100分de名著 内村鑑三 代表的日本人 第3回「考えることと信ずること」 2016.01.27


一つ一つでも気を付けるだけで自分でも文字を変えていけるっていうね。
その法則っていうふうに思って頂ければいいと思います。
「代表的日本人」に描かれた2人の人物。
人間の可能性を引き出した教育者中江藤樹。
既存の権威とたたかった革命的僧侶日。
内村鑑三は2人の「言葉」に注目しました。
うわ〜…「読む」のは目じゃないですね。
第3回は中江藤樹と日の生き方から考える事と信じる事で得られる人間の強さを学びます。

(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…さて前回までで3人の「代表的日本人」を見てまいりましたけども。
奇跡が起きたんですよ。
えっ何?先週クイズ番組の収録があったんですけど上杉鷹山が出まして生き生きと分かった。
ほんとに炭を吹いてる画が頭に浮かぶ。
ああ何か人を覚えるってこういう事だと思った。
というわけで指南役は今回も批評家の若松英輔さんです。
どうぞよろしくお願いいたします。
今回も2人の「代表的日本人」をご紹介していきたいと思います。
江戸時代初期の儒学者儒者中江藤樹先生でございます。
そして鎌倉時代の僧侶日宗の開祖日。
東洋的思想と宗教の偉人なんですけども。
日はもう内村ととても近い。
宗教はキリスト教と仏教と違うわけなんですけどもその生涯というのがとっても似てるんです。
もう一つ中江藤樹は儒学者なんですけどそのお弟子さんに熊沢蕃山という人がいます。
蕃山の思想というのは少し時代を置いて幕末によみがえるんですね。
その時によみがえらせた人の一人が藤田東湖。
すなわち西郷隆盛の師匠にあたるような人物だったわけですね。
つながるんですねここ。
この数百年の間に思想というのは確かに時間とともに過ぎるようで逆に言うと時間を簡単にまたいでしまうというような事が内村は描きたかったんじゃないかなと思うんですね。
単に文字を追うという事ではなくてもう少し我々を深い所に連れていってくれる営みなんだという事を今日は考えてみたいなと思ってます。
それではまずは中江藤樹の章の冒頭の部分をご覧頂きましょう。
中江藤樹の章はかつて日本で行われていた教育の説明から始まります。
「真の人間」というのは何か与えられるものなのではなくて既にその人の中に「真の人間」としての可能性は十分に備わっているんだという内村の信念なんだと思うんです。
そして内村はかつての教師像に関してこんなふうに書いているんですね。
「顔と顔魂と魂」という事はどういう事かというと比べる事はできないという事なんですよね。
顔というのは2つ同じ顔はないわけです。
魂すなわち心ですけども心というのも同じ心はないわけですよね。
それはまあもっと別な言い方をすれば内村鑑三という人は「独立」という事をとても重んじた人なんです。
お弟子さんたちが「先生のようになりたい」と言うわけですよね。
そうすると内村は「私のようになるのではなくて真似るのであれば私の独立を真似なさい」と言った人なんですよね。
ですので私が私であるようにあなたはあなたであれと。
それだけが大事なんだという事をずっと説いてた人なんです。
なるほど。
先生みたいに先生と同じにこれがなりたいじゃなくて先生が一人でちゃんと立ってるんだよという事をあなたたちは学ぶ。
一人で立つためには先生と背丈も顔も足の形も性格も違うんだから当然細かいさまつな事に関しては違う事になっていいんだと。
ちょっとじ〜んときますね。
う〜ん。
そんな教育論を持っていた内村は中江藤樹のどこに響いたんでしょうか。
こちらをご覧下さい。
近江に生まれ9歳で米子藩の武家の養子となった中江藤樹。
幼い頃より勉強熱心で聡明。
僅か11歳で読んだ孔子の「大学」により藤樹は生涯にわたる志を定めました。
藩主からも将来を期待される侍でしたが27歳の時脱藩し故郷に戻ります。
病に伏せる母と共に暮らすためです。
全財産を捨て行商人として日銭を稼ぐ貧しい日々。
藤樹を支えていたのは幼い頃より親しんだ学問でした。
そんな藤樹は教育者として求められ自宅に私塾を開く事になりました。
僕クイズ番組いっぱい出てるじゃないですか。
クイズ番組でもただただクイズなだけのクイズと解く楽しみのためにあるクイズってあるんですよ。
その後者を作るクイズを書くライターの方たちというのは何か僕はすごく尊敬するんです。
でもちょっと似てる事を言ってるような気がします。
ただただ知識を持ってもそれはまた別ですよという。
この藤樹の教育を読み解くキーワードがあるんだそうですね。
はいこちらですね。
「叡智」という言葉なんですけど。
叡智というのはですねまず知識とは違いますね。
知識というのは何か情報と同じですから人に教えられて得るものですね。
叡智という言葉はもう少し違って…だから思い出せという形の教育なんですね。
もう一つソクラテスの「無知の知」とも似てるところが。
そうですね。
我々は本当の意味では何も知らないんだという事に気がついていく事なんだと思うんです。
それはちょっと矛盾して聞こえるのかもしれませんけど…うわ〜何かそれに気付いてたら俺もう少し謙虚な人間になってた気がするなぁ。
遅くないです。
遅くない。
ある時期学校がすごい嫌いになった理由の一つですけど勉強すればするほど分かんねえ事が増えるという要するにそれがものすごく矛盾してるもう無間地獄みたいに感じたんです。
だけどそれがむしろ正しくて知りきらないのだから謙虚に進んでいきゃあいいという。
そういう事ですね。
それはその中から出ませんからそんな大きな事はないんだと思うんです。
だけども海に行けばいろんな生き物がいて思いも寄らぬ出来事もあってそして波も大きくなって我々を脅かす時があるわけですよね。
我々が生きていかなきゃいけないのはそっちなんだって事を内村は教えてくれてるんだと思うんです。
うわ〜今のとても僕は腑に落ちる例えでプールで泳ぐのも無駄ではないじゃないですか。
無駄ではないんだけどプールに特化してプールが全てだと思ってる事に関してはとても異論がやっぱりありますね。
藤樹の章の終盤にこんな文章があるんです。
ちょっとご紹介しましょう。
人間というのは何かよき事をした時にそれを自分でそうしてるって事に気がつかないという事なんだと思うんです。
香りを出していくような…さて次は「代表的日本人」の最後を飾る日でございます。
この日を語る内村鑑三の筆といいますかちょっとこれまでとは違うんだそうですね。
今までは内村鑑三は「私の敬愛する人物」というタッチだったと思うんですね。
この日の章は時代を隔てて私がもう一度語り直されるそういう感じだと思うんです。
ちょっとじゃあ日の物語を見てみましょうか。
日は1222年安房国の漁師の家に生まれました。
両親の願いにより12歳で仏の道を目指す事になります。
そこで少年はある疑問を抱くようになります。
「なぜ仏様の教えは一つのはずなのに仏教にはたくさんの宗派があってそれぞれいがみ合っているのだろう?」。
内村が「日本の仏教の最後にして最大の形成期」という鎌倉時代。
さまざまな宗派がせめぎ合う中で若き日はただ仏陀の言葉に耳を澄ます事を誓います。
もう何か全然イメージが違う。
お坊さんの中のエリート中のエリートみたいな人が更に開眼するみたいなそういうイメージなんですけど違うんですね。
漁民の子供だったという話出てましたけどこれはもちろん事実なんですけどね内村は多分ここにもう一つの意味をやっぱり込めていてキリストの弟子たちも漁民なんですよね。
は〜!そうなんでしたっけ。
ペトロなんかもちろんそうですし本当に大切な教えというのはそういう民衆に伝えられるんだという事を内村はここにとても静かにただとてもある意味では強い形で表現してると思いますね。
比叡山の中に入って当時の仏教学の中枢なわけですけどもそこで仏教研究をするという立場もありうるわけですね。
それはそれとしてとっても大事な事でとってもすばらしい事なんですけども…それは内村鑑三の生涯ととっても似てるんだと思うんです。
…という認識において2人はとても近いんだと思うんです。
そんな境地に至るきっかけとなったのがアメリカでの留学中に恩師シーリー先生から言われたこんな言葉だったんだそうです。
お前の中を掘り下げて自分がどんな駄目な人間か思い知れみたいなそんな雰囲気が何となくございますでしょう宗教って。
このシーリーという人は内村鑑三に全然別な事を言うわけですよね。
自分の心なんか掘ったって大した事はないんだと。
ちょっとここで改めて日と内村の共通点を考えてみたいと思うんですがこの内村そして日は若松さんキリスト教におけるルターのような存在だったとおっしゃるんです。
ルター?何か教科書で見た気がする名前。
ルターという人は神というのと人間の信ずる心というのが直接的に結び付くんだと。
その間にいろんなものは要らないんだという事をとてもシンプルにとても強くまた清潔に説いてくれた人なんですけどもこの人の言葉が宗教改革いわゆる宗教の革命を起こしていくわけなんですね。
どういうところがルター的…?日は法華経というところに戻っていくわけですね。
「南無妙法蓮華経」とこの言葉を本当に深く信ずればあなたはあなたの求めているものにたどりつくのだという事を日は語っていくわけですね。
内村鑑三というのは無教会。
教会は要らないという立場に立っていくんですよね。
ああいう建物も要らない。
教義もそんなに複雑なものは要らないんだと。
それは日にとっても内村にとっても既存のものに対するとっても大きな挑戦だったと言っていいと思うんですね。
この2人は言葉というものを本当に信仰の中心に置いて。
そうですね。
ただここでちょっと注意しなきゃいけないのは「言葉」というのはいわゆる言語ではないんだと思うんです。
例えば自分の大事な人恩師からもらった手紙なんてたった10行なのに我々はそこに無尽のものを感じていくわけですね。
尽きないものを感じていく。
内村や日が大事にした「言葉」というものも書かれていないけどもその人の心に映るものという意味も含めた言葉だと言っていいと思うんですね。
うわ〜…「読む」のは目じゃないですね。
目じゃない。
我々はそこに書かれていない事も同時に感じてるわけです。
わ〜すげえな。
「読む」という事は書かれていない文字も感じる…。
何か分かりますね。
尊い仏の言葉を伝える役目を負った日。
しかし自らを「最も低き者」と位置づけていたと内村は書きます。
一見一部日尊大に思えるような。
それは上の人からお前調子乗ってんじゃねえぞって思われますよね。
…ような感じにも思えますけど日は実は自分をすごく低く見ていた人なんですね。
やっぱりそこがとっても大事だと思うんですよね。
いやそれとやっぱり文章力がすごいなと思うのは…。
ここの何ていうんでしょうねただならぬ使命を帯びているという事はとても日常的な人の姿と離れますよっていう。
大事な事を語ると容易に受け入れられない事ってありますよね。
ある人から見たらそれは狂ってると思われてるかもしれない。
だけどもそれでもなお語らなきゃいけない事は語らなければならないのだという事ですよね。
あの文章の中に「言いようのない悲しみ」という言葉が何かありましたけどねこれは僕あんまり読み過ごしてはならないというか我々が一度踏みとどまってみるべき言葉だと思うんですね。
自分はもう命を懸けて語っている無私の立場で語っている。
目を覚ませと言ってもいや全然大丈夫だと言って人々は惰眠を貪っていると。
その時の預言者の悲しみというのは…伝わらない悲しみですもんね。
それをやっぱり内村はここでだからしょうがないという事なのではなくてそれでも進めって事だと思うんですね。
先人の日もそして内村自身もそういう道をたどってきたと。
だから今悲しくても歩く事をやめてはならないという事だと思うんです。
さあ次回はいよいよ最終回でございます。
「代表的日本人」を更に深く理解するために話し手として内村が残した言葉をご紹介します。
若松さん今日もどうもありがとうございました。
2016/01/27(水) 12:00〜12:25
NHKEテレ1大阪
100分de名著 内村鑑三 代表的日本人 第3回「考えることと信ずること」[解][字]

「考えること」「信じること」というそれぞれの方法で生涯信念を貫き通した中江藤樹と日蓮。いかなる権威・権力にもたじろがない「ゆるぎない座標軸」の大切さを学ぶ。

詳細情報
番組内容
「考えること」「信じること」というそれぞれの方法でゆるぎない信念を貫き通した儒学者・中江藤樹と仏教者・日蓮。中江藤樹は「道は永遠から生ず」との信念を生涯つらぬいた。一方、日蓮は「法華経」を生涯の座標軸に据え、いかなる権力の脅しにも屈せず、死罪、流罪をも精神の力ではねのけた。第三回は、中江藤樹と日蓮の生き方から真摯に考えぬき真摯に信じぬいたからこそ得られる「ゆるぎない座標軸」の大切さを学んでいく。
出演者
【講師】批評家…若松英輔,【司会】伊集院光,武内陶子,【朗読】筧利夫,【語り】小口貴子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0x0808)
EventID:21187(0x52C3)

カテゴリー: 未分類 | 投稿日: | 投稿者: