冒頭の列車の静止画と、中盤洋上を行く船の揺れが不自然なカットだけが引っかかって、あれは駿や今敏だったら許さなかっただろうなぁとは思うのですが。
『虐殺器官』死ぬほど期待していますとも。
10位 ジェイソン・ムーア『ピッチ・パーフェクト』
見ている間中最高に楽しかったという点で言えば間違いなく2015年のベスト。世界中でヒットしてから何年遅れで公開してるんだよという苛立ちさえ吹き飛んで、最高に満喫しました。ところで続編の評判が芳しくないのですがどうしましょうか。。。
9位 J・J・エイブラムス『スターウォーズ フォースの覚醒』
エイブラムスの、良くも悪くも娯楽に全力注入すればする程作品の印象が薄っぺらくなっていく個性は、既に出来上がったシリーズの上に新たに溶け込んでいく上で最適な性質なのかも知れません。過去作では大ネタ一本勝負で攻める脚本術が目立ちましたが、今回は具体的な一本の明確な線が見えづらい。なんなら少しもたつくくらいのゴツゴツした話運びで、そこに古き良きルーカスやスピルバーグ作品が内包していた「冒険」へのときめきが宿っていたように感じました。勿論、ローレンス・カスダン脚本を尊重した結果でしょう。これからこいつらと一緒に旅をしていくのです。
8位 クリストファー・マッカリー『ミッション・インポッシブル ローグ・ネイション』
上品ですよね。大人のアクション映画。それも、『スカイフォール』がそうであったように、いつか見た何かをなぞるのではない、新時代の大人のアクション映画。マッカリー×トムが前作『アウトロー』ではパロディとしてしか提示できなかった大人のアクション映画を、いよいよ衒いも逃げもなく完成させてしまった、実は映画史としてのエポックメイキングは『マッドマックスFR』以上にここにあったのではないかとさえ。あたかも「かつては大人向けの娯楽大作があった」かのように評論家は語りがちですが、こうしたスマートさを持つアクション超大作はかつて無かっただろうって、しょぼい映画鑑賞履歴を参照し、自分はそう思ってます。
7位 デイミアン・チャゼル『セッション』
音と音がぶつかるように、ショットとショットが、カメラと被写体との距離、そのカットバックによってボクシングさながらに荒々しくぶつかる。これは音楽映画ではなくボクシング映画なのではないか。だからこそ主人公は油断した隙に大きく吹っ飛ばされ肉体にダメージを受ける。映像と身体の融合、そんなむき出しの生々しさに映画が変貌した異形の快作たりえています。つまり、これも3D映画です。あるいは、塚本晋也の世界。
6位 ディアオ・イーナン『薄氷の殺人』
実は話はほとんど把握出来ていません。ただ映像に引きずり回されるだけで気持ちよくって陶酔していました。アニメもハリウッドもいいけど、たまには「あぁ映画見てるなぁ」ってちょっと通な気分にも浸りたいじゃないですか。2015年自宅で鑑賞した映画のベストは本作と同じくグイ・ルンメイ主演の『BF GF』なのですが、かつてアジアで一斉を風靡したデビュー作『藍色夏恋』で鮮烈なインパクトを残しながら、あっさり長期のフランス留学に旅立った彼女。映画復帰後も恐ろしいほど変わらぬ少女性を保ち続け、清純であることが魔性たりうるという化け物女優。そんな「台湾の象徴」を引き受けるにやぶさかでない、強烈にして透明な存在感を持った彼女が、台湾映画『BF GF』と中国映画『薄氷の殺人』でそれぞれ演じたポジションの寓意性。そこにひたすら痺れるのです。
5位 ジョージ・ミラー『マッドマックス 怒りのデスロード』
「行って帰ってくる」シンプルな物語。行って帰ってくる物語にする事で「走り続ける」ことが可能であり、そこに「行って帰ってくる」という最低限のドラマ性を担保出来ているがゆえに観客を置いて行かずに済む。それでいて無駄な説明の手間も省ける。ストロングでスペクタクルな映像が素晴らしければ素晴らしいほど、逆説的にドラマトゥルギーの見事さが引き立つ傑作でした。これと同じことをしていたのが『ひつじのショーン バック・トゥ・ザ・ホーム』なのです。
4位 サム・メンデス『007/スペクター』
タイミングの問題ってとても大きいもので、007を初代から見返しているその作業の最中に本作を鑑賞した為、かつての、今見ると味も素っ気も無いし、回によってはひたすらしょぼいだけだったりする007シリーズの記憶が、大スクリーンの中に明確に一繋がりとなって広がっている、そんな悠然とした光景の数々にただただ呑まれました。「007の世界が繋がっている」が、文字通り舞台となる世界中を指し、そして実際に過去シリーズを通して世界を飛び回ってきているのだからそこに嘘が無い。いよいよ映画が地球を包括出来てしまった、そんな尋常じゃないスケール感。特に夜のシーンのそのたび、闇の向こうに、どこまでも陰謀とロマンで満ちている007時空が息を潜めている興奮が。偉大なるシリーズに乗っかるのではない、むしろ凡庸なシリーズに価値を与えた作品。
3位 ジェームズ・ワン『ワイルド・スピード SKY MISSION』
wowowぷらすと年末映画座談会で松江哲明監督(監督、俺のブロック外して!)の仰っていた、「オールタイムベストは『マッドマックス』かも知れない、けれど2015年のベストは『ワイルド・スピード』なんだ」に激しく賛同です。死者から死を消し去ってスクリーンの彼方へ解き放つ、そんな反則技を最後に繰り出す作品。それも物量で言わす体育会系バカ映画のシリーズ7作目ですよ、どんなネタ映画になるかと思いきや、いえ表面上起こっている出来事はおバカ極まりないのですが、弛緩したショットが一瞬たりともない、完璧に計算し尽くされた興奮の塊なのです。各被写体ごとに、これとしかいいようのない見せ場と構図がお膳立てされている。ジェームズ・ワンとジャウム・コレット=セラが次代を担う、これはもはや避けようのない必然ですね。
『ワイルド・スピード』が死者から死を消し去るのなら、本作は失われた時を取り戻すどころか遡って、現在進行形のものとして提示してしまう反則中の反則技。到底ヒットには程遠く賞レースでも無視されていた、けれど個人的に何より愛している実写映画が10年の時を経て、同じキャストでその前日譚を描く。なんだそれ、嬉しすぎて意味がわからない。意味がわからない事が現実と化して、勢い余って見に行った舞台挨拶で蒼井優ちゃんが「もっとやりたい」と監督におねだりしているのを見た時、「え、まだ見れるのかも知れないの?」と椅子からずり落ちそうになりました。
1位 マシュー・ヴォーン『キングスマン』
1位は割と迷わずこれでした。
何もかもがツボ過ぎです。思えば90年代後期、自分はポストタランティーノと呼ばれる潮流が流行った時期に映画ファンになった世代なので、要するに「ほら、タランティーノっぽいでしょ」と他人のスタイル(今思えば割と違うどころか、ルーツは決定的に異なる可能性の方が大きいんですけど)で堂々としているダニー・ボイルやガイ・リッチーを筆頭としたUK映画の台頭が物凄く鼻についていた筈なのに、結局のところエドガー・ライトからケン・ローチ、マイク・リーからウィンターボトム、映画人生通して一番親しんできたのがブリティッシュで、正直英国大好きって事をいい加減認めなければいけないのかなと白旗上げた作品ですね。先日見た『パディントン』でもロンドン映った瞬間に故郷に帰ったようにホッとしてしまいました。行ったことないのに。
あーしんどかった。以上が遅ればせながらの、2015年劇場鑑賞作品全ランキングでした。ところで思ったのは、ここに挙げた邦画の監督たちの顔ぶれ――元永慶太郎/石立太一/赤根和樹/マイケル・アリアス/なかむらたかし/樋口真嗣/山崎貴/黄瀬和哉/野村和也/吉成曜/是枝裕和/細田守/長井龍雪/田口トモロヲ/橋本昌和/原恵一/大根仁/黒沢清/牧原亮太郎/岩井俊二――を眺めていると、結果はどうあれ、撮るべき人が映画撮ってるなって、そんな納得感が強いです。一時期の、まず監督の顔ぶれからして何も期待する気の起きなかった、本当にペンペン草一つ生えないような時代に比べて、多少なりとも状況は改善されていたりするのかなと。楽観が過ぎるでしょうか。