フィリピン最大の都市マニラ。ここで日米による1カ月間もの市街戦があり、10万とも言われる市民が命を落とした。

 東京大空襲や沖縄戦での住民犠牲にも及ぶ悲劇を、どれだけの日本人が知っていただろう。

 戦後70年が過ぎ、記憶の風化が叫ばれる。しかし、知らない事実は風化すらしない。

 歴史に謙虚に向き合う一歩は、何があったかを知ろうとすることだ。天皇、皇后両陛下のフィリピン訪問を、そうしたことを考える機会にしたい。

 「戦争の禍(わざわい)の激しかった土地に思いを寄せていく」。天皇陛下は、かつて記者会見でそう語った。95年に長崎・広島・沖縄を巡った。05年はサイパン、昨年はパラオへ。

 その「慰霊の旅」が、旧日本軍から最も大きな傷を受けたアジアに向いたのは、自然な流れだろう。

 フィリピンでの日本人戦没者は餓死なども含めて約52万人。数え切れない悲劇があった。レイテ沖海戦で戦艦武蔵が沈み、最初の特攻隊が米艦に突っ込んだ。「バターン死の行進」では米国人とフィリピン人の捕虜が多数、犠牲になった。

 だが、訪問に先立つ「おことば」で、陛下はそうした史実をふまえた上で、地元の一般市民に光をあてた。

 「多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては、膨大な数に及ぶ無辜(むこ)のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き、この度の訪問を果たしていきたいと思っています」

 当時を記す文献にこうある。「廃虚にべったり腰をおろし、うつろな目を地上に投げ落としている者もあった。だが、砲弾は情け容赦もなかった。彼らの上に砲弾が落下したあと、そこには一片の肉切れさえも残らない」(『大東亜戦史』)。沖縄戦での光景とも重なる。

 歴史を振り返る時、まず同胞の犠牲を思う気持ちは自然なことだ。ただ、そこにとどまっては、戦争の一部しか理解したことにならない。「先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくこと」が大切だと、陛下は昨年末に述べている。

 十分に知る。そのためには「敵と味方」「兵士と市民」「日本人と外国人」など様々な隔てを超える視点が要る。同じ人間としての視点から戦争をとらえ、過ちを繰り返さぬ誓いを貫く営みが求められている。

 戦後70年という「節目」が過ぎてなお両陛下は激戦地に足を運び、平和への願いを示している。その思いを共有したい。