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■「大誓堂」の御本尊の位置づけはどうなるのでしょう。
■弘安の二年の本尊のは位置づけは。
上記、二つの質問ですが、グリグリなりの解釈はありますがネットでは言えません。
誤解を招く恐れがあるし、文章で伝える技術がありません。
それよりも、今後の創価学会教学部の見解を待ちたいと思います。
■「妙法蓮華経とは究極の妙理の名です。
そして南無妙法蓮華経とは、この妙理を顕現した仏の生命の名です。
ゆえに、南無妙法蓮華経と唱える信心の一念に妙法蓮華経の無限の功徳が開花するのです。
これが仏界の生命の湧現です」(講義P47)。
先生のこの講義はその通りです。納得です。
■つまり、「南無妙法蓮華経の五字」とは「法」(=究極の妙理)の側面で、「南無妙法蓮華経」の「七字」は「仏の生命の名」ということになり、「南無妙法蓮華経」の中に「人法」が含まれるということになります。早合点でしょうか。
うーん、早合点というか・・・・何と言うか・・・・。汗
文章でどう表現したらいいか・・・・今はわかりません。
ただ、仏法の本義に違わない限り、いろんな解釈があっていいのではないでしょうか。
どう解釈していても、最終的に弟子として我もいたし人をも教化しながら広宣流布を成し遂げる心を見失わないかぎり自由でいいのではないでしょうか。
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