政府当局や公権力から独立した司法とジャーナリズムは、民主主義に不可欠である。

 その二つがあってこそ権力と市民の力のバランスが保たれ、健全な社会が築ける。政権による介入は厳に慎むべきだ。

 ポーランドでいま、司法と報道の操作を狙う政府の介入が目立つ。昨秋に発足した保守強硬派のシドゥウォ政権による露骨な法改正や人事である。

 この国が民主国家として歩み始めて四半世紀になる。社会主義時代に抑えられた人権や言論の自由を少しずつ進展させ、04年には念願の欧州連合(EU)加盟も果たした。

 その努力の蓄積を、現政権が権威的な態度で崩しつつある。国際的な信用を失わないためにもポーランドは民主化の原点に立ち返ってほしい。欧米各国ももっと説得に動くべきだ。

 旧東欧や旧ソ連の国々では民主化以降、経済的な苦境に立つ国が多かった。そのなかで、ポーランドは堅調な経済を維持してきた。ウクライナなど周辺国に対し民主化モデルとなる「優等生」ともいわれた。

 一方で、国民の経済格差が広がり、最近はシリア難民受け入れへの不安も高まった。その結果、それまでの中道右派政権が支持を失い、代わって汚職追放や保守回帰を唱える政党「法と正義」が政権を獲得した。

 新政権は憲法裁判所の制度を変え、違憲判断を出しにくくした。司法の監視機能を骨抜きにするためだといわれる。

 テレビとラジオの公共放送の人事を政府が握るように法律も変え、政権寄りの人物をトップに据えた。政府に批判的な記者は次々と解雇された。

 国内では抗議デモが起きているが、政権は意に介そうとしない。独断でさまざまな制度の変更を進める構えだ。

 旧東欧では、ハンガリーのオルバン政権も近年、同様に権威的な政治に終始している。

 両国の背景に共通するのは、EUの価値観への疑問だ。社会の寛容や、人権、民主主義といった理念を実践するよりも、自国の狭い国益を追う姿勢の方が国民受けする現実がある。

 しかし、議論や説得を省き、効率よく統治しようとする乱暴な政治は、安定した社会をもたらさない。民主主義とは本来、面倒で煩雑なものであり、その手続きがあってこそ、政府と市民の間の信頼が生まれる。

 ベルリンの壁が崩れたとき、ポーランドもハンガリーも自由社会の建設を誓ったはずだ。当時を思い起こし、民主化の理念を継承するよう、望みたい。