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2016/01/22

松本瀧蔵略伝--「フジヤマのトビウオ」を生んだ日本人

Tweet ThisSend to Facebook | by suzumura

1月18日(月)、野球殿堂博物館の表彰委員会は平成28年の野球殿堂の表彰者を発表し、特別表彰として元外務政務次官の松本瀧蔵(1901-1958)を選出しました1


松本瀧蔵の事績については、2009年8月2日(日)に古橋広之進氏が死去したことを受け、2009年10月に発行された『体育科教育』第57巻第12号に「「フジヤマのトビウオ」を生んだ日本人」として記事を執筆しています2


そこで、今回の「野球殿堂入り」を機に、旧稿の一部を加筆、修正した記事をご案内いたします。

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「フジヤマのトビウオ」を生んだ日本人
鈴村裕輔


2009年8月2日、「フジヤマのトビウオ」(Flying Fish of Fujiyama)と称賛された世界的な競泳選手で、日本オリンピック委員会や日本水泳連盟の会長を務めた古橋広之進さんが死去しました。享年80歳でした。


1949年8月にロサンゼルスで行われた全米選手権に出場、1500メートル自由形予選では当時の世界新記録となる18分19秒の成績を残し、翌日の全米各紙は"Flying Fish of Fujiyama"という見出しでこの快挙を報道したことで、古橋選手の名前はたちまち世界的なものとなったのは、日本スポーツ界の歴史を華やかに彩る逸話のひとつです。


太平洋戦争後に日本が生んだ最初の国際的スポーツ選手である古橋選手がどれほど高く評価されたかは、雑誌タイムが1950年8月14日号で「日本の目を見張るべき21歳の古橋広之進以上に速い水泳選手はいない」と指摘していることからも明らかです。米国を代表し、社会的にも強い影響力をもつタイムの評価は単なる修辞ではなく、当時の競泳界における古橋選手の位置づけを端的に物語ります。


ところで、戦後の日本では、社会的、経済的な復興を成し遂げるため、国内産業の振興と外貨流出の抑制が図られました。これは、経済面では輸入を抑える貿易統制という形で実施され、海外旅行も商用や留学を除いては禁止されることになり、その点では戦前よりも海外旅行は不自由なものとなりました。こうした状況を重ね合わせると、今では当然のことのように語られる「古橋選手の全米選手権参加」が、当時としては異例ともいえる出来事であることが分かるといえるでしょう。

そして、「旅券の発行さえままならなかった占領下にあって、選手団が全米選手権に参加することはなぜ可能だったのか」という問いの答えが、松本瀧蔵の存在でした。

米国で苦学し、明治大学教授などを歴任した松本は、戦後衆議院選挙に出馬して5回の当選を果たした人物です。

その英語力は議会随一と言われ、太平洋戦争後の占領時代には、後に首相となる三木武夫の側近であった平沢和重や福島慎太郎らとサービスセンタートーキョーを設立し、連合国総司令部(GHQ)との折衝の窓口となって公職追放となった人たちの指定解除に数々の功績を残しました。


スポーツの分野に限っても、戦前にはアメリカンフットボールの導入と普及に尽力し、戦後も阪神甲子園球場の接収解除や1949年のサンフランシスコ・シールズ招聘などに功績を残しています。


松本は、1949年当時日本体育協会の理事を兼務しており、全米選手権にも日本選手団長として渡米しています。そして、選手団の渡航に際しても、GHQに太い人脈をもっていた松本の働きかけにより、旅券の発行が認められたのでした。


事典を紐解いても、「松本瀧蔵」という名前は見当たりませんし、「フジヤマのトビウオ」の話の中に松本が登場することもほとんどありません。しかし、その働きかけによって渡米が実現したことを考え合わせれば、松本瀧蔵こそ、「フジヤマのトビウオ」を生んだ日本人に他ならないのです。
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1 平成28年 野球殿堂入り発表. 野球殿堂博物館, 2016年1月18日, http://www.baseball-museum.or.jp/baseball_hallo/news/halloffame2016_02.html (2016年1月22日閲覧).
2 鈴村裕輔, 「フジヤマのトビウオ」を生んだ日本人. 体育科教育, 57(12):57, 2009.


<Executive Summary>
A Short Biography of Matsumoto Takizo: A Man Who Is a Father of “Flying Fish of Fujiyama” (Yusuke Suzumura)


Former Parlimentary Vice-Minister for Foreign Affairs Matsumoto Takizo was elected as a member of Japanese Baseball Hall of Fame on 18th January 2016. Today I introduce a short biography of Matsumoto Takizo.


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