「それ」とはいったいなんなのか?「あれ」かな?「これ」かな?「どれ」かな?「それ」の正体を探ろうとするとき、覗かれているのはあなた自身の心かも……。
目次
『イット・フォローズ』感想とイラスト 「それ」は「あれ」だ!スポンサーリンク
簡単な作品データ
『イット・フォローズ』It Follows
2014年/アメリカ/100分/R15+
監督・脚本:デヴィッド・ロバート・ミッチェル
撮影:マイケル・ジオラキス
音楽:ディザスターピース
出演:マイカ・モンロー/キア・ギルクリスト/リリー・セーペ/ダニエル・ゾヴァット/オリヴィア・ルッカルディ
予告編動画
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適当な解説
「それ」は「あれ」によって「これ」するので青少年の性の悩みはそのまま生と死に結びつくという青春ホラーです。監督はこれが長編第2作目となる新鋭デヴィッド・ロバート・ミッチェル。200万ドルの低予算で全米2000万ドルのヒットを飛ばした期待の新人であります。主演は『ザ・ゲスト』のマイカ・モンロー。
音楽を担当したのはこれまでは主にゲーム音楽の作曲家として活躍してきたディザスターピース。この人これからけっこう注目かもしれませんよ。
あらすじ
女子大生のジェイ(マイカ・モンロー)は、新しい恋人のヒューと映画デートに出かけた晩、車の中で彼と初めての性交に及ぶ。しかし事が終わるや否や、ヒューはジェイを車椅子に縛りつけ、「キミにあるものを感染(うつ)した」と告げる。彼が言うには、「それ」はある種の呪いであり、感染した者を死に追いやるまで執拗に追いかけてくるらしい。「それ」は感染した者の目にしか見えず、さまざまな人のかたちを模しており、動きは鈍いが頭はよく、撃退する方法はないとのことだった。
「それ」から逃れる方法はただひとつ。誰かと性行為に及んで「それ」を移すことにあった。その日から、悪夢のような呪いをかけられたジェイの地獄の日々が始まるのであった……。
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勝手な感想と評価/ネタバレ有
『ドライヴ』『オンリー・ゴッド』のニコラス・ウィンディング・レフンが激推ししていたという低予算ホラー。タラちゃんなんかも称賛していたのだけど、自分にとってはやはりレフンですね。「こいつはきっと変な映画なはずだ!」と。というわけで、貴重な有給を使って『クリムゾン・ピーク』との2本立てで観てまいりました。なるほどこいつは、やっぱり変な映画だ!新感覚ホラーなどと謳われているのも納得ですね。つまりは、ボクにとっての大好物だったということです!
もったりとした恐怖の浸透
監督がときおり見た夢をモチーフにしたというこの映画。正体不明の「それ」に永遠と追いかけ回されるという状況はシュールな悪夢そのものですよね。その悪夢的状況をさらに加速させているのが非常にのっそりとした演出であります。それは不穏な空気を発散させまくっている冒頭から顕著です。重苦しい闇夜を何かに怯えて半狂乱で逃げまどう少女の姿を、ひたすらのっそりもったりしたカメラワークで長々と追いかける。
この時点で「これはただならぬ映画だぞ!」と直感なさった方も多いことでしょう。過剰でスピーディな編集、演出、音響効果によって恐怖心をあおる昨今のホラー映画とは一線を画す、なんともじわじわ浸透してくる恐怖感の伝染です。
フィックスによる長回し。シンメトリーへのこだわり。緩慢なカメラワーク。終始けだるそうな主人公たち。凋落したデトロイト。すべてが時代に取り残されたようなもったり感に満ち満ちております。恐怖の対象であるはずの「それ」までもが。
日常が恐怖へと変わる瞬間
いまやゾンビも全力疾走する時代。なのにこの映画の「それ」はひたすらのそのそもたもた。「そんな映画が怖いわけねーだろ!」と思ったあなた。これがすこぶる怖いのですよ。「ホラーとしては怖くなかった」という声もチラホラありますが、皆さん非現実的なモノにしか恐怖を感じないのですかね?普通の速度で、はるか遠景から、ただの人間の姿で、のっそりもったり忍び寄ってくる「それ」。
非常に日常的な風景が恐怖に侵食されていく瞬間であります。普段の日常と地続きであるからこそひたすら恐ろしい。「それ」が普通の人間の姿をしていること、さらには感染した者にしか見えないというのも効果絶大。
はるか向こうから歩いてくる「あれ」が「それ」であるのか主人公たちにも我々観客にもわからない。こりゃパニックですわ。遠景におけるじわじわ迫ってくる恐怖も秀逸ですが、ついに接近遭遇したときのストレートな衝撃も失禁ものです。特に巨人!ここでのもったり感がさらに怖い!
点としての恐怖が集まる先
基本的にちゃんとした説明をしてくれない映画でありますけど、時代設定がよくわからないのも不気味ですよね。携帯電話、ブラウン管のテレビに映る『宇宙からの暗殺者』、見たことのないタッチパネル式の電子書籍端末。ここが過去なのか今なのか未来なのかさっぱりわかりません。経済破綻でなかば廃墟と化したデトロイト。意図的に隠された保護者の顔。大人の不在。象徴的に朗読されるT・S・エリオットとドストエフスキー。タンジェリン・ドリームやジョン・カーペンターを彷彿とさせるアナログシンセサウンド。
のっそりと忍び寄ってくる「それ」の恐怖だけではなく、映画全体を取り巻く空気のすべてが不気味で恐ろしいのです。そんな舞台設定、映像、音楽の不穏さが最終的に集約されていく先が、つまるところ「それ」の正体なのだと思います。
「それ」の正体とは?
ここから先は「それ」の正体、ひいてはこの映画のテーマ自体に対するボクなりの解答、解説をネタバレ込みで書いてみたいと思っておりますので、未見でネタバレを嫌う方は緊急避難してください。まず前提として、この映画は単なるホラー映画ではなく「青春ホラー」だということです。性に、恋に、人生に悩む、リア充とは程遠い田舎の冴えないティーンエイジャーの物語なのです。親の顔、大人の存在が意図的に隠されていたのはそのためです。
未来が消失したデトロイトで暮らす、けだるい日常のなかで漠然とした不安にとらわれている大人でも子供でもない若者たち。このけだるい漠然とした不安こそが「それ」だとも言えますが、もっと究極的に突き詰めると「死」そのものだと思います。
性交によって「それ」が感染していくというのも、性病のメタファーなどでは断じてなく、それが生と死を分かつものだからです。「死」という避けられない未来に対して、我々はどう生きていくべきなのか?
そんな哲学的ともいえるテーマを描いた映画だからこそ、T・S・エリオットやドストエフスキーが登場したのでしょうね。漠然とした「死」の恐怖に怯える若者が、ついに境界を越えて遭遇したのは最も身近な大人、父親でした。
それは彼らが大人へと近づき、死と対峙し、生きることを模索した姿そのものなのだと思います。それでもけっして「それ=死」の恐怖は消し去れないのですが、なんとか手を取り合って、寄り添って、ゆっくりとでも歩いていこう。
生と死、希望と絶望がないまぜになった秀逸なラストです。これがボクなりの解釈、考察なわけですけど、合ってるのか間違ってるのかよくわかりませんので、これから皆さんの感想を読んで勉強してきます。
デヴィッド・ロバート・ミッチェル
クローネンバーグ、リンチ、カーペンター、そしてキューブリックなどからの影響が顕著でありながら、単なるモノマネではない自分の映画、今という時代のホラー、そして青春ドラマを見事に撮り上げたデヴィッド・ロバート・ミッチェルという監督。この男ただ者ではありませぬぞ!どこぞの雑誌で「商業的な成功を収める可能性がある10人の有望な映画監督」のひとりに選ばれたというのもさもありなん。
監督デビュー作は『アメリカン・スリープオーバー』という青春映画らしいので、次はいったいどんな路線で攻めてくるのか?これから目が離せない期待の新鋭の登場でありますな!
個人的評価:8/10点
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