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2016-01-27 キラー・ホエール

今日のはてなでは「キラキラネーム」がホットな話題になっております。発端はこちら。
すぐに子どもができた。
それは喜ばしいことなんだけど、名前をキラキラネームというか、
なんていうか、微妙ネームなんだけど「シャチ」にしたいと言っている。
「昔の人で、ウシとかいたでしょ?シャチだって変じゃないよ?」
とこうおっしゃる。
いくら弟が言っても止める気配がないので、増田で意見を募って、
姉に見せたいと思う。
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<追記>
たくさんのご意見ありがとうございます。
漢字の質問がありましたが、カタカナで「シャチ」が第一候補だそうです。
<追記2>
ただ、姉に言っても、
「そのいじめをはねのけるような、強い子にならなくてはいけない」
と言うのです。
これね、「シャチ」という名前から『北斗の拳』修羅の国篇に出てくるキャラクターを思い浮かべる人も多いようです。
- 作者: 原哲夫,武論尊
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2014/05/20
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父親の名前が「赤鯱」だったら、それでもいいでしょう。しかし、片足の海賊でなければその親子関係を成立させるのは難しいです。
でもね、年季の入ったプヲタなら、この問題には即座に答えを出せるんですよ。
結婚したお姉さんの、苗字は「横内」に決まってるじゃないですか。
シャチ横内は、1937年名古屋市出身のプロレスラー。高校卒業後に一旗揚げようとブラジルへ渡り、現地でアントニオ・ロッカに弟子入りしてレスラーになったという人物で、昭和以降生まれの日本人レスラーには珍しい、力道山の流れをまったく汲まない選手でありました。「シャチ」のリングネームは名古屋城の鯱にちなんだものです。
アメリカでは清美川とタッグを組んで暴れまくり、のちに渡米した上田馬之助ともタッグを組みました。上田の「日本人ヒール」としてのギミックは横内に学んだ部分が大きく、得意技だったクロスチョップも、清美川から横内を経て受け継がれたものでした。
1969年には14年ぶりに帰国し国際プロレスに参加。日本側を裏切って外国人側につくという、ヒールギミックそのままのアングルを演じて日本マットにおける「日本人ヒール」のひな形を作りましたが、リング上でファンの憎悪を集めたのみならず、金銭面でのガメつさや口の悪さ、偏屈な人格のためレスラー仲間の評判もきわめて悪く、日本マットには定着せず帰国。その後はミスター・セキこと関川哲夫(のちのミスター・ポーゴ)のマネージャーをしたり(なお、ポーゴもシャチのことはよく言っていない)、引退後はパリで(夫人はフランス人)日本人向けの旅行会社を経営していましたが、1982年に交通事故で亡くなりました。
なにしろ評判の悪い人物のうえ信頼できる情報が少なく、「外国に渡ったのは人を殺して高跳びしたから」などという物騒な説もまことしやかに囁かれていたほどでした。最近はいい時代で、幻の強豪といわれていたレスラーの映像もYouTubeで簡単に見ることができますが、シャチ横内の映像はまったく検索にもひっかからないのが現状であります。
というわけで、「シャチ」という名前はけっして日本に存在しないわけではない、とご理解いただけましたでしょうか。ちなみにシャチ横内の本名は横内信一だったので、どうしても「シャチ」と呼びたい場合は「信一」にする、という手もありますよ!