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聖教新聞 2008年3月13日 「四面座談会」
山本 日蓮大聖人の時代には、三位房、名越の尼といった輩が反逆した。
今の学会でいえば、副会長クラスの大幹部とも言える、有力な弟子たちだった。
熊沢 そして日興上人の時には五老僧が出ました。
原田 学会の歴史も同じだ。牧口先生の時代には、理事長級の大幹部がいた。「次の会長」とまで思われていた。それが退転、反逆だ。
正木 それだけではない。軍部政府による弾圧で、当時の学会幹部21人が逮捕された。そのうち19人までもが退転した。
棚野 牧口先生、戸田先生以外の全員が退転じゃないか!
原田 戸田先生の時代には矢島周平というやつが出た。一時期は理事長まで務めた。それが戸田先生を裏切り、学会を乗っ取ろうとした。
その動きを戸田先生の直弟子であられた池田先生が、厳しく糾弾し、厳然と打ち破られたのです。だからこそ、戸田先生は第2代会長に就任なさることができたのです。
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『若き指導者は勝った』
辞意を伝えた戸田城聖は、後任に理事の矢島周平を指名し、この日は散会となった。
(中略)
──戸田先生、理事長が矢島周平に変わると、自分の師匠も矢島になってしまうのでしょうか。
その間いは言下に否定され、苦労ばかりかけてしまうが、君の師匠はぼくだよ、と答える場面は、これまでも公にされてきた。
この回答が返ってくることを、池田青年は確信していたにちがいない。
なぜならば、その直後に、こう言い切っている。
「わかりました。では矢島さんではなく、戸田先生に必ず創価学会の会長になっていただきます。そのために私が全力で戦い、お守りします」
この言葉には重要な意味がある。
牧口初代会長が獄死してから、創価学会の会長職は空席のままである。
この日、戸田城聖は事実上、学会で無役になった。新理事長の矢島は現時点の最高位にいる。
こうした状況をふまえ、池田青年の発言を整理する。
1.矢島路線を転換する。
2.師を刑事責任から守る。
3.師を新会長にする。
この三点を理事長辞任という最悪の事態の中で即座に組み立てたのである。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/37229
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