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「相対的現象・現実」と「自我機能」 1
「相対的現象・現実」の働き作用は「自我機能」によりもたらされていると言え
る。それは自他の相反する存在からも言える事である。
「相対的現象・現実」の選択で述べたが、「悟り」の現象は、極端な言葉で言う
ならば自分自身の「自我機能」の放棄である。「自我を捨てる」ことにより「目
覚め」が起こるということである。
しかし「自我」は自分自身の意識の事であり、自分の外にあるもの、対象化され
ないゆえに難しさを感じる人がほとんどである。今までは、確かに実際に難しい
ことであった。多くの修行者・修行僧を見ても「悟り」は、得られていない。ご
く一部の禅宗系等に見られる程度である。日蓮系では皆無である。また「非二元
」の体感・体験者もまだまだ一部である。
古今東西の覚者等は「縁する」ことであると「縁」を強調されている。「非二元
」の方々も同様に「非二元の人に直接会うこと」をすすめている。意識が触発さ
れる、反応する現象が起きるからである。ちなみに投稿された私の文章を読むこ
とは「縁する」という現象になっている。
古今東西の「悟り」「覚者」「目覚め」「体感覚知」の体感・体験の過程を現代
人に促すために創始したのが「ワーク・トレーニング」である。
「ワーク・トレーニング」をやればいいのである。身体感覚を意識するように生
活スタイルを変更すればいいのである。難し能書きはいらない。「能書きずけ」
にされていることを意識すると、馬鹿馬鹿しい思考・概念は減少する。
「自我機能」を捨てるとは、最低限の機能が残るだけでいいのである。その他の
余計なものはいらないのである。
何回も実例として紹介しているが脳科学者のジルボルト・テーラーの「右脳操作
」に通じるのが「ワーク・トレーニング」なのである。「右脳の活性化」による
「体感覚知」である。とにかく「やればいい」いままで同じ事を繰り返し述べて
きているが「ただ読むだけで何もしない」という愚考に満たされているがゆえに
「体感覚知」がもたらされないのだ。
始めは「自我機能」は、まず余計なものとして徹底的に排除する。
「思考を観察する」自分自身の頭に何か浮かんで来たら「観察する」「見ると、
消える」思考の観察により思考の消し方を自得することである。1週間ぐらいで
慣れてくる。1週間以上かかる場合は思考・概念が強いか、やり方が思考に偏っ
ているからである。
また「自己機能」身体感覚に意識を合わせることを日々行うと思考観察が容易に
できるようになる。
思考観察ができるようになると、世の中、どうでもいい事、くだらない事で回っ
ていることに「気づく」ようになり、「相対的現象・現実」の見方ができるよう
になってくる。意識レベルで取捨選択が自然にもたらされるということ。
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