13/17
三百一日目~三百十日目
“三百一日目”
各所に点在している安全地帯の一つで一夜を快適に過ごし、今日も早朝から【アンブラッセム・ポントス号】の攻略を開始した。
【アンブラッセム・ポントス号】はこれまで攻略してきた迷宮と同じように、場所によって内装などが大きく変化する。
上層になればなるほど大富豪達が乗る豪華クルーズ客船のような宮殿めいた豪奢な内装となるのに対し、現在攻略中である喫水線よりも下の船底に近い区画では、まるで海底に沈んだ邪神を奉る神殿のような内装の回廊と小部屋が広がっていた。
常時海水に濡れている暗緑色の石壁には、フジツボのような甲殻類や毒々しい色合いの海藻類がビッシリと気色が悪くなるほど密集し。
アチラコチラに多数いる邪神教信者が『イア! イア!』とか言って信奉してそうな蛸頭の狂気を撒き散らす邪神像は怪しげな青紫色に輝くと同時に、まるで大量の魚が腐って熟成された時のような臭気を撒き散らしている。
正直、【アンブラッセム・ポントス号】内部では最も劣悪と言っていいだろう場所だ。
トラップの類はあまり配置されていないので進みやすいが、この区画は宝箱の中身やドロップアイテムの質が悪い事も含めて総合的に考えれば、素通りしてもっと利益の出る区画を攻略した方が肉体的にも、精神的にも、戦果的にも良いのだろう。
しかし俺達はこの区画をゆっくり時間をかけて進んでいた。
そりゃ、攻略するだけなら、今の俺達ならゴリ押しでどうにかなるだろう。
俺が居るし、カナ美ちゃんや復讐者達も居るのだから、戦力としては十分過ぎるどころか過剰と言っていい。
しかも長い月日をかけて攻略している他の攻略者からまだ全域は埋められていない未完成品だが、それでも八割ほどが埋まっているダンジョンマップを購入済みだ。
その他にも何気ない会話から情報を収集して、ダンジョンボスが居るだろう最奥に至るルートも、大雑把にだが既に予想できている。
予期せぬ出来事でも発生しない限り、これまで通り攻略して【アンブラッセム・ポントス号】を手中に収める事が出来るだろう。
だが今回はせっかくオーロとアルジェント、それから赤髪ショートとオプシーが同行しているのだ。
最近はほったらかしにしていたので、迷宮という鍛錬に最適な場所で家族サービスの一つや二つ、したっていいだろうさ。
まあ、家族サービスといっても全員ではないが、今回は仕方ない。他の家族には別の形で報いる事にするとして。
そんな訳で環境は劣悪だが、その代わりなのか出現するダンジョンモンスターが基本的に一体で放浪し、多くても三体までしか群れず、取得経験値が他の区画よりも少し多く得られるという特性があるこの区画は都合が良かった。
ここなら上手くやれば一対多という有利な状況で戦闘に移行できるので、これまでのように助力する機会をグッと減らす事が可能だ。
やはり俺達が数を減らしたり弱らせたりするとオーロ達の取得経験値が減ってしまうので、敵を倒せる場合にはできる限り助力せず地力で倒させた方がいい。
という事でいつでも助けられる距離まで下がり、甘えてくるオプシーを抱きかかえ、勇猛果敢に挑む赤髪ショート達を見ながら、皆以前と比べて遥かに強くなったものだと嬉しく思い、同時に大丈夫だろうか、とハラハラドキドキしながら戦いの行く末を見守った。
■ ◇ ■
【オーロ視点】
生まれて初めて見る大海。
透き通るような海水で満ちたそこは、最初果てしなく広がっていると思った。
なのに大海の先にはまだ見た事も無い別大陸があると言われて、想像もできない世界に興味を抱いたのは、つい先日の事。
その時こそ、いつかこの大海の先にあるという大陸に行ってやる、という野望を私が抱いた瞬間だったと言えるわね。
まあ、そんな野望はさて置き、想像以上に綺麗な大海に面している迷宮都市≪ドゥル・ガ・ヴァライア≫をジックリと観光できたのは、とっても良かったと思ってる。
やっぱり生活している場所の特性によって、文化とか技術とかは発展するものだからね。
生活習慣の事とか、食文化の事とか。今まで知らなかった事を知る、絶好の機会だったわ。
街並みとかもこれまでにはなかった構造だったし、興味深かったからとても楽しめたのよね。
ただ、今回お母さんや鬼若達がいなかったのはとっても残念だったわ。
こんな綺麗なところを観光するのに、お母さん達がいないなんて勿体ないと思うのよ。
だけど、いつか超えてやろうと思って目標にしているお父さんが居たし、優しくて綺麗なカナ美義母さんや、厳しくも包み込んでくれるルベリア義母さん、それに生まれた時から居る私の半身とでも言うべきアルと、可愛い可愛い私の大切な妹達の片割れであるオプシー、あとは時々鍛えてくれる復讐者さん達が居たから、まあ良しとしておく事にしたわ。
お父さんがまた今度、皆で来ような、って言ってたしねッ。
今は思いっきり遊んで、今度皆で来た時には私が案内してあげなくちゃねッ。
思いっきり観光を楽しんだ翌日、私達は小舟に乗って山みたいな大きさの船――【アンブラッセム・ポントス号】に乗り込んで、初めて本当の【神代ダンジョン】の中を体験する事になったわ。
そして錨を伝って中に入ったと同時に、お父さんの【神代ダンジョン】とは違うと理解する事になった。
ヒヤリとするような、独特の雰囲気。
命を狙われている、という感覚。
周囲に潜んでいる、明確な敵意。
巧妙に隠された、挑戦者を試す神意。
お父さんが攻略した【神代ダンジョン】では、どこか安心感が得られていた。
でもここはまだ攻略されている訳ではないから、その安心感が無かった。
これが本物の【神代ダンジョン】なんだって、すぐに理解できた。
約束された安全など皆無であるここは、まだ私とアルには荷が重い。
私達だけだと即座に殺されてしまうような格上ばかりが雑兵として配置されている、と思えばいいでしょうね。挑戦するのすらまだ私達には許されていない、そんな領域ね。
けどお父さん達が助けてくれて、数回程戦闘を経験する事ができた。
数を減らしてくれたり、体力を削ってくれたりしたその分だけ得られる経験値は減少したのだろうけど、格上ばかりだったからか得られる経験値の総量は多い為、私達に蓄積されていく経験値は規定値を越え、グングンとレベルを上昇させた。
それに加えて倒した後は死体が消える前に可能な限り肉を食べる事で、私達が持つ【聖獣喰い】の効果が発動し、普通よりも遥かに効率的に能力が向上していく。
それによって入る前よりも確実に私達は強さを増した。
それでもまだ私達には早すぎる場所だから、私達がこうして上の世界を経験した後はお父さんがここをサッサと攻略して、私達に後から訓練をつけてくれると思っていたの。
――でもね。
『この区画ならオーロ達のレベル上げに丁度いいだろうから、じっくり進んでいこうか』
そう、お父さんが言ったの。
そりゃ、私達だって早く強くなりたいわ。
少しでも強くなって、お父さん達に守られるだけの存在じゃなくて、助けとなれるようになりたいし。
でも、別にこの区画じゃなくてもいいじゃない、と思うのよ。
船底に近い区画なんだけど、ここは凄くジメジメしているし、壁にビッシリと生えた、フジツボ? っていうのなんて、凄く気持ちが悪い。
見ているだけで鳥肌が立ちそうになるわ。
それに鼻が馬鹿になるほど臭いし、出てくるダンジョンモンスターも何だか生っぽいし、何だかネバネバというか、とにかく気色の悪い体液に濡れてるのもいるのよね。
しかも個体としては私達より強いから、少しも油断できない。
下手すれば、多分即死する事もあるでしょうね。
精神的な重圧でストレスが溜まるし、肉体的にも堪えるのよ。
まあ、ストレス発散も兼ねて思いっきり魔砲をぶっ放しても怒られないから、完全に嫌って訳じゃないけどね。
「オーロ姉、まだですかッ」
単身前衛として頑張ってくれているルベリア義母さんをサポートする為、弟のアルは“鬼珠”を解放し、手にした白銀の大弓にパルチザンを番え、矢継ぎ早に眼前の敵――“怒りの荒くれ者”へと射掛けている。
「ゴオオオオオオオオオオッ!!」
怒気を漲らせて咆哮する“怒りの荒くれ者”は、六メルトルという見上げるほどの巨躯に備わった卓越した身体能力と、手にする巨躯に見合うサイズの斧のような錨を武器に戦う巨人の一種。
巨躯相応の重量だけでも脅威だけど、それを支える強靭な筋肉や骨格、そして青色の分厚い皮膚は半端な攻撃を受け付けない天然の防具でもある。
幸いにも遠距離攻撃はしてこないけど、接近戦では私やアルではまだまだ分が悪い強敵ね。
「くそッ、なんて防御力だッ」
アルは構造的に比較的柔らかい眼球や耳、致命傷を負わせやすい頸部、それと動きを鈍らせる事のできる四肢の関節を正確に狙っているけど、やっぱり皮膚や筋肉が厚すぎて攻撃の効きが悪いわね。
一応グサリと突き刺さってそれなりに出血させているし、若干ながら動きを阻害する事には成功している。
普通の相手ならもう倒していても可笑しくはないんだけど、あの巨躯からすればダメージは少なそうだわ。
現に今も元気よく暴れているしね。
「ガアアアアアアアアアッ!」
そんな“怒りの荒くれ者”の最も近い場所では、ルベリア義母さんが獣のような咆哮を発しながら縦横無尽に攻めていた。
豪速で振り回される錨を軽やかに回避し、時には【将軍凧盾】で逸らしながら戦っているルベリア義母さんは、純白で肉厚な刀身をした愛剣【将軍大包丁】に赤い燐光を纏わせ、右膝の同じ箇所に斬撃を集中させている。
何かしらの戦技を使用した斬撃の集中攻撃には流石の分厚い皮膚や筋肉も耐え切れなかったらしく、夥しい鮮血を噴出させながら巨木のような片足は切断されたようね。
「ギガッ、ゴオオオオオオオオオオッ」
片足を切断されてバランスを崩した“怒りの荒くれ者”だったけど、せめてもの反撃なのか、地面に倒れながらその手に持つ錨をルベリア義母さん目掛けて振り下ろした。
まるで巨岩が落下してきたような一撃だったけど、ルベリア義母さんは既にそこに居ない。
獣以上の俊敏さで既に攻撃範囲外に逃げていたからだ。
錨は石畳の回廊を穿ち、破片を勢い良く飛び散らせたけど、その他の被害はなかった。
「――ッチ」
小さな舌打ちが聞こえた。
それはルベリア義母さんが漏らしたものだった。
「もう再生が始まってるかぁ。同じ程度の体格ならとっくに仕留められるんだけど、大きさって厄介だなぁ、本当に」
ルベリア義母さんが距離をとった僅かな間に、“怒りの荒くれ者”は切断された右足を再生させている。
切り落とされた部位と部位を無理やりくっつけ、馬鹿げた再生力で繋ぎ合わせてしまったのだ。
多少の違和感があるようだけど、動きにそこまで問題があるようには見られない。地面に転がっていたはずの状態から、もう立ち上がってしまった。
切断された足をくっつける間、アルが懸命にパルチザンを撃ち込んでいたけど、多少の被弾を無視して再生を優先していた。
やっぱりこれまでの迷宮で戦ったダンジョンモンスター達と比べて知能が高いわ。
攻撃されても、しっかりと優先順位を決めて私達を屠るために動いている。
「圧倒的な体躯差のある相手に対する決定力不足、か。今後の改善点にしないと」
ルベリア義母さんは近接戦で三倍以上大きい“怒りの荒くれ者”を圧倒している。
それは一切ダメージを負わず、一方的に攻撃していた事から分かる事だけど、それでも再生能力を突破して殺害するには攻撃力が若干足りなかった。
大きさが違いすぎるのだから仕方ないけど、それが気に食わなかったらしい。
ルベリア義母さんは攻撃を回避しながらブツブツと改善すべき点を見つめ直し、アルはそれをサポートしているけど、決定力が欠けている為なかなか倒せそうにない。
事態は膠着した、とも言えるわね。
でも、こんな時こそ私の出番なのよねッ。
「魔弾生成完了ッ、私達の経験値にしてあげるッ」
“怒りの荒くれ者”を斬撃や打撃で倒すのは困難なら、再生が追いつかない程の火力で全身を一気に燃やしてしまえばいいのよッ。
[オーロは戦技【破滅の魔砲】を繰り出した]
今回は戦技も上乗せして、確実に火葬してあげるッ。
「ちょッ、まだルベリア義母さんがッ」
アルが何か叫んでいるけど、アルが見えてないだけでルベリア義母さんはとっくに退避済みよ。
しかも退避する前に、飛ぶ斬撃を繰り出す戦技を使って“怒りの荒くれ者”の眼球を深く切り裂いていった。
短時間で再生されるだろうけど、それによって一時的に視界を奪われた“怒りの荒くれ者”が私の攻撃を回避する可能性はグッと低くなったわね。
そんなルベリア義母さんの援護に感謝し。
「ファイヤー!!」
お父さんがくれた魔砲の引き金を絞ると、魔砲の砲口からは目も眩むような発火炎と共に耳を劈く轟音が迸り、内部で私の魔力を糧に生成された魔弾は視認できないほど高速で射出され、狙い違わず視界を奪われ、万全では無い右足のせいで咄嗟に動く事の出来なかった標的に着弾する。
胸部に直撃を受けて錨を手放しながら大きく仰け反ったと同時に、“怒りの荒くれ者”の全身を包むのは青白い業火。
しかも周囲に拡散する事はなく、まるで鎧のように“怒りの荒くれ者”の全身を包んでいる。
まるで巨大な松明めいて、高い天井を焦がす程の火柱が立ち上った。
「ギ、ギガアアアアアアアアッ」
青白い業火によって全身を燃やされては、流石の“怒りの荒くれ者”も堪らないようね。
見る間に青い皮膚は焼け爛れ、再生しようとしていた眼球は沸騰して弾け飛び、業火を吸い込んだ肺は内部から燃えだし、肉が焼けていく匂いが漂い始めたわ。
今回選択した魔弾は消えない魔炎を発生させる不鎮炎弾と、特定範囲に強風を発生させる錯乱風弾を合成した劫火纏嵐弾よ。
レベルが上がった私の【魔砲使い】で最近生成する事が可能になったばかりの合成魔弾の中で、最も攻撃力が高い魔弾であるそれに、戦技【破滅の魔砲】を上乗せさせた結果その威力は通常の時と比べて三倍以上にまで引き上げられている。
例え異常なまでにタフな“怒りの荒くれ者”でも、生物である以上は全身を燃やされればダメージは通るッ。
「ガアアアアアアアアアアッ!」
でも、それでも死んではいなかった。
全身を燃え上がらせ、まるで炎の巨人のようになった“怒りの荒くれ者”は、怨嗟の咆哮を撒き散らしながら私に向かってくる。
現在“怒りの荒くれ者”の全身を包んでいる炎は数千度にまで達している。
魔弾の効果によって周囲に飛び火こそしないけど、流石に近すぎれば熱波に焙られて非常に熱い。
「ファイヤーッ! ファイヤーッ!」
多少は我慢できるけど、それも限度というものがある。
慌てて後方に下がりながら、倒すために追加で劫火纏嵐弾を撃ち込んだ。
炎の勢いはより一層増し、周囲のジメジメとしていた空気が熱波で散っていくのがよく分かる。
「ガアアアアアッアアアア、アア……」
そしてついに勢いを増した業火に耐え切れなくなったらしく、四肢の末端から燃え尽きた部位がボロボロと崩れ落ちていく。
自重に耐え切れなくなった脚部が砕け、巨体が前のめりに転倒した。それでも腕などを使って近づいて来る事を止めなかったのには流石に恐怖したけど、アルがパルチザンを撃ち込み、脆くなっていた肉体を次々と砕いたわ。
肉体の半分以上が燃え尽きてもまだ死んでいない事に驚いたけど、動けなくなった“怒りの荒くれ者”にルベリア義母さんがトドメを刺した。
上段から振り下ろされた戦技による一閃。振り抜かれた後から風切り音が聞こえてくる程の鋭い一撃は、惚れ惚れするほど綺麗だったわ。
でも、これで“怒りの荒くれ者”との戦闘は終了した。
「よしッ、これで――」
“怒りの荒くれ者”という強敵を倒した事で、私は一瞬だけでも油断してしまった。
それが新たな敵にとって、致命的な優位になったのは間違いない。
「――“精神侵す悪意の波動”」
私の死角になっていた横道から放たれ、一瞬で身体を駆け抜けた黒い波動――深淵系統第五階梯魔術“精神侵す悪意の波動”。
油断していた精神による抵抗など圧倒的な威力の前には無意味であり、私はまるで熱した金属棒で脳髄を掻き混ぜられるような耐え難い激痛に蹲るしかなかった。
それでも何とか状況を確認するため顔を上げた時には、アルやルベリア義母さんだけでなく、知っているありとあらゆる人達の死骸がまるで山のように視界一杯に積み重ねられた光景を目の当たりにした。
鼻腔を貫く夥しい血と、臓物と汚物が混じりあった時特有の悪臭。
踏んだ死骸の骨を砕き、腐った肉が擦れる生々しい感触。
五感で感じるそれは幻覚ではなく、現実のものとしか感じられなかった。
「うぷっ」
胃からこみ上げる気持ちの悪さ。食道が胃酸で焼かれ、鼻に来るツンとした臭い。
家族全員が惨たらしく死に果てた様は精神的に強いストレスがあり、消える事の無い頭部の激痛は正常な判断を遮断しようと効果を発揮した。
恐らく今の私は、【恐慌】や【混乱】といった【状態異常】に侵されている。
直撃した“精神侵す悪意の波動”は肉体を破壊するなどの効果はないけど、精神に強いダメージを与え、精神的な【状態異常】を幾つか引き起こす陰湿な魔術、と勉強して知っているから、間違いないわね。
だから今見えているモノ全てが幻覚、そのはずなのに。
余りにも現実的な感覚が、もしかしたらそうなっているのでは、なんて思いを引き出してしまう。
振り払う事など今の私にはできない。圧倒的強者から放たれた魔術に抵抗できない。
「イア! ムグディアングルム」
幻覚のはずの、屍の山の上。そこに魔術を行使した敵がいる。
まるでタコのような頭部、口元には無数の触手型捕食器官が脳髄を求めて蠢き、人間のような胴体を持つ、狂気を撒き散らす残忍なダンジョンモンスター“イシリッド”。
肉体的にはそこまで強くないけれど、魔法的な分野では非常に優れている事でも知られる、この迷宮で遭遇する敵としては最悪に近い存在ね。
ハッキリ言って、私達では勝ちようが無い。遭遇した瞬間に勝敗は決してる、そんな格上だった。
そんなイシリッドが、白目を剥いたお父さんの生首を細長い骨と皮だけのような指で掴み、口元の蠢く触手型捕食器官を使って脳髄を啜っていた。
ジュルジュルジュルジュル、嫌な音が聞こえてくる。
ニタリ、イシリッドが悪意に満ちた笑みを浮かべた気がした。
「あ、あ、あああ、ああああああああああ」
思わず私の口から出る叫び。
それに気を良くしたイシリッドが、脳髄を吸い尽くしたお父さんの頭部を両手で押し潰した。
まるで爆発したかのように飛び散る肉片。
「イア! アンバルゥグンナム」
そして勝ち誇るようにイシリッドは何かを言い、お父さんの頭部だった肉片がこびり付くその手に濃密な魔力を集約する。
何かしらの魔術を発動させようとしているのだろうけど、私にはそんなの関係なかった。
「あああああ、アホかーーッ!」
「イア!? アブルンマ!?」
幻覚だと分かっていて、それでも現実だと思ってしまうような光景は確実に私を苦しめていた。
間違いなく、私は“精神侵す悪意の波動”によって正常な精神状態ではなかった。攻撃されれば、防御すらできずに殺されていたと思う。
でも、流石にこんな、有り得ない光景を見させられれば、正気に戻るというものだ。
「お父さんがアンタ如きに殺される訳ないでしょうがッ! お父さんはアンタの同族と遭遇した時に『お、タコ発見。よし、食べてみよう』って言って、槍の一薙ぎで抵抗すら許さず瞬殺してたじゃないのッ!! しかもその後実際に食べて『あ、タコ足がコリコリしてて美味いな。お土産に何体か狩ってこうか』って言ってたしッ」
この区画に来るまでの間、数体だけと数は少なかったけどイシリッド達とは遭遇している。
その時にはまるで草を刈るように、お父さんはイシリッド達を瞬殺しているのを目の当たりにしているのだ。
しかも【恐怖】し半狂乱して高階梯の魔術を連発してくるイシリッドに対し、防御らしい防御もせず、ただ近づいて槍でなぎ払うだけでお父さんは殺している。
そんな存在が、お父さんの生首を掲げて脳髄を啜るなど、幻覚にしても酷すぎるわ。
「あーもう、あーもう、なんでこんなのに負けたのかしら! あームカつくッ」
もう頭の激痛はない。多分【状態異常】も消し飛んでいる。
馬鹿げた余興に付き合わされたような鬱憤を晴らすのは、ピッタリな方法が既にあるから、私は迷わずそれを実行した。
「全部全部全部、ぶっ飛べーーーーッ!!」
最大にまで魔力を込めた魔砲が生み出す魔弾。
それが尽きるまで、私はイシリッドに向けて引き金を引き絞る。
圧倒的な爆砕が、イシリッドを一瞬で飲み込んだ。
■ ■ ■
見守っていたが、“怒りの荒くれ者”との戦闘を終えた直後、丁度死角にあった横道からやってきたまだオーロ達では勝てないだろう“イシリッド”の魔術がオーロに直撃した時は、心底どうなるかと心配させられた。
酷く辛そうにしていたので思わず手助けしようとしたが、流石は俺の子とでも言えばいいのか、複数の精神系【状態異常】に苦しめられていたというのに、強い精神力だけで打ち勝つという偉業をやってみせたのだ。
予想以上に成長しているのだと感心しつつ、復活したオーロが撃ち放った魔砲の魔弾によって圧倒的な破壊が周囲に振りまかれる。
その余波に巻き込まれてアルジェントが吹き飛ばされるなんてハプニングがあったが、まあ、そういう事もあるだろう。
流石にイシリッドを倒すまでにはいかなかったが、吹き飛ばしてそれなりのダメージを負わせている。
衝撃でふらついた隙を赤髪ショートが逃すはずもなく、死角から接近し、その頸部を一瞬で両断して仕留める事に成功する。
イシリッドのタコ足は結構美味しいので、即座にアイテムボックスに収納するもの忘れない。
戦闘後は少しの反省会――勝ったと油断し、奇襲を受けてしまったので――をした後、良くやったと褒める。ダメなところもあったが、全体的には悪くなかっただろう。
今日一日はそんな感じで、子供達優先で攻略していった。
“三百二日目”
もう少しでオーロとアルジェントのレベルが“100”に到達するらしい。
それならば、という事で今日一日も船底近くの区画でウロウロする予定なのだが、昨日一日見学していたオプシーがオーロ達の戦いに感化されたのか、私も参加したいと言い始めた。
戦闘本能が強いのは【鬼】の血が濃い証拠だ。
いつかはそう言うだろうな、とは思っていた。
しかしオプシーはまだ幼い。
俺の血が流れているからか通常の鬼人種と比べて確かに成長は早く、もう自力で歩き回れる程度にはなっているが、それでもここで戦うなんて事は不可能だ。
一応軽く訓練はしているが、オーロ達と比べて成長は緩やかなので身体はまだ出来ておらず、本格的な訓練に耐えられるとは思えない。
そもそも【神代ダンジョン】が初陣なんてのは馬鹿げている、のだが。
オプシーが持つ二柱の加護、つまり【宝石の神】と【冥獣の亜神】の恩恵がその問題をクリアさせてしまった。
オプシーは【宝石の神の加護】によって、魔力を一時的に宝石へ変換する能力を秘めている。
【使徒鬼・亜種】として子供でありながら豊富な魔力を内包しているオプシーは、最大で五十キロもの宝石に変換が可能だ。
その方法で変換した宝石は一定時間が経過すると魔力へと再変換されて霧散してしまうが、それは仕方ないとして。
そうして得た五十キロの宝石はオプシーが持つもう一つの【冥獣の亜神の加護】の能力の一つを行使する事により、宝石で造られた冥獣に変形させる事が出来た。
宝石を使ったある種のゴーレムだと思えばいいだろうか。
二種の【加護】によって出来上がった狼とも獅子とも虎とも思えるような造形の、鋼玉製の二頭の宝石冥獣――分かりやすいように一頭は紅玉、もう一頭は蒼玉で出来ている――はオプシーの代わりとして戦闘に参加する事になった。
実際に戦闘させて分かった事だが、宝石冥獣は全身各部位が兵器と同義だった。
鋭い牙だけを高速回転させてドリルのようにしたり、尻尾の毛一つ一つを針金のように尖らせて敵を撫で削る事も、四肢を刃に変えて敵を切り裂く事も可能だ。
研磨剤として使用される事のあるコランダム製という事もあって半端な攻撃なら受け付けない冥獣は、最初は損害度外視で突っ込ませてオーロ達の壁になればそれでいいと思っていたのだが、時にダンジョンモンスターを狩猟するなど予想以上に活躍し、ここでも通用する強さを証明した。
ちなみに、オプシーが変換できる宝石にも相性というものがあるらしく、最も適していたのは黒曜石だった。
長時間変換しておけるし、ある程度の損傷なら魔力を追加する事で即座に再生する事ができる。
しかし今回は戦闘が目的であり、宝石冥獣の役割は壁役なので、モース硬度的に黒曜石は適していない。
確かに鋭利でダンジョンモンスターを斬る事もできるのだが、ハッキリ言って脆いため、弱パンチとかでも破壊されかねなかったのだ。それだと壁役としてはちょっと不適切である。
そのため今回は相性は良くはないが悪くもないコランダムを選択したのだが、悪い選択ではなかったようだ。
そして戦うのが面白いのかオプシーは楽しそうにケラケラと笑い、どんどん強さを増していった。
レベルが上昇し、魔力が増加し、熟練度が上がると、より多くの宝石を変換できるようになった。
従える宝石冥獣達も最初の二頭よりは増え、それを組織的に運用できるようにもなっていく。
初めての指揮にしては的確なので、多分、俺が持つ【群友統括】や【軍勢統括】といった類のアビリティを遺伝として保持しているに違いない。
なんだか将来は大量の宝石に囲まれ、様々な色合いの宝石冥獣を侍らす女王様になりそうだな、と思ったり思わなかったりするが。
まあ、そんな感じで。
子供達のレベルを上げられるだけ上げた後、ダンジョンボスが居るだろう区画に近い場所にあった安全地帯で最後の休息をとる。
柔らかいベッドで横になり、明日に備えて早く寝ようとして――。
[世界詩篇[黒蝕鬼物語]【鬼乱十八戦将】であるオーロが存在進化しました]
[条件“1”【存在進化】クリアに伴い、称号【金砲姫】が贈られます]
[世界詩篇[黒蝕鬼物語]【鬼乱十八戦将】であるアルジェントが存在進化しました]
[条件“1”【存在進化】クリアに伴い、称号【銀槍王】が贈られます]
どうやら二鬼とも【存在進化】したらしい。
どんな風になったのか楽しみにしながら、ゆっくりと意識を沈ませる。
明日は、いい日になりそうだ。
“三百三日目”
昨日【存在進化】したオーロとアルジェントは、共に【半人武鬼・亜種】という種族になったそうだ。
外見的に大きな変化は身体を成長させた事と、片手だけだったのが両手と胸の中心と鬼珠の数が三つに増えた事くらいだろうか。
だが、確実にその強さを増しているのは漏れ出る魔力から容易く分かった。
以前との差異は何処かと話を聞く事で判明した事だが、まず【亜種】になる条件の一つであり二鬼が得た【加護】は、オーロが【金の神の加護】と【魔砲の亜神の加護】、アルジェントが【銀の神の加護】と【魔槍の亜神の加護】らしい。
【金の神】と【銀の神】の【加護能力】は非常に酷似しており、金または銀を使用したマジックアイテムなどの効果向上や、【宝石の神の加護】のように魔力を変換して一時的に金や銀にする事が可能になる、などだ。
【魔砲の亜神の加護】は魔砲を使用した時に効果を発揮し。
【魔槍の亜神の加護】は槍を使用した時に効果を発揮する。
全体的に見て大幅に向上した戦闘能力を早速試したいと言っていたが、とりあえず朝食を優先した。
腹が減っては戦はできぬというし、何よりまだ準備が整っていない。
朝食を食べている間、まず二鬼の身体が急激に大きくなった――オーロは百八十センチを少し超えたくらいで、アルジェントは二メートル近い大きさだ――影響で服が小さくなってしまったので、母親である姉妹さん達がもしもの事があればこれを渡して、と以前拠点に立ち寄った時に渡してくれたものをそのまま渡す事にした。
喰べ終えた後で着替えてみると、サイズはピッタリだったらしく、進化したオーロ達の動きを阻害していないようだ。
これが腹を痛めて生んだ母の愛情なのかと感心しつつ、武装のサイズ調整など用意を済ませ、少し確認の意味も兼ねてその辺りのダンジョンモンスターと戦闘を開始した。
そして初戦から進化し、向上した実力が発揮された。
あれほど苦戦していた“怒りの荒くれ者”をオーロ達は単鬼で討伐できるようになっていたし、鬼珠を解放した時に出現する弓や槍はより強力な能力を秘めたモノになっていたり、戦技の一つ一つの威力が大幅に向上していたのである。
午前中はオプシーも加えた子供達に好きなように戦わせた後、昼飯を食べてからダンジョンボスを目指す。
そしてそもそも近くまで来ていた事もあり、そこまで迷う事なくボス部屋の前にまで到着した。
場所は船首に最も近く、最上階から一つ下にある船橋だ。
巨大な【アンブラッセム・ポントス号】のブリッジだけあって、非常に大きな空間が広がっていた。前方や左右はもちろん、後方まで見えるような開放感のある構造をし、海図を広げるのに良さそうな大きさの机や操舵輪など航海する為に必要な数々の器具も揃えられている。
そのためこれまでのボス部屋と比べて障害物が非常に多く、決して戦いやすいとは言えない、広い空間でありながら狭苦しさも感じられる場所でもあった。
そんなボス部屋に居たダンジョンボス“黒き海の大提督”は、黒い軍服を纏う筋骨隆々な体型をした鯱頭の獣人だ。
体格は三メートルをやや超える程度で、尻尾があるなど各部位に鯱の特徴が見受けられる。
特にシャチ特有の目のような白い模様の下にある本当の目は爛々と戦意に輝き、どこか愛らしさが感じられる姿からは想像できないほど好戦的だ。
生体剣だろうサーベル型の長剣からは相応の魔力が感じられ、業物なのだろうと推察できる。
シャチ系の獣人は大海において、鮫系の魚人と並んで勢力を広めている種族として知られている。
大海のどこかに彼・彼女等の国もあるらしいのだが、その戦闘能力は海中は当然として、海上でも油断はできない程高いらしい。
だがそんな情報は気にせず、最初から全力で叩き潰す為、対面したと同時に動いた。
まず【撃滅の三歩】を発動させ、一歩目で前方に跳躍し、障害物を跳び越えながら間合いを詰める。
数十メートル程の距離は一瞬で消失し、それに反応した“黒き海の大提督”が迎撃するため腰にあるサーベル型長剣へ手を伸ばすが、抜剣するよりも速く【無音の破突】や【蜂の一刺し】などを発動させた朱槍を突き出した。
普通の相手ならば朱槍の性能とアビリティの重複発動による威力向上によって手応えらしい手応えもなく貫通するのだが、流石【神】級のダンジョンボスと言うべきか。
軍服は見かけに反して高い防御力を有していたし、外皮は分厚くしなやかで斬れ難く、屈強な肉体が備えた強靭な筋肉や骨格は【知恵ある蛇/竜・龍】や【巨人】にも劣らぬ程密度が高い。
それ故に、“黒き海の大提督”の肉体はまるで巨大な金属塊を突き刺すような重い手応えがあった。
大半の攻撃では外皮すら傷つけられないに違いないだろう。
だが、それでも朱槍を止めるには足りなかった。
真正面から突き刺さり、背面から突き出た朱槍の穂先にはまだ脈打つ心臓があった。
できる限り綺麗なまま仕留めたかったのでそのまま死んでくれれば最良だったのだが、流石にその程度で死ぬ存在ではないらしく。
心臓を抉られただけでは絶命せず、痛がるどころか間合いに入った俺に対して“黒き海の大提督”は穿かれながら柄を握ったサーベルを抜き放った。
その抜剣速度は音が後から聞こえてくる程だったが、その凶刃が俺を切り裂く前にあえて二歩目を踏み出す事で身体が密着するほど近づき、四本ある銀腕のうちの二本で“黒き海の大提督”の両腕を完全に拘束する。
俺の脇腹にはサーベルが触れているが、最早切り裂く事は出来ない状態だ。
そうして動けなくした後、深々と突き刺さったままの朱槍から手を離す事で自由になった残りの二本を両脇腹に添え、両側から圧縮するように力を込める。
その際には特殊な身体の動きで脚部から発生させた力をねじ込むと共に、【黒覇鬼王の金剛撃滅】や【黒覇鬼王の蹂躙暴虐】など手持ちで最も強力なアビリティも発動させた。
すると“黒き海の大提督”の肉体強度など意味がないかのように掌はめり込み、激しい雷撃が全身を駆け巡り、内部から筋肉や骨や血管や内臓などあらゆる一切が潰れていく感触が伝わってくる。
まるで車に引かれたカエルか、あるいは絞った雑巾、とでも言えばいいのだろうか。
二本の銀腕で両腕を拘束して動けなくしていた事と、“黒き海の大提督”の肉体が頑丈だった事により、何だか可哀想なくらい圧壊されていく。
左右からの力が加えられた事で上下に伸びる肉体。内部はグチャグチャになり、内容物が上下に分かれて歪に膨らんでいく。
目は充血し、耳鼻から血が漏れ出し、下には血溜まりが出来ていた。
致命傷であると一目で分かってしまうほどの損壊具合。
だが、それでもまだギリギリ死んでいない。
普通なら何十回も死んでいるのではないだろうか、と思ってしまう悲惨な状態だが、それでも目に見える速度で再生しようとしているのだから恐ろしい。
破壊された物体が逆再生していくような光景をイメージしてもらえればいいだろうか。
正直ここまで破壊された状態から再生するのは生物としてどうだろうか、と自分を棚上げして思っていると、最後の反撃とばかりにまだ無事だった頭部を懸命に動かし、“黒き海の大提督”が噛み付いてきた。
白く輝く牙が整然と並び、大きく開かれた口は俺の頭部を容易に丸呑みできるほど巨大だ。
が、それに合わせて、最後の三歩目を踏み出すと同時に頭突きを食らわせる。
頭部攻撃時に効果を発揮する【頭突き】や【石頭】に加え、【雷滅の斬角】や【双角乱舞】など五本角による斬撃も強化された一撃は、雷電を迸らせながら“黒き海の大提督”の身体を縦に切り裂いた。
流石にそこから再生する事はなく絶命したようだが、雷電によって血は蒸発して血煙となり、肉は焼けて香ばしい匂いを発している。
思わず一齧りしてしまったのだが、噛んだ途端、衝撃が身体を突き抜ける。
野性味溢れる肉の味ながら、濃厚で味わい深い。大海を泳ぐのに必要な柔軟かつ力強い肉だからこそ引き出せる旨味というのだろうか。
竜女帝を彷彿とさせるそれに思わず次の肉片に手を出し咀嚼してから我に帰り、残りの部分はアイテムボックスに回収する。
一鬼で食い尽くしてしまっては、他の皆の反応が怖かったのだ。
[ダンジョンボス“黒き海の大提督”の討伐に成功しました]
[達成者一行には初回討伐ボーナスとして宝箱【鯱肉林】が贈られました]
[攻略後特典として、ワープゲートの使用が解禁されます]
[ワープゲートは攻略者のみ適用となりますので、ご注意ください]
[詩篇覚醒者/主要人物による神迷詩篇攻略の為、【船舶の神】の神力の一部が徴収されました]
[神力徴収は徴収主が大神だった為、質の劣る神の神力は弾かれました]
[弾かれた神力の一部が規定により、物質化します]
[夜天童子一行は【船舶神之操舵輪】を手に入れた!!]
[特殊能力【迷宮略奪・鬼哭異界】の効果により、制覇済み迷宮を手に入れる事が出来る様になりました]
[条件適合により、[アンブラッセム・ポントス号]を略奪可能です。略奪しますか?
≪YES≫ ≪NO≫]
当然≪YES≫を選択した。
そして円に三本の直線を重ねた一般的なデザインの黄金製操舵輪にしか見えない【船舶神之操舵輪】がどのような能力を秘めているのかや、新たに入手した迷宮内部の調節などの色々雑務をこなしてから外に出る。
思いの外時間を使ってしまったようで、外は丁度夕暮れ時だった。
茜色に染まる大海は、思わず見惚れる程の絶景だった。
“三百四日目”
昨日倒した“黒き海の大提督”がもし竜女帝のような巨体だったらもう少し手こずったのだろうな、と振り返りつつ、俺達は早朝から【アンブラッセム・ポントス号】あらため【アンブラッセム・パラべラム号】が見える港にやってきていた。
というのも、別大陸と貿易している武装船舶が来航したという情報を宿泊していた高級宿で入手したからである。
以前にもサラッと説明したが、ここ迷宮都市≪ドゥル・ガ・ヴァライア≫では調教された海洋モンスターによって牽引・護衛される大型の武装船舶で構成された船団によって、別大陸との貿易が行われている。
だが大海での航海は非常に危険を伴う為、調教された海洋モンスターが護衛していても全滅する時は全滅してしまう。
聞いた話では、大海では“島喰い”と呼ばれている巨大モンスターや、“魔海域の絶対者”と呼ばれている数キロにも及ぶ体長を誇る超巨大モンスターが実在しているそうだ。
そんな鮫系の魚人や鯱系の獣人達でも手を出せないモンスターが大海には数多く存在する為、別大陸の貿易を行う武装船舶は全滅して貿易が途絶えるというリスクを分散するため、幾つかのグループに分かれて行われている。
という訳で、幾つかあるグループの中の一つが今日無事に到着した訳だ。
初日と言う事もあり、別大陸産の珍しい品や人材が揃っているこの機会を逃すなどできるはずもなく。
意気揚々とやってきた俺達は、魔法金属で補強された二百メートル級の武装船舶を見物しつつ、早速荷下ろしされて開かれていた港の市場で、掘り出し物がないか探して回る。
貿易品は多種多様だ。
独自の技法で造られた魔法合金やマジックアイテムはもちろん、迷宮から産出されたドロップアイテム、コチラにはない植物のタネや見た事もないが有益な家畜、変わった形状の衣服や美しい焼き物、特殊な加工が施された宝石や貴金属といったものから、重犯罪者に【隷属の首輪】を装着させた犯罪奴隷や調教されたモンスターなど幅広い。
船舶からやって来たのは貿易品だけでなく、未知の冒険を求めてやってきた【冒険者】や世界各地を放浪している【吟遊詩人】など別大陸人もいたりするが、その説明は省くとして。
初日だけあって貿易品はまだまだ豊富なようだが、それに比例するように貿易品を求める商人の数も多い。
そのため暑苦しいまでの熱気に満ち、ある種の殺気まで満ちているその空間の中で、俺達はやる気に漲る商人達をよそに、短時間で的確に選りすぐりの物品を購入していった。
手段は簡単だ。
【空間識覚】と【並速思考】を併用し、【道具上位鑑定】と【物品鑑定】を重複発動させて片っ端から並べられた貿易品の詳細なデータを取得し、必要な物を購入しただけである。
資金は十分過ぎる程あるし、【買値三十%減少】によって面倒な値引き交渉は省く事が出来た為、短時間で売買が成立したのも大きな要因といえるだろう。
高額な品でも纏め買いしていたので上客と思われたのか、秘蔵の品も引っ張り出してくれたので、普通では中々買えない貿易品を得られたのは運が良かったと言える。
流石にボッタクリ過ぎだったり、偽装していたり、商品を渡す時に別の偽物に変えようなんて悪知恵を働かせる悪徳商人がいれば裏で色々とさせてもらったが、大半はそういう事はなかったので、思っていたよりも欲しい物は確保できた。
それでも昼過ぎまではかかったのだが、大体は皆で見て回ったので、それ以降は自由行動にした。
すると早速オーロがアルジェントを連れて気の赴くままに行こうとしたのだが、オプシーが二鬼についていきたいと言い出した。
オーロは即座に了承し、オーロとアルジェントは一番下の妹であるオプシーの両手を握り、どこに行こうかと楽しそうに話しながら離れていった。
ここでしか買えないような品は他にも数多いので、必要な物を買ったり、何となく街を巡るのは子供達にとっていい経験になるだろう。
本当は子供達全員が居ればなお良かったのだが、こればかりは仕方ない。またの機会になるだろう。
ただ大丈夫だとは思うが、保険として分体を貼り付けた。
分体がなくても既に十分な強さがあるし、何かあってもある程度の距離なら俺達が文字通り飛んでいけるが、心配なものは心配なのだ。
まあ、結局杞憂に終わったのだが、それならそれが一番良い。
ちなみに復讐者達はある程度楽しんだ後は沖合に錨泊している【アンブラッセム・パラべラム号】でダンジョンモンスター相手に戦闘を重ね、俺はカナ美ちゃんと赤髪ショートを連れて観光に出かけました。
とてもいい一日だった。
“三百五日目”
今日は都市中央にある多数の運河の交差点の底にある、ブルーホールめいた海底洞窟が入口となっている【藻女の深き恵みの洞窟】の攻略をする事にした。
水中にあるので挑戦するのは俺単鬼だけであり、他の皆には自由に行動してもらう事になっている。
【アンブラッセム・パラべラム号】で特訓してもいいし、買い物や観光をしたりしてもいい。
ただカナ美ちゃんにだけは魔帝国にも造った総合商会≪戦に備えよ≫の子会社――迷宮商会≪蛇の心臓≫と同じように、偽装用の新しい子会社が入るのに適した建物を選び、確保するように頼んでいる。
分体などを使って建物の売買を担う大手の商会は既に判明しているし、カナ美ちゃんなら男女問わず魅了してアッサリと好条件で契約を結べるだろうから、多分サッサと終わらせて子供達と何処か買い物に出かけるに違いない。
なんて事はさて置き、早朝から俺は【藻女の深き恵みの洞窟】がある交差点近くまで小銭で乗れる手漕ぎボードを使って移動した。
周囲には数多くの小船が行き交い、接触しそうになるほど近くを擦れ違うものの、船頭が慣れているからか当たる事はない。
場所が場所だけに早朝から賑やかで、活気に満ちている。
それを見ていると目的地近くまで来たので一旦陸地に上がり、物陰になる路地裏に入る。そして注目され難くする為【認識困難】を使い、【外骨格着装】を発動させて現在登録されている三種類の【外骨格】の内の一つである【雷鮫龍侯の楯鱗】を装着した。
青色を基調とした独特の光沢を持つ凹凸の少ない滑らかな形状をした外骨格で、背面にはやや黒みを帯びた雷鳴宝石製の鰭が無数に並び、四本に増えた前腕部には鋭利な刃鰭がある。
指の間には水掻きがあり、臀部辺りから伸びる長い尻尾の先端には大きな鰭が存在する。
以前と比べて若干の変化があるようだが、能力は劣化するどころか向上しているようなので、まあ問題にはならないだろう。
装着した後は誰も見ていない事を確認して、静かに素早く潜水する。
【雷鮫龍侯の楯鱗】は素材にしたのが“シャークヘッド・ボルトワイアーム”だけあって、そもそも装着時の遊泳速度は人魚や魚人達よりもかなり速い。
それに加えて水中時のステータスを大幅に底上げしたり、楽に動けるようになる【高速水泳】や【水棲】、【水中の捕食者】や【地形効果:水】なども重複発動させた事で遊泳速度はより速くなり、水中に居た人魚や魚人達を楽々と追い抜きながら、【藻女の深き恵みの洞窟】の出入り口であるブルーホールめいた海底洞窟に突入した。
海底洞窟は最初の数十メートル程は直下に進み、底に到着すると今度は真横にある横穴へ進むようになっていた。
光源が乏しく薄暗い横穴の中をしばらく進んでいくと、次第に進行方向に光が見え始め、更に進むとどこまでも続いていそうな明るく開けた空間が広がっていた。
そこはまるで海中の楽園のようだった。
随所にあるサンゴが光源となっているそこは、まるでブドウのような“海巨峰”、出汁をとるとより味を深めてくれる“ウマミコンブ”、外はトゲトゲしているが中身は極上品の“黄金ウニ”、海の濃縮ミルクとも呼ばれている“白王牡蠣”、ギュッと引き締まった身をした“王冠ズワイカニ”、高級魚として高値のつく大きな“黒兜マグロ”、祝い事があれば何かと重宝される“栄光マダイ”などなど、至る所に様々な海産物を発見できる。
その光景に、俺は言葉を失った。
以前ここについて大型量販店と表現した事もあったが、実際に来てみてまさにその通りだ、と思った。
手を伸ばせば美味そうな迷宮食材が取り放題だ。お好きにどうぞ、と言われているようにしか思えない。
採取には多少の知識が必要なモノもあるが、それも傷みやすいとか味が落ちるとかで、毒があるとか攻撃されるなんて事はない。
安全に美味い食材が取り放題であり、それだけでなく、他の迷宮では見られない光景がまだあった。
浅い場所は安全である事が知られている為か、まるで女子会の如く集まって談笑しているママ友だろう一団が居り、その子供だろう一桁くらいの幼い子供の魚人や人魚達はそこら辺で自由に遊んだり、自分達で甘味の強い“甘身エビ”を捕まえては食べていた。
多分子供達にとってはオヤツ感覚なのだろうが、“甘身エビ”は外で売れば結構高額になる迷宮食材である。
水中で活動できない者が見れば、羨ましいと思ってしまうに違いない。
少し離れた場所ではサンゴの椅子に腰掛けた魚人と人魚のカップルが、互いに何かを食べさせあっては砂糖を口から吐き出してしまいそうなほど惚気けている。
ピンク色のオーラを撒き散らすような惚気はともかく、多分カップルが食べているのは“恋玉クラゲ”だろう。
ピンク色の丸々とした飴玉みたいなクラゲで、それを恋人と食べさせあうと長続きする、なんて話もある迷宮食材の一つである。
そのため人気が高いが希少なので滅多に手に入らないそうだが、あのカップルは見事に発見したらしい。
その他にも数多くの一般人が居て、それでいてゆったりくつろいでいるなんて普通の迷宮なら有り得ない光景は、しかしここではこれが日常風景らしい。
正直、なんと素晴らしい場所だろうかと思わずには居られない。
ここで得られる海産物の種類は豊富過ぎるため、情報を集めても網羅はできなかった。
だからとりあえず、何があるのか調べながら回っていった。
黄金糸を使って網を造り、泳いでいる魚やら自生している海藻やらを一網打尽にしたり。
岩礁などにへばりついていた貝類などをこそぎ落として片っ端から収納したり。
泳いでいればすぐ遭遇できる地元民に珍しい品がどこなら取りやすいか聞いてみたり。
などなど調べるのに熱中しすぎて、まさか戦闘もせず夜が来た時には思わず我に返ったものだ。
いや、でも、ここの海産物、美味しくて手が止まらないのである。
無駄に時間を費やしてしまった事に反省して、明日はちゃんと攻略しようと心に決めた。
“三百六日目”
気を取り直して、さっさと奥に進んでいく。
根こそぎ海産物を回収するのは止め、採れる範囲で採りながら最深部を目指した。
深く潜れば潜るほど段々と人気は失せ、内部構造はまるで蟻の巣のようにより複雑なものになり、ダンジョンモンスター達が襲撃してくる頻度が増えていく。
比較的浅い場所では間違って入ってくる者を追い払うためか、凶悪なツラの人面魚型ダンジョンモンスター“ヤクザ面魚”が多かったが、ヤクザ面魚は獰猛な形相と大声で喚く事が主で、直接攻撃は噛み付くしかしてこない雑魚だ。
鋭い歯なので普通なら噛み付かれれば痛いだろうが、外骨格に傷一つ付けられない程度である。
無視して進めば、巨大なタコがヒト型になった重戦士“オクトパス・ヘビーウォリアー”や子亀型爆弾を背中の大砲から撃ってくる“キャノンタートル”などが突っ込んでくるが、これも外骨格の前には無力。
瞬殺して回収していくが、深いほど攻略者の数が少なくなるからか、やたらと遭遇するダンジョンモンスターの数が多かった。
それに極端に狭くなっている場所もあり、挟撃される事も増えていく。
質はそこまで高くないものの、流石に物量で来られると非常に鬱陶しい。
数を重ねたためか、外骨格にも微妙な傷跡がチラホラできている。
俺だから特に問題ではないが、狭さと見通しの悪さ、そして入り組んだ内部構造と敵の物量は攻略するのが面倒な分類になるだろう。
しかも深いほど珍しい海産物が増える事と引き換えに、かなり分かり難い場所にあったりするので、攻略速度はあまり上がらなかった。
俺の食欲を刺激しまくるココは、中々に手強いようだ。
採取を最低限に抑制しても、深いほど美味く、希少な食材が多いここは反則である。
“三百七日目”
それなりに安全な場所を見つけ、採取した品を使って温かい料理――水中だが、アビリティを使えば一時的に水は排除できる。そのため火を使う事も可能だ――を堪能し、攻略を再開する。
ここは深ければ深いほど内部構造が複雑になっていくだけでなく、ある一定の深度を超えると、定期的に水流が変動する仕組みになっていた。
正面から来る猛烈な水流によって押し戻される事もあれば、後方から後押しされて普段以上に速く泳ぐ事もあり、左右から押されてどこともしれない場所に流される事もある。
しかも厄介な事に接触すれば爆発する“機雷クラゲ”や、自爆して爆音を響かせる“爆音ジバフグ”といったダンジョンモンスタ-が時折水流に乗ってくる。
一匹一匹ならばともかく、基本的には数十匹単位の群れで流れてくるので、その際の全方位から浴びせかけられる振動は致命的ではないものの、攻略を続けるのが難しくなる程度には強烈だ。
それ以外にも階層ボス級の強さを誇る、十メートル程の体躯を持つ“魔震鮫”が出現し始めた。
魔震鮫の細かい刃となっている肌は体当たりするだけで敵を削り、硬く鋭利な牙の噛み付きは鋼鉄をプリンのように咬み千切る事が可能だ。
そして血の臭いを嗅ぐと凶暴化して全ステータスが向上し、凶暴化した時に赤い魔力を帯びる肌は高速振動する能力を秘めている。
遊泳速度も速く、狭い洞窟内部を難なく進むだけでなく、気がつけば傍にいるほど気配を消して行動できる為、かなり厄介なダンジョンモンスターだ。
それでも倒しながら進んでいけば、やがて終わりはあるものだ。
海底洞窟の最深部。
球形の空間が広がるそこは、天井部にある出入り口と空間の中心部以外はほぼ全て、夥しい量の海藻で埋め尽くされた場所だった。
壁面は海藻によって覆われ、見る事も出来ない。海では普通に見られる海藻だが、流石にここまで密集すると気持ちがいいものではない。
思わず顔を顰めると、海藻の中からゆっくりせり上がってくるヒト型があった。
【藻女の深き恵みの洞窟】の最深部に座すダンジョンボス、“恵み施す華麗な藻女帝”だ。
現れた“恵み施す華麗な藻女帝”の全身は、多種多彩な海藻で覆われていた。
ヒト型である事以外はコレといった情報はない。ヒト型の海藻、そう表現するのが適切な姿形だった。
華麗、とあるのに褐藻類やら紅藻類やら緑藻類やらで構成されていそうな姿は、とてもではないが連想できない。
名前負けしている、と言わざるを得ないだろう。
まあ、そんな個人的な感想などさて置き。
今回もサッサと終わらせる為、攻撃しようとしたのだが、『あらあら、こんなところにお客さんが来るなんて初めてだわ。良かったら私の海藻、食べてみない? とても美味しくて、自慢なのよ』と“恵み施す華麗な藻女帝”が声を発した。
聞き入ってしまうような、天女の如き美声である。
思わず動きを止められた。
声を発する程の知性があるダンジョンモンスターは、灼誕竜女帝という前例があるように、存在している。
今のところ【神】級のダンジョンボスとしてしか出会った事は無いが、ここは【神】級だ。
つまりそういう事であり、喋ったとしても、有り得なくはない。現に目の前で喋っている。
一体何事かと思っていると、“恵み施す華麗な藻女帝”は身体の海藻をブチブチと引き千切り、何処からともなく取り出した包丁で海藻を捌き、同じく何処からともなく取り出した鍋に放り込み始めた。
その他にも色々と具材を入れているのだが、変わらず水中であるにも関わらず、鍋から料理が漏れ出してくる事がない。
楽しそうに調理を進める“恵み施す華麗な藻女帝”は時折味見をするように鍋の中身を口に相当する場所に運び、納得したのか満面の笑み――海藻で顔も覆われているが、仕草で何となく想像できた――を浮かべ、鍋の中身をシンプルな汁椀に注ぎ、俺に差し出した。
その仕草からは気品すら感じられ、『口に合わないかもしれませんが、良かったらどうぞ、飲んでみて下さい』と屈託のない美声で語りかけてくる。
水中でありながら、汁椀の中の茶色い液体は溢れる事なくそこにある。
引き千切った海藻の姿も確認できるのだが、その他にも幾つかの魚介類が確認できた。
一見して、それは味噌汁だった。
一時的に水を退けて生み出した泡の中で匂いを嗅いでみるが、やはりこれは紛う方ない味噌汁だった。
具材を【物品鑑定】で調べてみると、どうやら“ミソコンブ”という味噌味のダシが出る海藻と共に、茹でると豆腐みたいな食感と色になる“海豆腐ワカメ”や玉ねぎみたいな食感が楽しめる“水天玉ねぎ”、それからギュッと引き締まった身が美味い小型の二枚貝“剛筋シジミ”などを使っているらしい。
使用されている食材は迷宮食材の中でも希少なモノが多い。金額にすれば金貨や金板が軽く飛んでいくだろう。
そんな豪勢な味噌汁の匂いをしばらし堪能する。
匂いからは毒などの類は無いように思える。
口を付ける前に“恵み施す華麗な藻女帝”を見るが、多分ニコニコしているのだろう。顔に当たる海藻の部分が、何だか緩んでいるように見えた。
まあ、何か目的があり、味噌汁に猛毒が混入されていようとも俺には関係ない。
口から摂取したモノならば、例え一滴で竜が死ぬような猛毒でも【吸喰能力】によって無害となる。むしろそんな毒なら俺の糧になるだけなので望む所だ。
という事で、ありがたく味噌汁を頂いた。
その瞬間、溢れ出る涙。
これは決して何かしらの攻撃をされたからではなかった。
ただ単純に、味噌汁が美味かったのだ。
全ての具材が互いの長所を引き出す、ある種の芸術めいた絶妙な旨味とコクの調和によって舌は優しく、しかしハッキリと刺激される。
脳内で大量の快楽物質が分泌されたような心地よさと共に、遠い昔を思い出させるような懐かしい味がする。
幼少の頃に他界した母親が造ってくれた味噌汁を思い出させるそれに、俺は涙を流したのだろうか。
ともかく、俺は味噌汁を瞬く間に喰べ終えた。
遠い月日を思い起こさせる味もやがては慣れるが、慣れると単純に美味い味噌汁をまた食べたくなった。
未練がましく空になった汁椀を持て余していると、“恵み施す華麗な藻女帝”は『あらあら、まあまあ。そんなに美味しかったかしら? なら、お代わりはどうします?』と言った。
無論、俺の回答は決まっている。
――お代わり、お願いします。
“三百八日目”
俺はお代わりをお願いした時から、休み無く“恵み施す華麗な藻女帝”が造る多種多彩な美味なる料理を堪能し続けていた。
これは別に美味い料理を満足するまで食べ続けたい、何て思いがあったから、ではない。
基本的に“恵み施す華麗な藻女帝”の料理はその身体を構成する海藻を材料にして造られるため、料理を造れば造るほど体積が減っていく。
つまり最終的には形状を維持できる限界がある訳であり、それは弱体化に繋がっている訳だ。
とはいえ、話はそう簡単ではなかった。
なにせ、消費した分だけボス部屋を満たし、壁面を覆い隠す夥しい量の海藻が減少した体積を元に戻すため吸収されていったからだ。
巨人数十体分はあっただろう量を単鬼で食べ尽くす事は、普通なら困難極まる苦行である。
しかし幸いな事に俺は元々大食いだったし、それに加えて【特大鯨呑】を持っていたため、こんな戦法をとる事が出来た訳である。
【能力名【海藻吸収】のラーニング完了】
【能力名【特級海鮮調理術】のラーニング完了】
【能力名【海藻化】のラーニング完了】
【能力名【異空間海産貯蔵庫】のラーニング完了】
その甲斐あって幾つかラーニングもできたし、現在は周囲の海藻を食いつくし、最初の頃は百八十センチほどの身長があった“恵み施す華麗な藻女帝”は四十センチにも満たないほど小さくなっている。
周囲に海藻は既に無い為、この状況からこれ以上復元される事はほぼないと考えていいだろう。
残りを食べ尽くせば、そこで“恵み施す華麗な藻女帝”は消える事になり、俺は攻略する事ができる。
どんどん小さくなりながら、それでもニコニコと嬉しそうな“恵み施す華麗な藻女帝”を見ながら、質問してみた。
――何故こんな、自殺に等しい事を行うのか。
迷宮を攻略しにやってきた者に対し、自身を削ってまで料理を振舞う必要性など皆無である。
害ばかりが積み重なり、自身の利になる事など一つもない自殺行為と断言していい。
それなのに何故行うのか。
――『私がやりたい、ただそう思ったからですよ』
それに対する“恵み施す華麗な藻女帝”の返答はそれだった。
理屈ではないのだろうか。本能によるものなのだろうか。あるいは【海藻の神】が定めた結末なのだろうか。
それは分からないが、最後の料理、小さな“恵み施す華麗な藻女帝”が自ら鍋に飛び込み、鍋によって自動的に調理されて短時間で出来上がった、ホカホカに炊けた白ご飯の上に盛られた“恵み施す華麗な藻女帝のひじきの佃煮”を喰べる。
鍋一つ分あるそれを、一噛み一噛み味わうように咀嚼する。
極上の素材の魅力を最大限引き立てるように調理された料理の数々は、言葉で表現し難い至福の一時を俺に与えてくれた。
食べても食べても次が欲しくなった美食料理の終わりという事もあって、複雑な思いが俺の内心で渦巻くが、ただただ真摯に食べ尽くす。
切れ端一つすら残す事はなく、甘辛いひじきの乗る白米を口に運んだ。
至福の一時も、やがては終わる。
空になった鍋を置き、掌を合わせ、しばし目を瞑る。
――御馳走様でした。
食べ尽くしたのだから有り得ないのだが、『お粗末さまでした』と言われた気がした。
[ダンジョンボス“恵み施す華麗な藻女帝”の討伐に成功しました]
[神迷詩篇[藻女の深き恵みの洞窟]のクリア条件【単独撃破】【料理完食】【決戦回避】が達成されました]
[達成者である夜天童子には特殊能力【海藻料理免許皆伝】が付与されました]
[達成者である夜天童子には初回討伐ボーナスとして宝箱【恵みの海藻】が贈られました]
[攻略後特典として、ワープゲートの使用が解禁されます]
[ワープゲートは攻略者のみ適用となりますので、ご注意ください]
[詩篇覚醒者/主要人物による神迷詩篇攻略の為、【海藻の神】の神力の一部が徴収されました]
[神力徴収は徴収主が大神だった為、質の劣る神の神力は弾かれました]
[弾かれた神力の一部が規定により、物質化します]
[夜天童子は【海藻神之調理鍋】を手に入れた!!]
[特殊能力【迷宮略奪・鬼哭異界】の効果により、制覇済み迷宮を手に入れる事が出来る様になりました]
[条件適合により、[藻女の深き恵みの洞窟]を略奪可能です。略奪しますか?
≪YES≫ ≪NO≫]
そして当然≪YES≫を選択した。
手に入れた【藻女の深き恵みの洞窟】改め【鬼神の尊き海鮮食洞】の内部構造を少し弄り、色々と抜け穴のような通路を造る。
これで新しく立ち上げる偽装用の商会の商品を補給し易くなるなと思いつつ、色々してから高級宿に戻って寝た。
“三百九日目”
昨日はせっかくダンジョンボスを戦闘もなく喰べる事ができたのだから、ラーニングする確率をもっと上げる為にサイコロを振っておけばよかったのに、とは振り返ってみた今なら思う。
だが、自身を削りながら料理を造る“恵み施す華麗な藻女帝”を前にして、そういう考えがあの時は思い浮かばなかったのだから仕方ない。
あれは出される料理を喰べるだけだったとはいえ、ある種の戦いだった。
そのためサイコロを振る、という動作に発想が結びつかなかったのも、ある意味当然ではないだろうか。
決して、美味い料理に【状態異常無効化】があるのに【魅了】されていたから何て事はない。
ああ、絶対にだ。そんな事はない。
単純に、美味かっただけである。
ともかく、過ぎた事は仕方ないとして。
金属鍋型の【神器】である【海藻神之調理鍋】の使い心地を確かめるのも兼ねて、【海藻料理免許皆伝】や【特級海鮮調理術】を発動させた状態で調理した海鮮料理を朝食として皆に振る舞った。
アビリティの効果によって調理の手は淀みなく半自動的に動き、迷宮食材だけで造られた料理は自分で造ったとは思えないような見事な出来前だった。
それを皆美味しそうに食べてくれたのだが、やはり美味しそうに食べてくれるのは良いものだと再確認しつつ。
無事に二つの【神代ダンジョン】を手に入れた俺達はここでやるべき事はほぼ全て済んでしまったので、とりあえずカナ美ちゃんが偽装用の商会の為に確保してくれた、ちょっとした貴族の屋敷のような大型の店舗に従業員として“大商鬼”を筆頭に、その手足として働く“中鬼・メイジ”や“半鬼人”などに加え、【鬼神の尊き海鮮食洞】から商品を調達する“ギルマンロード”や“大海司教”などを配置する。
今は聖戦もあるので団員達をここに呼ぶ事は難しいため急場凌ぎになるが、大商鬼が複数居るのだ、よっぽどの事がない限りはどうにでもなるだろう。
そんな訳で、生成体達に新しく誕生した迷宮商会≪イルカの尾≫として使う店舗の運営は全て一任し。
俺達は【アンブラッセム・パラベラム号】の鬼哭門を使い、王都に最も近い【鬼哭水の滝壺】まで飛んだ。
超長距離の移動が一瞬で済むのはやはり便利すぎるなと思いつつ、迷宮都市の外に骸骨百足に乗ったまま出てしばらく走行し、人気が無くなった場所で近くに待機させていたタツ四郎と合流する。
そしてタツ四郎に乗って王都近くまでしばし空の散歩を楽しみ、騒がれ過ぎないように近くの森に降りてまた骸骨百足に乗り、王都に帰還した。
まだ日が昇っているため活気があったので少し寄り道しながら屋敷に帰り、繁盛している店舗の様子を見ながら色々と雑務をこなす。
明日は大森林の拠点に帰郷する予定になっているので、身支度をしてからゆっくりと寝た。
“三百十日目”
屋敷には今回の聖戦に参加しない団員を残し、参加する団員だけを骸骨百足に乗せて早朝から王都を出発する。
その後は迷宮都市≪パーガトリ≫に寄って同じく参加する団員を拾い、これまでと同じように近くの森にまで行き、そこでタツ四郎に乗り込んだ。
数が多かったのでタツ四郎だけでは乗せきれず、【真竜精製】を使って数頭ほど追加する。
それによって余裕ができ、寛ぎながら俺達はしばし空の旅を楽しんだ。
そして大森林の拠点の山頂にある平に整地された≪飛行場≫に降り立った。
周囲にはテイムし≪使い魔≫となった“四翼大鷲”や精製竜達が忙しなく行き交い、各地の支店に商品を空輸しているところだった。
輸出している物もあれば輸入している物もあるので、結構な数の団員達が忙しなく動いている。運搬の際には敷かれたレールの上を走る骸骨トロッコが大活躍しているのは変わりないが、扱いに慣れてきたので以前よりも骸骨トロッコの台数が増えている。
その分扱う量も膨れ上がり、早朝から夜になるまでここが静かになる事は滅多にない。
タツ四郎と数頭の精製竜に乗って俺達が帰ってきた事は一目瞭然だった為、働いていた団員達が慌てて出迎えようと整列しかけていたが、俺は作業を優先させた。
別に出迎えなど必要ない。やるべき事をサッサと終わらせる事こそ肝心だ。
そしてタツ四郎や他の精製竜から降りた俺達は、呼んだ骸骨トロッコに分乗してそれぞれの目的地へと帰る事にした。
とりあえず今日は久しぶりの帰還なので、重要な仕事のない他の団員達は休日にしている。各自親しい友と再会するもよし、家族に会いに行くのもよし、あるいはほとんど帰宅していなかった自分達の部屋あるいは家に帰るなりして、それぞれ英気を養うだろう。
俺はカナ美ちゃんや赤髪ショート、そして子供達を伴って、山の斜面にある≪住宅地≫の中でも一際大きく、王族が住んでいるのではないかと思ってしまう豪邸――つまり俺達の家に帰る事にした。
ただ直帰するのもどうかと思ったので、骸骨トロッコでグルッとあえて遠回りに移動して以前と比べて少し変化した拠点を改めて自分自身の目で確かめていく。
大規模な実戦訓練が可能な≪外部訓練場≫では今も訓練に励む団員達の姿が見え、森を開拓して目を見張るほど大きくなった≪大農地≫には多くの野菜が栽培され、≪牧場≫には以前よりも囲っている多くの食用モンスターや≪使い魔≫などが飼育されている。
鍛冶師さんやドワーフ達が日々汗水垂らしている≪工房≫からは今も金槌の音が響き、ブラックスケルトン達によって商品が大量生産されている≪工場≫では独特の熱気で満たされ、怪我した者達が集まる≪治療院≫を始めとする各部隊の為に造った部隊棟からは部隊色の強い賑わいがあり、今も大量のエルフ達が集い遊んでいる≪パラベラ温泉郷≫では父親エルフと娘エルフと再会した。
また酒を飲もうと約束をし、山の斜面にある以前よりも家屋が増えた≪住宅地≫にはようやく向かった。
造ってからほぼ住んでいない豪邸だが、『ただいまー』と言いながら中に入る、『お帰りなさい』と返事があった。
嬉しい事に、ニコラを抱いた鍛冶師さんや姉妹さん、錬金術師さんに女騎士、それからドリアーヌさん達が出迎えてくれたのだ。
今日帰る事を知らせていたので、わざわざ待っていてくれたらしい。
しかも姉妹さん達が丹精込めて造った料理も用意しているという準備万端ぶりである。
ただ残念な事に子供達の中では鬼若だけがここに居ないのだが、鬼若はミノ吉くん達と共に行動し、帰ってくるのは明日の予定だ。
なので一足早くではあるが、ちょっとしたパーティを開いて鍛冶師さん達に家族サービスする事にした。
腹一杯喰って、止めどなく話して、心の底から笑って、そして温泉に入って身体にこびり着いた疲れをとる。
夜は夜で色々するが、明日の事もあるので、少し早めに休む事にする。
聖戦に参加する団員達の全員が生還する事は出来ないだろう。
相手は傑物だらけの【英勇】に【帝王】、そして【救聖】達の連合軍である。
幾ら訓練し普通と比べて有り得ないほど団員達が強くなっているとは言え、死者が出ない何て事はない。
だから、祭りを開催するのだ。
血反吐を吐き、精根尽き果てて意識を失いながらでも、聖戦で生還する力を少しでも得る為の、祭りを。
祭り――地獄週間とも言う――が今、まさに始まろうとしていた。

+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。