為替と株の値動きです。
生字幕放送でお伝えします伊藤⇒きょうは休館日ですが放送はありますよ。
伊藤⇒スタジオパークから…高畑⇒こんにちは!きょうの司会は高畑淳子さんです。
EXILEみたいになっていますね。
これはね、大河ドラマで真田信繁の母・薫をね。
京都から来た、ちょっと古いひな人形みたいになっている。
このツーショットすごいですね。
今、スタジオパークでは大河ドラマ「真田丸」展をやっています。
この奥でね。
出演者の皆さんのパネルや、小道具や衣装も展示しています。
ぜひお越しください。
4月3日までスタジオパークでやっています。
合格祈願にいいそうですよ。
学業の神様みたいになっていますね。
ぜひお越しください。
きょうのゲストは、スポーツ界で偉業を成し遂げた方です。
3連覇ですから前人未到ですから。
きのう琴奨菊も勝ったね。
きょうは盛り上がっていきましょう。
スタジオでお迎えします。
スタジオパークからこんにちはスタートです。
本日のゲストをご紹介します。
スタジオパークからこんにちは初登場です。
柔道家の野村忠宏さんです。
拍手
どうぞお掛けください。
ようこそお越しくださいました。
スタジオパーク初登場。
野村⇒どうぞよろしくお願いします。
覚えています、オリンピック柔道で3連覇。
すごかったね。
今まで成し遂げた方はいないんですよね、柔道で3連覇。
世界で柔道家では自分だけです。
前人未到。
4年ごとだから12年間ですよね。
しかも金メダル。
長い目で見たら負けているときもあるんですけれど4年に1回、一日に合わせて。
オリンピックでは1回も負けていないということですよね。
何たる集中力。
日ごろの鍛錬ですよね。
でも、おけがもあったりとか。
実は去年の8月に競技者生活、現役は引退されたんですね。
野村さんはNHKの番組にもご出演いただくんです。
「ぼくらはマンガで強くなった」漫画とアスリートの関係を深くえぐっていくんですよね。
後ほどご紹介します。
野村さんへの質問・メッセージもお寄せください。
早速その3連覇。
野村さんは何度もご覧になったかもしれませんね。
はい。
何度も。
改めて3連覇の様子です。
まず最初21歳のときです。
大学4年生です。
若い。
背負い投げでしたね。
初出場で金メダル。
そしてシドニー大会です。
積極的にいった、一本!今、舌を出しているね。
決勝は10秒ぐらいで終わったんです。
そして3連覇を目指してのアテネ大会です。
3、2、1、試合終了。
野村忠宏、史上初オリンピック柔道で大会3連覇達成です!
拍手
分かっているのに頑張れっていう気持ちになるね。
鳥肌も立ちますね。
知っているのにね。
ご自分でご覧になってどうですか?3大会で印象深かったのはどれですか。
それぞれ思い出があるんですけれど4年に1回という時間があって体も価値観も変わるのでそう考えると3回目のアテネオリンピックが自分にとっては重たいオリンピック重たい金メダルですね。
途中、2年間のブランクがあってアメリカ留学に行って戻ってきて臨んだ大会ですね。
シドニーで2連覇したあとに2年間休んでその間世界のアスリートはずっと練習をしているわけですからね。
でも自分は2年間休んでいた戻って来て勝負するというのはね苦しい思いもしたしいろんなものを乗り越えて乗り越えたからこそアテネで自信を持ってでも乗り越える壁がめちゃめちゃ高くて苦しかったです。
想像を絶する。
出るのも大変だし金メダルにいくというね。
そこにいくまでの日々の訓練を思うとね。
目頭が熱くなりますね。
うかうかと酒ばかり飲んでられないと思うの。
野村さんの柔道人生に迫っていただきましょう。
プロフィール紹介です。
野村忠宏さんは、1974年奈良県生まれ。
お父さんは高校の柔道部の監督を務めていました。
野村さんは3歳からお兄さんとともにおじいさんが開いていた道場に通い、柔道を始めます。
写真は、ご両親ですね。
びしびし鍛えられていたんですか。
全く放任でした。
柔道を楽しんだらいいと。
もともとおじいちゃんに習っていて柔道を好きになってほしい楽しんでほしいという道場だったので試合に負けて怒られたこともないし。
柔道一家だと厳しくと思ったんですが、そうじゃないんですね。
楽しい柔道を心がける道場だったんですね。
父親も指導者でしたけれど自分に対してほとんどアドバイスはなくて距離を取っていましたね。
習い事をやっているような感覚ですか。
そうですね。
あと水泳とサッカーと野球もやっていましたから。
運動能力がすごかったんでしょうね。
全部下手だったんですよ。
中学生になると柔道部に入部。
入学当時はとても小柄で最初の試合では女子選手に負けてしまいました。
これも意外。
中学1年生のときの写真です。
後ろの人たちとずいぶん体格が違いますね。
すぐ後ろにいるのが年子の兄貴です。
僕、当時は体重が30kgしかなかったんです。
身長が140cmぐらいで体重が32kgぐらい。
周りの人は70kg80kgあったんでしょうね。
兄貴にしても60kgちょっとですからね。
それでも倍ぐらいですよね。
後ろの人がでかいんではなくて、前の自分が小っちゃかったんです。
小柄な野村さんが投げ飛ばすというのがたまらないですね。
柔道ならではですね。
高校は柔道の強豪天理高校に進学。
小さな体格を生かして俊敏に動き回り相手をかく乱させる戦い方を始めます。
天理高校の柔道は真正面から組んで一本を取る柔道だったんです。
でも小柄だったから組んだ時点で潰されるんです。
技を生かすにも最低限の体と力が必要でそれが何があったから動き回って自分より大きな相手をかく乱して反射とかスピードを生かす柔道でした。
相手になかなか組ませないんですね。
このときに初めて高校2年生のときに父親から柔道のアドバイスを初めてもらったんです。
今だけ勝ちたいんだったらその柔道をすればいい。
でも、もし努力をして努力が実ったときに本当に実力のある強い柔道家になりたいんだったら今は勝てなくていいからしっかりと組んでしっかりと技をかけろ。
小手先の柔道をするんだと言われました。
ええこと聞きましたな。
お父さんそれまで何も言わなかったのにね。
確かに周りの方を見ると体格も大きいから組まないようにという1つの戦い方だったと思うんですよね。
自分なりに今勝てる方法を考えたんです。
でも父親から見たらもっと先を見据えたうえで本当に強くなるために今しなければならないことは何なのかということを伝えてくれたんです。
結果的には世界に出たとき大学に入って世界に出たときに外国人と組んでも力負けしなかったし一本を取る技ということで世界を取りましたから。
組んでやるというのは、お父様のひと言は大事なひと言だったんですね。
お父さん偉いな。
そこから背負い投げにつながっていくんだね。
その後、天理大学に進学。
大学2年生のときに国内外の大きな大会で優勝し頭角を現します。
写真はちょっと軽い感じですね。
そして、大学4年生となった1996年アトランタオリンピックの男子60キロ級の代表選手となります。
いい顔しているな。
21歳。
このときはオリンピックを目指そうというつもりでやっていた感じですか。
そうではなかったです。
オリンピックの代表が決まる半年ぐらい前まではシドニーオリンピック次のオリンピックに出られたらいいなと思ったんです。
アトランタじゃなくてね。
次ぐらいがいちばんいいのかなと本当に運もよかったなっていう感じで自分の上に3人ぐらい代表候補がいたんですが選考レースの中で負けたりとか結構ラッキーな形で代表権を取ったような感じなんです。
アトランタオリンピックの映像があります。
当時の世界チャンピオンです。
(拍手と歓声)男子の60キロ級の決勝です。
大内刈りにいった野村。
おっとすくい投げが入る!有効!安定感がないからぽろぽろ投げられているんです。
投げられて逆転して。
残り僅かな時間で見事ひっくり返して。
はい。
一本勝ちですね。
力が入る。
メダルをかじっておいしいですって言っていましたね。
印象的なシーンですね。
野村さんが初めてかじったわけではないんですよね。
そういうふうに思われがちですがその自分の2日前に中村先輩がね先輩も僕も期待も注目もされていなかったんですけど中村先輩が優勝してメダルをかじっているシーンを見たんです。
自分も絶対優勝して先輩のまねをして、かみますねと言ったのが、この写真でこれが大きく使われて野村がメダルをかんだと。
笑顔で全部が収まる感じで。
そしてきょうはこれまでに獲得した金メダル3つをお持ちいただきました。
3人で、かみます?いやいや。
罰が当たります。
これが、初がみのね。
アトランタ大会のメダル。
そして真ん中がシドニー大会そして3連覇を決めたアテネ大会。
大きさが微妙に違いますね。
大きさも違いますしオリンピックの女神様が描かれているんですが横向き、横向き、正面とデザインも違います。
アトランタとシドニーは似ていますがアテネは全然違いますね。
オリンピックの金メダルが3つ並んでいるというこのスリーショットはなかなかないですよね。
ありがたい、ありがたい。
お客様にもね。
重いんですかね。
どうぞ触ってください。
重い!それぞれ裏もデザインが違うんですよ。
アトランタです。
裏が全然違う。
デザイナーさんがいらっしゃるのかな。
それぞれ違うね。
アテネには、ギリシャ文字が描かれていますね。
ありがとうございます。
それぞれですね。
大きさが違うから軽くなるのかと思ったらそうでもない。
貴重なものをありがとうございます。
前人未到の柔道で3連覇オリンピックで。
ここでクイズです。
野村さんは毎回オリンピックごとに験を担いであることをされていたそうです。
それは何なのか、お考えください。
画面に決定ボタンが出ている方は決定ボタンを押してクイズに参加してください。
「ロッキーのテーマ」といえばボクシングですよね。
気持ちを盛り上げるということですね。
メールが届いています。
千葉県30代女性の方です。
長い現役生活お疲れさまでした。
引退は寂しいですがテレビなどで元気な姿を見られる機会が増えたのはファンとしてもうれしいです。
いつ出てくれるのかと待っていたスタジオパークからこんにちはまさかの休館日で観覧できないとのこと、とてもとても残念ですがテレビの前で楽しい話を待っています。
今、テレビをご覧になっているかしら?現役生活も3歳から始めて40歳ですね。
そうですね。
37年間。
すばらしいです。
そして大阪府男性です。
僕は大学でバスケをしています。
けがが絶えず望むプレーができず次けがをしたらという恐怖からバスケから逃げていたときがありました。
そのときに野村選手の姿を拝見させていただき野村選手の現役にこだわるその執念。
僕の心は高揚していました。
折れない心とは何かということを感じさせていただきました。
ありがとうございます。
野村さんも3大会3連覇してから両膝、肩もね、けがに悩まされて大変な部分があった中ででも折れないように続けようというのはどうしてですか。
自然というかね年を重ねて、けがを重ねて力が落ちてきて自分の弱さを認めなきゃいけないし自分が戦えるステージも客観的に判断しなきゃいけなかったんですけど衰えゆく中で何十年もかけてきた柔道の技術というのは、本物だという自信はあったのでチャンピオンにはなれないかもしれないけれど今できる30半ば、40歳の最高の柔道って何だろう今できる最高の柔道を求めたいという思いで毎日やっていました。
オリンピックは初めは夢だったし夢が目標に変わり実際に勝ち取ったら、ある意味ゴールはしたんですけれどゴールをしたときにオリンピックチャンピオンというのも本当のゴールじゃなかったんだなとそうやって柔道という中で道が続いていてこの年まで。
40歳まで現役で柔道の選手ってそんなにいないですよね。
いないですしその年までやらせてもらえる環境というのもねなかなかね30歳になったらそろそろ引退してコーチとか先生とかセカンドキャリアというか次の道がありますからね。
すごいな。
40歳まで現役生活を送られていましたがオリンピックでは験を担いで毎回臨んでいた。
視聴者の皆さんのお答えです。
「ロッキーのテーマ」がいちばん多い。
その次が勝負パンツですね。
トンカツを食べるが少なめですね。
野村さんお答えは?答えは青の勝負パンツをはくです。
青なんですか。
自分は試合の前日試合中ってパンツをはいていないんです、柔道着の下は。
ノーパンなんだ。
そうなんですか。
パンツ引っ張られちゃったら?ひもがほどけても落ちないんです。
武道だから剣道とかもそうだと思うけど基本的に昔はパンツははかない今の子たちはスパッツをはいたりするけれど自分は下着をつけないんです。
試合会場に入って柔道着に着替えるまでは青色のパンツと決めていました。
赤じゃなくて?なぜ青なんですか。
自分が、ある程度大きな大会で優勝したのは大学2年生なんですがそのときにはいていたのが青色のパンツだったんです、たまたまね。
初めて優勝をして何がよかったんやろう?と思ったとき青のパンツやと思って。
パンツのおかげ。
験担ぎってそうなんですよね。
よかったときに何をしたか何を身につけていたかということで年々験担ぎが増えていくんです。
ほかにもあるんですか。
テーピングにしても巻く順番とか試合の何日前に神頼みに行くんですよ。
それも見られるのは恥ずかしいから夜中に人がいないときに勝たせてくださいって。
それぐらいいろいろ心配なことも増えていくということですね。
最後頼るのは、そこになるんです。
気持ちもないと勝てないですよね。
フィギュアの優勝をする人もブルーのウエアを着ていると勝つってね。
そういうジンクスがあるっていう人もいましたね。
イナバウアーの方。
荒川静香さん。
ブルーを着ていたって。
オリンピックで勝っているときはずっと青いパンツ?でも青いのはいても試合によって負けるときがあるのです。
そういうときはパンツは捨てて新しいパンツ。
青いパンツのストックをいっぱいね。
そうやって前人未到の3連覇だったんですね。
選手生活としては去年8月に引退を表明されました。
そのあと最後の試合に臨まれました。
最後の大会の様子です。
背負い投げで一本。
そしてまた一本。
そして3回戦です。
逆に一本、背負い投げで。
どうもありがとうございました!
(拍手)見ていて、感動しちゃった。
引退しようと決めた瞬間があったんですか。
うまくなりたいとか強くなりたいという気持ちは消えることはなかったんですよ。
だけど、どうしても体が心と体の開きというか自分の心についてくるだけの試合についていく積み重ねできる体がなくなって最後はだいぶ体には無理をさせていたんですけれどもこの試合を最後にしようと選択肢としては戦わずして本当にぼろぼろだったんです。
戦わずして引退というのもあったんですけどここまでやってきたから最後はぼろぼろでもみんなの前で、ひと勝負して終わりにしたいというので。
見事に背負い一本決めて最後は逆に決められてしまったところはあるんですけれども。
自分は今まで世界に引き上げてくれて世界のチャンピオンとして戦わせてくれた背負い投げで勝てたし最後は気持ちよく一本負けして会場から自分の応援団だけじゃなく会場のみんながお疲れさまということで拍手をくれてすごく幸せでした。
ご家族は最後の試合はご覧になったんですか。
みんな来てくれました。
おやじも勝負の世界で指導者としてずっと生きてきて最後は涙を流してオリンピックで金メダルを取ったときもうれしかったけどきょうの試合はそれ以上によかったと最後におやじに認めてもらったというか褒めてもらって。
お父さん、いいことを言うね。
37年の柔道家人生を歩まれてきましたが野村さんの柔道人生で影響を受けたものが1つあるそうです。
「柔道部物語」という漫画に影響を受けてきたんですね。
すごい眉毛ですね。
いつごろから読み始めたんですか。
中学のころですね。
中学高校のときに読んでいました。
自分もすごく弱かった時代でこの漫画を見ながら時には笑い、時には本当に夢を持たせてもらえた漫画です。
NHKでトップアスリートとスポーツ漫画の関係を深く探っていくという番組があります。
スポーツ・ラボ「ぼくらはマンガで強くなった」野村さんが影響を受けた小林まことさんの「柔道部物語」との関係を探っている番組です。
この「柔道部物語」っていうのはそれを分かったうえでもやっぱり何かね、自分に夢を与えてくれたんですよね。
「柔道部物語」は高校の柔道部を舞台に柔道初心者の主人公・三五十五が仲間たちと高校日本一を目指し柔道に青春をかけていく姿を描いた漫画です。
野村さんが、この漫画からどんな影響を受けたかというと…。
自分にとっての憧れっていうのが三五の背負い投げだったんですね。
こんな背負い投げで勝ってチャンピオンになりたいってずっと思ってましたね。
イメージできるんですよね。
漫画だけどそこに自分を重ねてこういう組み手とかそういう背負いの入り方とかなるほどって思える箇所がやっぱり、あるんですよね。
だから三五がね内股が得意技だったら分からないですよ、自分ここまで、はまったかどうか分かんないです。
そして、金メダリストの古賀稔彦さんも「柔道部物語」の大ファンの1人。
若き日の古賀さんが作者の小林まことさんにファンレターを送ったことで生まれた2人のつながりが、後に野村さんのオリンピック3連覇に深く結び付くことに。
柔道家と漫画家をつなぐさまざまなエピソードお楽しみに。
イメージができるんですか?漫画なんですけど感覚的に、あっと思えるところがあるんですね。
それを参考にしたし技の入り方も参考にしたときもあったし。
主人公が初心者で柔道を始めているんですよ。
背負い投げの可能性を感じてその技を磨いてどんどん強くなっていく、そこに自分を重ね合わせて俺もこの背負い投げを磨いていつか強い選手になろうと心の支えになった漫画です。
三五十五というんですね。
ダジャレみたいな名前ですよね。
うまいこと言いますな。
原作者の小林まことさんが柔道をやっていたときにさんご先輩がいたそうですよ。
影で言っていたそうです。
ここではリアルな中学高校柔道部生活も描かれているらしくて。
先輩後輩の理不尽なものがあったり柔道部あるあるがよけいに感情移入させて、楽しく。
例えばどんなものがあるんですか。
やる気のないやつはどういうふうに柔道をさぼるか。
あとは、先輩から後輩への説教があったり柔道をやっているやつは女の子にモテないとかね。
それはあるんですか?野村さんの場合はね。
かっこいいから。
私たち「柔道一直線」だけれどもね。
知っていますよ「柔道一直線」。
これはリアルな柔道部が描かれているということでございます。
古賀稔彦さんも、この漫画といろいろ深い関わりがあって古賀さんがいて原作者がいてそして野村さんがいてどういうふうにつながっていったのかぜひ放送でご覧ください。
続いて野村さんに伺うテーマはこちらです。
去年8月、現役選手としての活動を終えられて第二の柔道人生ということでいろんなことをやってらっしゃいます。
実はNHKでこんなことをしていらっしゃいます。
恥ずかしくなっちゃった。
キャスターは。
「サンデースポーツ」ぴしっとスーツ姿が決まっているじゃないですか。
スポーツキャスターを去年の11月、1か月間マンスリーキャスターとして出演していただいたんですがその様子をご覧ください。
こんばんは。
「サンデースポーツ」です。
今月のマンスリーキャスターはオリンピック3連覇、そして8月に現役を引退された柔道の野村忠宏さんです。
よろしくお願いします。
いかがですか?初めてのキャスターということで。
めちゃくちゃ緊張はしてるんですけれどもこの緊張感をね、楽しみながらさまざまなスポーツの魅力を伝えていければなと思ってます。
スタジオで野村さんにサモアの選手になったつもりでタックルを。
いきます。
ここ、こう回ります。
おお、軽やかに。
直線的にタックルにいくんでそれを回転でずらされる対象物が消えるような感じ。
スパーリングしましたよ。
プレッシャーとか与えるのはそんなに好きじゃないけどもプレッシャーは受け慣れてると思うし本当に、ひと言ね4連覇してください。
頑張ります。
ありがとう。
ありがとうございました。
現場でも取材をしていただきました。
ブルーのネクタイとブルーのパンツでしたね。
そしてがちがちになっていました。
気合いが入っていましたね。
硬さが何とも言えない。
初回という感じで。
印象、消えるような感じという表現が。
アスリートならではですね。
ああいう形でラグビーの選手とか吉田選手、北島選手、自分が親交があったり何かつきあいがある選手たちの現場を見に行くそれを、自分のことばで伝えるすごく新鮮というかいい経験をさせていただきました。
すごい分かりやすかったです。
タックルのところ。
アスリートならではの視点で現場の取材もされていました。
1か月と言わず、まだまだ。
キャスターというお仕事は今後やってみたいという思いは?ぜひやってみたいなと。
今までは呼んでもらう立場だったけれど迎える、それをことばで伝えるというのはすごくやりがいがあるというか違うステージでもう一度チャレンジしてみたいなと。
でもそれは呼ばれないとなかなか。
ちょっとアピールしていただいて。
カメラ目線で。
そんな野村さんテレビに出るようになってある仕事を依頼されるとちょっと嫌だなと恐れていることがあるそうです。
それはいったい何なのかお考えください。
グラビアはちょっと脱いでいただきたいかなと?結構脱ぐのは好きなんでね。
言っちゃっていますけれども。
胸板が。
すごいですからね。
ちょっとアピールしていましたね。
メールが届いています。
秋田県の60代の男性からです。
野村さんの、現役時代からの何事にも諦めずにまっすぐに突き進む姿が大好きです。
好きなことばがありましたらぜひご教授くだされば光栄です。
現役中に自分の信念というかいつも書かれていたことばが執念。
よくお書きになってらっしゃいますよね。
決してきれいなことばじゃないかもしれないですけれども勝負に対して最後はそこだと思うんですよ。
だからこそぎりぎりまで頑張れたし執念というのは大事にしていましたね。
いいことばだ。
東京都の40代男性の方からです。
柔道家というと耳が特徴的だと思いますが野村さんは普通の耳です。
昔、柔道をやっていた友人から本当に強い人は畳の上に引きずり回されたりしないからそうならないんだと言っていました。
確かに柔道家の方は、耳が大きいイメージがあります。
耳の形がやっぱり。
よく言うのはカリフラワーといって、耳がぼこっと柔道やレスリング、ラグビーの選手は耳が潰れるというふうに組手のときに当たったりとか内出血なんですよ。
それが固まってぼこっとなるんです。
自分は比較的ちょっとだけ右側がね硬いんですよ。
うわ!触ったことがないぐらい。
もっとぼこっとなる人がいっぱいいるんですけれども。
背負いで勝つからそういうことが少ないんでしょうね。
潰れるのは中学高校時代のときが多いです、そのときは弱かったですからたまたまですかね。
でも触った感触は本当に柔道家の耳でした。
私は体感しました。
そんな野村さんがこういう仕事を依頼されたらちょっと怖いなと思ってらっしゃるのは何なのか視聴者の皆さんの答えです。
グラビアが少ないですね。
いちばん多いのが赤の絶叫マシン。
次に多いのが料理番組です。
答えは?絶叫マシンです。
ほとんどの方が正解です。
お嫌いなんですか?高いのとかふっとなる瞬間がだめなんですよ。
こういうのとか、飛行機とかもそうなんですけど足の指が、ぐっとかむんですよね。
柔道の習性です。
畳をかむ、というんですけれどもそういう感じです。
お子さんと遊園地でジェットコースターとかは?乗ったことがないんです。
どうしますか?依頼されたら。
テレビで苦手だと言うとそんなところを見てみたいとなりますよね。
でも本当に勘弁してください。
そんな野村さん、もう1つの第二の柔道人生がこちらです。
息子さんですか。
長男です。
かわいらしい。
柔道を親子でやってらっしゃる。
自分はそんなに関わってはいないんですけど息子が3歳になったときからもともとおじいちゃんがつくってくれた道場で今は父がそこの館長をしています。
野村さんと同じだ。
週に1回か2回ぐらい行って。
楽しく。
息子さんはいかがですか?柔道は。
どうでしょう?よく分からないですね。
ただ本当に楽しんでくれたらいいなと思っているしもっともっと競技として追求していくようになればそれこそ野村の息子という形でもっとすごいプレッシャーを感じながらやるだろうしだから無理して続けてほしくないしもし彼が本気で柔道をやりたいとなったら応援するけどそこに対して親としてはプレッシャーをかけたくないなと。
私たちとしては見てみたいという気持ちがありますけど。
自分を超えることはないと思うので。
3連覇は、前人未踏ですからね。
お子さんだけじゃなくほかのお子さんたちにも指導者としてもやっていきたいと考えていますか。
今自分は指導する拠点は持っていないんですよ。
いろんなイベントを含めて子どもたちに教えに行ったり海外からもオファーをいただいていてスペインとフランスには夏に教えに行くという世界的に自分の、野村の柔道を求めていただいているので海外に行っていろんなものを見ながら、強いクラブ田舎の片田舎でやっている小さい道場などいろんなところを回ってみたいなとその中で、技術もそうだし柔道から学んだ心というのもいい形で自分も勉強しながら伝えていけたらすごい幸せだなと思います。
子どもたちにしたら野村さんと組めるというのは本当にうれしいことじゃないかなと、実際に子どもたちと君で。
自分が小学校のころは弱かったし中学校のころ女の子に負けて高校のときにおやじに無理しないでいいよと言われたんですね。
小さいときに努力をして結果が出なくても諦める必要はないし。
勇気が持てるね。
自分が今、弱くてもその方がこうなったんだというと。
その代わり、何かを変えなきゃいけないんです。
それに気付いてほしいなということで、いろんなお話をさせていただいています。
少しお時間をいただきまして総合テレビこのあとの番組を紹介します。
今夜8時「鶴瓶の家族に乾杯」。
佳乃ちゃんだ。
うちの娘だ。
松をやっている。
佳乃ちゃん、おもしろいよ。
木村佳乃さんが和歌山で90歳の方とガールズトーク。
見なきゃ。
「真田丸」で高畑さんの娘役をやっています。
質問・メッセージがたくさんきています。
ファックスをいただきました。
野村選手の子どものときはどういう気持ちで柔道をしていましたか?僕は6歳です。
そんなに気持ちが入っていなかったと思います。
おじいちゃんの目を盗んでプロレスごっこをしたりしてそういう時期があってただ礼儀というのは道場に入ってもそうだし道場の外でも、柔道をしているのは知っているから礼儀は厳しく言われましたけれどもそれ以外は伸び伸びと特に結果、負けたら悔しいし勝ったらうれしい。
結果にはこだわらず周りも求めていなかったからすごく楽しくプレッシャーなくやれました。
メッセージ、40歳の方からです。
野村さん本当にお疲れさまでした。
オリンピックのときはテレビの前で私も必死で応援しました。
毎回叫んでいました。
柔道を見るきっかけを作ってくれたのは野村さんのおかげです。
これからも野村さんのこと日本の柔道のことも応援し続けます。
岩手県の40代の女性です。
大学の同級生だった野村君。
柔道以外の野村君はとても無口というかシャイだったことを思い出します。
これからいろんな経験をされてテレビで拝見するので野村君はとてもおしゃべりさんになっていました。
ことばに重みがあり尊敬できる同級生です、これからも応援していますといただきました。
日本だけでなく海外からも多くの観光客が訪れる浅草。
2016/01/25(月) 13:05〜13:52
NHK総合1・神戸
スタジオパークからこんにちは 野村忠宏[字][双]
オリンピック三連覇! 人気柔道家の素顔と夢 ゲスト:野村忠宏 司会:伊藤雄彦アナ、高畑淳子
詳細情報
番組内容
双方向データ放送番組。テレビのリモコンを使って、ゲストに関するクイズやアンケートに挑戦!気になるゲストの生トークにあなたも参加しませんか?テレビをネットにつなぐとさらに楽しめます。
出演者
【出演】野村忠宏,【司会】高畑淳子,伊藤雄彦
ジャンル :
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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