2016年1月25日に日本弁護士連合会が主催した「リタ・イザック氏招聘記念特別企画シンポジウム−ヘイトスピーチ規制と表現の自由」に参加した。
リタ・イザックさんは国連人権委員会によって任命される少数者の問題に関する特別報告者だ。無償で活動し、各国政府はもちろん国連機関そのものからも自由な立場から、各国政府からの招聘を受けそれぞれの人権状況をレポートし国連に報告する。父がハンガリー系である故にスロバキアからの強制移住を余儀なくされ、母はロマという、自らも差別と偏見、抑圧の被害当事者という立場を持つ。
今回は日弁連の招聘による訪日で、非公式であるため国連総会や人権理事会への公式レポートを書くことはできないが、わずか2日間の短期間に新大久保のコリアタウンを訪問、在日コリアンを含む外国籍住民、イスラム教徒、被差別部落出身者との面談をこなすなど精力的な活動をおこなった。その締めくくりが、日弁連主催のシンポジウムである。
イザック氏がシンポジウムで語られた発言は、「マイノリティ問題に関するリタ・イザック特別報告者 報告書(A/HRC/28/64、2015 年 1 月 5 日)」(反差別国際運動 IMADAR抄訳)をベースに行われた。シンポジウムの議論の端緒として司会を務めた加藤高志弁護士(日弁連人権擁護委員会人種的憎悪を煽る言動などについての検討PT座長)の、ヘイトスピーチ規制、とりわけ刑事罰を伴うものについて、それと表現の自由の干渉についてどう考えるかとの質問があった。それに対して、基本的には各国の裁量に委ねられるものであるというスタンスをとりながらも、国際人権規約、人種差別撤廃条約に法規制および処罰が明文化されていること、人種差別撤廃委員会の2014年8月総括所見、同一般的勧告35、自由権規約委員会2014年7月総括所見等においてもヘイトスピーチを含む規制・処罰すべき人種差別の定義や手順が明確に示されていることを指摘した。その上で、ヘイトスピーチ規制は条約加入・批准各国が当然行うべきことだし、ヘイトスピーチ規制と表現の自由は決して対立するものではないと明言されたことは、規制法(条例)制定を目指す市民運動に関わる立場としては大いに力づけられた。
さらにイザック氏の発言の中では、ヘイトスピーチの害悪について、自らが活動されたイラクでの実例を挙げながら、メディアが大きな役割を果たしながら憎悪が煽動され、そのことでマジョリティの側が、かつての隣人を「ゴキブリ」呼ばわりするような行為に鈍感になっていったという発言だ。その結果、かつての隣人が隣人の家を襲撃するようなヘイトクライムが発生し、さらにはヘイトクライムはジェノサイドのような大惨事に繋がりかねず、だからこそ国としての法規制が必要であるとの、経験に裏打ちされた説得力のあるの言葉だった。また、ヘイトスピーチ被害者が民事訴訟を起こすことによって、加害者に氏名住所等を明かさなければならない現行訴訟手続きの不備を補うため、例えばEUでEU指令によって義務付けられているような、NGOによる訴訟を可能にしたり、集団訴訟を可能とするような法整備を行うべきであるとの指摘した。もう1人のスピーカーである太田健義弁護士(日弁連人権擁護委員会第5部回部会長)も、消費者団体保障制度のような法整備の可能性に言及されていた。このことは、現在、ヘイトスピーチ対処条例施行後の大阪においても相次ぐヘイトスピーチ集会や街宣の予告に対応する市民運動の立場から非常に示唆に富んでいた。
イザック氏はさすが人権保障の実務で各国を飛び歩く実務者であり、このような機会を企画した日弁連担当者の努力に、改めて感謝と敬意を表したい。
しかし、そのように意義深い場であっただけに、シンポジウムの運営、さらに踏み込んで言えば、運営側の日弁連内における認識共有の困難さから生じたと思われる問題が、私をはじめとした多くの参加者にとって欲求不満を残したままに閉会してしまったということが、残念でならない。ひとことで言えばシンポジウム壇上での日弁連側弁護士の発言や議論が、路上を含めた現場でヘイトスピーチに向き合いつつ法規制の必要性を感じ、考え詰めてきた法律実務者や市民のそれと比べると、余りにも認識の違いが大きいと感じざるをえなかったのだ。
前記した、NGOによる訴訟や集団訴訟など、現場からしてここをもっと詰めて聴きたい、議論したいと思った論点も、進行と時間の都合で深めることができなかった。更に、配布・回収された意見欄には大阪で起こっている公的施設を利用したヘイトスピーチについて、それを中止させるために去る1月15日に成立し、18日に公布・一部即日施行されている「大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例」(以下、大阪市ヘイトスピーチ対処条例)を使って何ができるのか示唆が欲しいと記入したのだが、それは取り上げられることもなかった。
シンポジウムの議論全体を眺めても、まず冒頭から前記した通りヘイトスピーチ規制と表現の自由との干渉が進行役から問題提起され、イザック氏から極めて明確な回答が引き出されたのだが、このことは別の捉え方をすれば、未だにそのようなことが問題になっている日本国内、とりわけ政府もそうだし法律実務者の集団である日弁連の議論の立ち遅れた状況を浮き彫りにしたように感じさせた。同じことは、このシンポジウムが北村聡子弁護士(日弁連人種差別撤廃条約に関するWG副座長)による基調報告「ヘイトスピーチに関する日本の現状」から始まったことにも象徴的に現れていると感じた。あたかも一般市民向け講座のような基本的前提の確認をまずしなければならないということに、冒頭から深く困惑すると同時にシンポジウムの先行きに大きな不安を感じた。
今回のシンポジウムでは、日弁連が2015年5月7日に発表した「人種等を理由とする差別の撤廃に向けた速やかな施策を求める意見書」が再三にわたり、進行役と発言者の弁護士から紹介された。この意見書は、人種差別禁止を明文化し、政府行政による教育や啓発、実態調査等の義務を定めた理念法の制定を求めるものだ。さらにはいわゆるパリ原則に則った国内人権機関の設置と個人通報制度を認めるように求めている。一方で、ヘイトスピーチを刑事罰の対象とすることについては慎重な姿勢を示している。刑事規制されるべきヘイトスピーチと許容されるべき表現行為との区別が難しいこと、いわゆる思想の自由市場論、諸外国においても刑事規制を行っているものの有効性が不明であること。日本においては、ヘイトスピーチを含めた人種差別の実態調査が行われていないことなどを慎重姿勢の理由として挙げている。このような意見書を日弁連として発表されたことはきわめて意義深く、喜ばしいこととして受け止めている。しかし私が強い違和感を感じざるをえなかったのは、ヘイトスピーチの刑事規制を巡る弁護士の方々の発言内容および発言の背景にあると推察する認識についてだ。
進行役および登壇した弁護士からは、日弁連の意見書が求める理念法が刑事規制を盛り込んでいないことが再三再四繰り返し説明された。そのような基本法の制定を求めることは、超党派議員によって提出されて国会で審議中の、同じく理念法であり罰則等を設けていない「人種差別撤廃施策推進基本法」ですら成立が危ぶまれている国内状況を踏まえれば、現実的な戦略として理解できるものである。しかし、太田弁護士は「個人的な見解」と断りつつも、刑事規制に反対する理由として次のような理由を述べた。(1)政府に対抗する市民による言論や政治活動に対して、例えば反原発デモや集会に参加する市民を次々と公務執行妨害等で逮捕するような弾圧を、現政府や警察は続けている。そのようななかで、更に弾圧のための手段となるようなヘイトスピーチ刑事規制を与えるわけにはいかない。(2)更に、現行法に照らしてもヘイトスピーチデモや街頭宣伝は、名誉毀損、侮辱、威力業務妨害、脅迫などの刑事規制の対象としうるような行為を行っている。現行法でも警察はやろうと思えば、ヘイトスピーチを行ったものを刑事罰の対象としうるのに、していないだけなのだ。
太田弁護士の、この見解には大きな違和感を感じざるをえない。(1)に関しては、そのような濫用の危険性を排除するヘイトスピーチ定義が実際には十分可能であるということである。前記した「大阪市ヘイトスピーチ対処条例」は、ヘイトスピーチを次のように定義している。
このような条文であれば太田弁護士が例示したような「米兵は帰れ」というような政治的主張、現政権に対する批判的言論がヘイトスピーチとされて処罰対象となる危険性は極めて薄いのではないか。現実には地方自治体レベルで、そのような創意工夫がなされた条例が制定されており、その条例の全文はシンポジウム配布資料に掲載されていた。にも関わらず、それには全く触れずに「濫用の危険性」のみを取り上げて、現政権や警察に対する不信を理由にヘイトスピーチの刑事規制に頑なに反対するのは何故なのか。
会場からの質問にも、「名誉毀損や侮辱などの、表現に関わる刑事規制があるのに、なぜヘイトスピーチに対してのみ、そこまで慎重なのか」というものがあった。これに対して太田弁護士は「ヘイトスピーチの刑事規制は表現内容規制だからだ」と説明したのだが、刑法上の名誉毀損や侮辱等も表現内容に関する規制ではないのか。名誉毀損、侮辱等を刑事規制する法律は、きわめてあいまいに名誉毀損や侮辱等を定義している。しかし、法律があることで、訴訟が提起され、判例が積み重なることで、何が名誉毀損で何が侮辱なのか、時代と社会環境の変化にも対応しつつ定義が明確になっているのではないのか。率直なところ、太田弁護士の回答は回答になっていないのではないかと感じざるをえなかったのだ。このままでは、何が刑事規制に相当するヘイトスピーチもしくは人種差別であるかを、公正な訴訟によって定義することは永久にできず、結果としてヘイトスピーチの刑事規制も永遠にできないことになってしまう。私は、まずは刑事規制を含む法律を作ることが必要であると考える。
頑なにヘイトスピーチの刑事規制に反対する理由とは、結局のところ、その被害実態に対する軽視ではないかと、穿った見方をしてしまいかねない。太田弁護士は、昨年末にヘイトスピーチ被害の実態調査を行うために多民族共生人権教育センターを訪問されている。その際には、センターが2014年から15年初めに生野区在住・在勤在日コリアン100名を対象に実施した、「生野区における『ヘイトスピーチ被害の実態調査』最終報告」に関してもレクチャーを受けている。さらには報告書には記しきれなかった、在日コリアン高齢者や子どもたちの被害実態についても説明を受けているのだ。
私が壇上で目にして、耳に聞いた発言は、実際に起こるかどうかも分からない、しかも法律の書きぶりや実施方法の工夫によって十分予防することが可能である濫用の危険性を心配するあまり、現に目の前で起こっている在日コリアンをはじめとするマイノリティの被害救済や予防のための立法に消極的な姿勢を貫くものだった。これは、被害当事者の立場からすれば「あなた達がヘイトスピーチによって受ける被害は、日本社会全体の表現の自由や言論の自由を守るためには大した問題ではない」「だから、しかるべき時が来るまで被害を受けても我慢するように」と言われているに等しいことである。
太田弁護士の発言を聞きながら、私の脳裏によみがえってきた記憶がある。それは今年1月15日、大阪市会で聞いた言葉だ。本会議に条例案を付託することを審議する財政総務委員会で、そして本会議で賛成討論をおこなった、大阪維新の会、日本共産党、OSAKAみらいの市会議員は、口々に次のような趣旨の発言をされた。
私は、この言葉を財政総務委員会は傍聴席で、都合により帰宅した後の本会議はネット中継で聞きながら、涙がこぼれそうになった。市会議員による、私たち在日コリアンをはじめとする人種的マイノリティの人権を守る条例の必要性を説く議会演説を聴く心の準備ができていなかったというか、不覚を突かれたような感覚である。「あなたも人間であり、差別されない権利をもつ存在なのだ」と、はじめて公的に宣言され、想像しないシチュエーションでの聞き慣れない言葉に戸惑い、その後に感動の涙がこみ上げてきたのだ。
多民族共生人権教育センターが事務局を務める、大阪市にヘイトスピーチ条例制定を求める運動のプラットフォームである、学習会&ワークショップ「いっしょにつくろう!大阪市ヘイトスピーチ規制条例」(以下、学習会)は、市会各会派へのロビイングを行いながら、前述の被害実態調査を届け、直接被害実態と条例制定の必要性を訴え続けてきた。その訴えに耳を傾けていただいたのだと思うと、条例制定に向けた汗をかいたことが労われたようにも感じたものだ。それに比べて、何と血の通わない言葉を語られるのかと、頑なに刑事規制に反対する弁護士の意見を聴きながら感じたのだ。
学習会では、2015年1月、大阪市に対して独自に議論を重ねて作成した「ヘイト・スピーチの規制に関する条例(案)」(以下、規制条例案)を提出している。多くの弁護士の皆さんを交えての規制条例案の条文を議論していったのだが、その過程で忘れられない瞬間がある。規制条例案では、最終的に「公然と、脅迫的又は侮辱的な態様で、ヘイト・スピーチをした者は、2年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処する。」とする罰則規定を設けている。
しかし当初、ほとんどの弁護士の方々は罰則規定を設けることに、きわめて慎重だったのだ。しかし、学習会のなかでの在日コリアンの訴え、そしてカウンター参加者のヘイトスピーチの実態に即した意見を繰り返すことで、「罰則規定やむなし」と議論がまとまったのだ。私は学習会の取り組みに事務局として関わりながら、条例制定を除けば、この瞬間こそが最も感動的な場面であると思っている。
日弁連の弁護士の方々とも、今後対話と協議を続けていくことで、そして被害実態をしっかりと伝えていくことで、同様の瞬間を共有できる日が来るものと確信している。
話を太田弁護士の発言について感じた違和感にもどす。(2)に関しては、明らかな事実誤認、もしくはヘイトスピーチ問題に関する基本的な認識が共有されていないのではないか。京都朝鮮第一初級学校襲撃事件裁判や、現在も係争中の、大阪在住のフリーライター・李信恵さんによるヘイトスピーチ裁判は、いずれも京都朝鮮学園や李信恵さんという被害を受けた特定の個人や法人を名指しする人種差別的言動があったからこそ提訴が可能であったものである。しかし、ヘイトスピーチに関しては「朝鮮人は出て行け」など、その言動が個人を特定しないものの、特定の人種や民族などの属性を持つものを一括りにして侮辱したり、名誉を毀損したり、時として脅迫したりすることによって生じる被害が問題とされているのである。これらヘイトスピーチは現行法のもとでは加害者を罪に問うこともできなければ、被害者が裁判を提訴して被害救済を求めることもできないのだ。
個人を特定しないヘイトスピーチは、だからと言って決して被害程度を薄めるものではない。ヘイトスピーチが名指しする人種、民族等の属性を有する集団に含まれる全ての人に個人の感受性等による差異はあろうが、等しく深刻な被害をもたらし得る行為である。そういう意味では、個人を特定せずに集団に対して行われるものであるからこそ、対象となった集団の人数分だけ深刻な拡大する、悪質な行為であるということもできるだろう。
それに加えて、ヘイトスピーチとはイザック氏の発言にあったように、マジョリティを人種差別に対して鈍感にさせ、社会に分断と対立を生み出し、暴力やジェノサイドにさえつながりかねない社会的な害悪をもたらす行為である。
太田弁護士の発言の中に、「新たな立法を行わなくても、現行法制度のもとでも、例えば鶴橋や新大久保では、ヘイトスピーチデモを許可しない。場所を変えさせるということ。別のところならいいよ、という行政上の措置をとることができる」というものがあった。確かに在日コリアンの集住地域でのヘイトスピーチは、取り分けて許してはならない行為であるが、ヘイトスピーチがもたらす社会的害悪という側面に着目すれば、仮にマジョリティしかいない場所であったとしても、だからこそヘイトスピーチデモや街宣は許可してはならないのである。
だからこそ、諸外国では一般的な名誉毀損、侮辱、脅迫、暴行等の罪よりもヘイトスピーチ、ヘイトクライムは罪が加重されて課される法整備が行われているのではないのか。
さらに、集住地域以外の繁華街等でのヘイトスピーチならまだ許されるという考え方について、ふたたび在日コリアンの個人的被害という側面に注目して考えると、果たしてそれは正しい考え方なのだろうか。大阪でいえば、難波や梅田などの繁華街でヘイトスピーチが繰り返されているが 在日コリアンは、当たり前にショッピングを楽しむにもヘイトスピーチを受ける被害を受容しなければならないということなのだろうか。あるいは、そのようなヘイトスピーチが行われる時は街を歩くなということなのだろうか。在日コリアンが自由に街を歩き、移動する権利は、「人種差別をまき散らす権利」よりも価値が低いということなのか。結局のところ、これら発言の背景には、被害の実相に対する軽視が透けて見えるように感じられてならないのだ。
シンポジウムの最後に、太田弁護士は次のように語った。「今日のシンポジウムを終えて、目の前で行われている人種差別、ヘイトスピーチに対して声を上げる。行動するという点では反省している。これまでヘイトスピーチが実際に行われている街頭にも出たことがなかった。ネット上で散見するヘイトスピーチに対しても反対のメッセージを発表してこなかった。今日のシンポジウムを糧として、これからしっかりとやっていきたい」。
被害当事者の立場からすれば、率直に言って焦ったさを感じる発言ではあるが、人権擁護を本務とする弁護士の世界の中で、ようやくこのような認識が共有されたという意味で、やはり今回のシンポジウムは画期的な意味があったと思う。
やや辛辣に過ぎる表現もあったかもしれないが、ヘイトスピーチをはじめとする人種差別という社会悪をなくしていくための市民運動に関わるものとして、日弁連はかけがえのないパートナーであるという期待から発せられた言葉としてご容赦願いたい。
(2016/01/27)