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元青年海外協力隊員 反日「直面」絆育む

高知県須崎市に暮らすフィリピン人農業実習生と談笑する吉川浩史さん(右から2人目)=同市で、山田奈緒撮影

 国交正常化60周年を迎えた友好親善でフィリピンに出発した天皇、皇后両陛下は26日夕、現地で活動する青年海外協力隊を激励される。協力隊が初めてフィリピンに派遣されたのは終戦から21年後の1966年。根強く残る反日感情に直面しながらの支援活動だった。元協力隊員の吉川浩史さん(71)=高知県須崎市=は、当時のフィリピンでの経験をきっかけに、今も現地との交流を続けている。

     青年海外協力隊は、途上国で農業や教育の発展を支援する国際協力機構(JICA)の事業。吉川さんは、協力隊のフィリピンへの派遣が始まった翌年の67年3月から2年間、同国の山岳地帯ベンゲット州などで農業の技術支援に従事した。東京農業大学で学び、キノコに詳しかった吉川さんは、標高2000メートル級の山で野生のシイタケを発見。シイタケ栽培の態勢づくりに努めた。

     農業施設で働いていたある日、現地の住民に詰め寄られたことがある。「父は日本兵に殺された。どうしてくれるのか」

     太平洋戦争の激戦地だったフィリピンでは、100万人以上が日米の戦闘に巻き込まれるなどして死亡したとされる。「私たちの前の世代は戦争を始めた。しかし私たちはファーストネームで呼び合う仲になりたい」。詰め寄る人に、吉川さんはそう答えた。「あの時のことが、フィリピンと関わり続ける原点になった」と振り返る。

     帰国後、吉川さんは高知県の国際交流事業に携わる。フィリピンの人々との交流を後押しする吉川さんの活動は、ベンゲットと県との姉妹友好協定の締結につながった。

     ベンゲットの若者を農業実習生として受け入れる活動も続けている。当初は地元の農協が受け皿だったが、吉川さんが設立した「くろしお農業振興協同組合」が2004年から引き継いだ。実習生をスポーツ大会や花見など地元の催しに誘い、地域住民の理解を広げることにも力を注ぐ。

     昨年、農家などから集めたお金でベンゲットに桜の苗木を贈った。苗木が育って花が開けば、元実習生が日本での暮らしを懐かしんでくれるだろう。そんな期待を込めた。「フィリピンと日本はかけがえのないパートナーだ」。現役の協力隊の若者には「両国の懸け橋であり続けてほしい」と話している。【山田奈緒】

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