コラム・連載・特集

日本陸連名誉副会長 小掛照二さん

  • <7> 初の五輪 「金」最有力 けがで不発 (1/30)

     1956年10月の日本選手権(仙台市)で16メートル48の世界新記録を樹立。同年のメルボルン五輪では金メダルの最有力候補に躍り出た。しかし快挙から1週間後、思わぬアクシデントに見舞われた。

  • <6> 社会人時代 驚異的な世界記録樹立 (1/28)

     東京で競技に専念することを決意し1955年、製紙業大手の大昭和製紙(現日本製紙)へ入社する。

  • <5> 早大時代 不完全燃焼の4年間 (1/27)

     三段跳びの高校王者は、1928年アムステルダム五輪で日本初の金メダルを獲得した織田幹雄さんの誘いもあり、51年に早稲田大に進学する。

  • <4> 高校王者 メダリストからの進言 (1/26)

     やれば自分も全国に行けるんだ。トップ3に入れるんだ、と自信をつかんだね。

  • <3> 全国へ 無名のジャンパー飛躍 (1/22)

     佐々木先生からは「絶対に球技はだめだ」と口うるさく言われてね。でも同じグラウンドで練習している野球部を見るとうらやましかったよ。どうしても陸上は好きになれなかった。

  • <2> 少年時代 陸上の道 師が後押し (1/21)

     1932年、府中市上下町の農家の長男として生まれた。父は甲奴陸協の走り高跳びの選手、母はバレーボールの選手だった。39年に上下小へ入学。戦時下、スポーツとは無縁だった当時を思い起こす。

  • <1> 導いた師 陸上・五輪と半生歩む (1/20)

     選手時代には三段跳びで世界記録を樹立。日本陸上界のリーダーとして手腕を振るい、多くの名選手を輩出してきた。府中市上下町出身の小掛照二さん(77)は、スポーツ界の発展のため、今なお情熱を注ぎ続ける。陸...