クローズアップ現代「原節子 永遠に美しく」 2016.01.25


(橋本)スクリーンに映し出される原節子さんは大きな愛で包み込む母のようだった。
原節子さんの美しさはどこから来るのだろうか?女優の原節子が出演した幻のフィルムが残されていた事が分かりました。
昭和12年に公開された映画。
最新技術を使って激しく劣化したフィルムの復元が始まっています。
一コマ一コマ修復する気の遠くなるような作業。
まずよみがえった10秒間のシーンに原さんの姿がありました。
日本映画の黄金時代を彩り伝説の女優と呼ばれた原節子さん。
今も全国各地で開かれる上映会に多くの人が訪れています。
半世紀以上前に引退し一度も公に姿を見せなかった女優原節子。
なぜ今も多くの人々を引き付けるのでしょうか?原節子さんの死が明らかになってから2か月。
今伝説の女優の実像に多くの人々の関心が寄せられています。
この出版社は原さんの女優時代の発言を当時の雑誌や新聞から集めて紹介する本を刊行しています。
16歳もうちょっとで17歳になるぐらいなんですけど…。
これまで出版した2冊は累計13万部を売り上げ3月にも新刊を発売する予定です。
伝説の女優の実像に触れてみたいと思ってきた橋本愛さんです。
原さんは女優時代その時々に自分の思いを率直に語っていました。
昭和10年15歳でデビューした原さん。
家計を支えるため女学校を中退しての映画界入りでした。
デビュー間もない原さんを一躍トップスターへと押し上げたのがナチス・ドイツとの合作映画でした。
ドイツ人の監督に抜擢され世界各国で上映されたのです。
この4年後太平洋戦争に突き進んでいった日本。
スクリーンの原さんの姿を胸に戦地に赴いた男性も少なくなかったといいます。
戦時中原さんは戦意高揚を目的とした国策映画に数多く出演しました。
銃後を守る女性の象徴とされた原さん。
しかしどのような思いで出演していたのか言葉はほとんど残されていません。
敗戦後原さんは再び時代を体現していきます。
新しい時代の女性を演じ戦後の象徴になったのです。
今回原さんと共にその時代の映画を支えた往年の名女優に話を聞く事ができました。
まあようこそいらして下さいましたどうぞお入り下さいませ。
杉さんは昭和24年に公開され大ヒットした「青い山脈」で原さんと共演しました。
映画では原さんが教師役杉さんはその教え子を演じました。
二人は自由な恋愛を許さない地方都市の封建的な体質に真っ向から挑みます。
家のため国家のためという事で個々の人格を束縛して無理やりに一つの型にはめ込もうとする。
日本人の今までの暮らし方の中で一番間違っていた事なんです。
公開から2週間で500万人を動員した映画。
人々は「青い山脈」を見て自由や民主主義のすばらしさを実感しました。
杉さんは67年前の映画の写真を今も寝室に飾っています。
杉さんにとって原さんと共に出演したこの映画は特別なものでした。
杉さんには今も忘れられない光景があります。
それは撮影が深夜に及んだ時の原さんの姿でした。
当時を知るカメラマンは自分の出番が終わるとスタジオを出る役者がほとんどの中で原さんだけは他の人の演技を見続けていた事を覚えています。
戦前戦後の時代を体現し続けた原さん。
トップに上り詰めてなお一本一本の作品に向き合う真摯な姿勢が美しさの源でした。
戦後日本映画を美しく彩った原節子さんが銀幕を去って53年。
突然の引退はさまざまな憶測を呼びやがて原さんは「伝説の女優」と呼ばれるようになりました。
この間日本は高度経済成長を経てバブル崩壊景気の停滞により広がる格差。
社会は大きく変わりました。
それでも原さんは色あせる事なく作品の中で輝き続けています。
今日の「クローズアップ現代」はなぜこの時代を超えて原さんは多くの人を引き付けるのか迫っていきます。
スタジオには映画監督の周防正行さんにお越し頂いています。
(2人)よろしくお願いします。
ほんとに時代を超えて原さん多くの人たちを今引き付けているわけですけども周防監督はどんなふうに原さんを見ていらっしゃいました?いや僕自身も同時代の人ではないんですよね。
1970年代のおしまいから80年代ぐらいに名画座で原さんの出演なさってる映画をたくさん見てその中でほんと思ったのはいわゆる極めて日本的で古風な美人なんじゃなくてね…ないんですよね。
もっときちんとした意思を感じさせる顔立ちと美しさ。
多分それまでの時代にはきっとなかった日本女性の姿というものがあったと思うんですね。
ユーモアたっぷりな何ていうんですかね…。
甥っ子たちをちょっと意地悪したりとかそういうハツラツとしたところから今も少しありましたけど「自分を卑しくしたくない。
卑しくすると寂しくなる」といったような何ていうんですかね…。
潔さっていうか魂の気高さっていうんですか。
そんなものも感じさせてくれて僕にとってその当時…遠い昔の映画の日本人女性だったにもかかわらず心ときめくような…。
そういうドキドキした事をよく覚えてます。
時代を超えても心がときめく。
はい。
だから多分あれ今若い人が見てもきっとときめくものは彼女は持ってるんだろうなと思います。
そんなときめきをもたらすまさにその原さんの美しさ。
永遠のものにしたと言われているのが周防さんも心酔してらっしゃるという小津安二郎監督との出会い。
中でも「東京物語」です。
こちらをご覧頂きたいと思いますけれども世界で最も権威があるとされるイギリスの映画専門誌が2012年に行った映画監督へのアンケート。
歴代映画ベストワンに選ばれたのが原さんが出演した「東京物語」です。
続いてはこの「東京物語」の中から原さんの現代に通じる魅力考えていきます。
映画「東京物語」。
なあおい。
広いもんじゃなぁ東京は。
そうですなぁ。
舞台は敗戦から8年がたった東京。
さあお父さんお母さんどうぞ。
尾道で暮らす年老いた両親が子供たちを訪ねて上京してくるところから始まります。
いつもご無沙汰申し上げておりまして…。
生活に追われる子供たちに疎まれる老夫婦。
あっお帰りなさいませ。
やあただいま。
あらもう帰ってらしたの?ああ。
原さんが演じる戦死した次男の嫁紀子だけが2人に寄り添います。
ええ人じゃのぅあんた。
じゃおやすみなさい。
人々が復興に目を奪われていく中家族が崩壊していく姿を描いた傑作です。
「東京物語」で原さんと共演した女優の香川京子さんです。
嫌ね世の中って…。
そう嫌な事ばっかり。
その後数々の映画に出演した香川さんにとって原さんの演じた紀子の存在感は圧倒的だったといいます。
文芸評論家の末延芳晴さんです。
原さんの美しさが永遠のものになったのは「東京物語」の中のある演技によってだったと語ります。
それはそれまでほとんど感情を表にする事がなかった紀子が号泣するシーン。
映画の終盤東京から尾道に帰った直後老いた母親が亡くなります。
尾道に駆けつけた紀子は義理の父と語り合います。
ああきれいな夜明けだった。
独り暮らしの紀子を思って再婚を勧める父。
紀子は日々の暮らしの中で戦死した夫の事を忘れる事もあると告白します。
私からもお礼を言うよ。
ありがとう。
私ずるいんです。
お父様やお母様の思ってらっしゃるほどそういつもいつも昌二さんの事ばかり考えてるわけじゃありません。
ええんじゃよ。
死んだ母が大切にしていた時計を形見として手渡される紀子。
ええんじゃよ。
もろうといておくれ。
このあと台本に書かれていたのは「顔を蔽う」。
「涙を呑む」という指示でした。
しかし女優・原節子は号泣します。
気兼ねのう先々幸せになってくれる事を祈っとるよ。
ほんとじゃよ。
(泣き声)妙なもんじゃ。
自分が育てた子供よりいわば他人のあんたの方がよっぽどわしらにようしてくれた。
いやぁありがとう。
(泣き声)戦争で命を落とした人たちへの思いが薄れていく時代。
紀子の号泣は人々の無念を一身に引き受けたものだったと末延さんは指摘します。
世界の映画史に残るこのシーンを演じた10年後原さんは誰にも告げずスクリーンを去りました。
原節子さんのおいで映画監督の木下亮さん。
公私ともに身近に接してきた木下さんが原さんへの思いを手記で寄せてくれました。
「原節子といえば映画スターの一人だが僕にとっては昌江叔母さんであり優しいお姉さんでもあった。
命の輝きみたいなものを限りなく慈しむ。
そこが叔母さんのすべての源だった。
そこから風が香るのだ」。
改めてこの「東京物語」のシーン周防さんもこうじ〜っとね見てらっしゃいましたけれども周防監督が考えるこの「東京物語」の中での原さんの印象的なシーンというのはどこですか?まさしく今出てきたように「私ずるいんです」っていう。
あそこからまた号泣までいくわけですけどあそこほんと最初に僕原さんに心をつかまれた瞬間で。
(真下)「私ずるいんです」というひと言。
実はでもそれは多分「東京物語」が公開された当時その時代の生きた人たちは多分あの言葉にすごい救われたと思うんですね。
でもそれから何年もたって見た僕までもがあの言葉に実は救われるんですよね。
救われる?ほんとに人間の美しさに触れたような気がして。
ほんとにあれ見ながらもうそんな泣かなくていいんだよと。
あなたほんとに両親に優しくしてほんとに正直な人だって僕自身が何か笠さんになった気持ちで原さんを見ている。
要するにまさにその時代が生んだ物語だし演技だったと思うんですけどでも結局は人間の本質的なものが出るというのかあのシーンで僕らがくみ取る人間の本質的なすばらしさとかそういうものが伝わってくるので今多分戦後の時代とは全く違う今見ても多分原節子さんの人間性っていうんですかあのピュアな思いっていうものは伝わってくる。
それで感動するんだろうって。
僕もあのセリフあの芝居にやられちゃったなと思いながら見てました。
それは単に役者として役柄があってセリフがあってという事だけではないという事なんでしょうか?人間って出ちゃうんですね。
僕は自分で監督してて思うんですけど演技のうまい下手とかそれは当然あるんですけど結局その人がどう生きてるかとかその全てが出ちゃうのが映画の怖さっていうか面白さっていうかすごさだなって思うんですね。
だからあの役を原さんに託した小津安二郎って人は原さんにその事を見たんだと思うんですよ。
この役を彼女が体現できるんだっていうその信頼っていうんですかね。
そういう信頼を得た原節子さんの持ってる人間性ですかそれはやっぱりすごい美しいなと思います。
原さんは小津監督だけではなくてほんとに名だたるさまざまな監督と仕事をしてらっしゃいますね。
そういう監督もやはり原さんに何かを託そうとしてたんでしょうか?僕は「我が青春に悔なし」というのを見た時にやっぱり黒澤明さんは戦後の日本の女性の在り方それを原さんに託したんだって。
これからの時代を原さんが演じる女性像に託す。
それを演じきる事ができるというふうにやっぱり原さんを信頼されたんだと思うんですね。
ほんとに杉村春子さんと一緒に泥まみれになって田植えをするシーンとか最後はそれまで彼女をよく思っていなかった村の人たちがトラックに引き上げて彼女と笑みを交わして。
そのトラックがスクリーンの向こうに行くという時にやっぱ黒澤さんはこれからの時代の希望とかそういうものを原さんに託して。
であの映画を作って。
そのあと原さんで映画を見ていくとあの時あんなふうに自分の意思で人生を決定してそれを全うしようとした原さんが根底にあって全部小津さんの映画の中で演じてる「紀子」っていう役もあれが内にあるんじゃないかと思うぐらいそれぐらい何か時代そのもの。
これからの時代の希望をいろんな…成瀬さんにしても小津さんにしても黒澤さんにしてもみんな原さんに託したんだなという気がするんですね。
過去の映画であるにもかかわらず今の私たちが見ても引き付けられるのは何かそうした希望だとかっていうものを見いだしたいっていうところがあるんでしょうかね?人間としての希望だと思うんですね。
やっぱり「東京物語」を見た時のあの原節子さんの在り方紀子の在り方っていうものにやっぱりみんなは憧れを持つというかこうありたいって思う。
だけど時代の中でそれはなかなかかなわない。
しがらみの中でどうしても自分に正直でいられない。
自分を卑しくしてしまうような瞬間がある。
それを原さんは決然と演じられ振り返ってみれば原さんはある時引退を決意してそのあと一切公に出なかった。
ほんとにすごい決断をしてそれを全うされた。
まさに映画そのものなんだなと思いました。
今日は映画監督周防正行さんとお伝えしました。
(2人)ありがとうございました。
2016/01/25(月) 19:30〜19:58
NHK総合1・神戸
クローズアップ現代「原節子 永遠に美しく」[字]

去年9月に95歳で亡くなった女優・原節子。新たに発掘された戦前のフィルムや共演した往年の名女優たちの証言などから、永遠に色あせることのない“美”を見つめていく。

詳細情報
番組内容
【ゲスト】映画監督…周防正行,【キャスター】真下貴
出演者
【ゲスト】映画監督…周防正行,【キャスター】真下貴

ジャンル :
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
映画 – その他
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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