お金と感情と意思決定の白熱教室 楽しい行動経済学の世界6 何のために働くのか 2016.01.22


あなたは日常生活の中でこんな悩みを持った事はありませんか?バーゲンに行くと…そんな私たちの不思議な心理や行動をつぶさに観察しよりよい社会をつくるために何が必要かを探究していく学問が…この分野で全米から最も熱い注目を浴びているのがデューク大学の…アリエリー教授は数々のユニークな実験を通して一筋縄ではいかない人間の感情やちょっと愚かでいとおしい行動の数々を研究してきました。
今回アリエリー教授は多くのベンチャー企業が集まるサンフランシスコで起業家たちに向けた6回にわたる集中講義を行いました。
教授が語る行動経済学のノウハウ。
聞き入ったのは社会をより便利で楽しくしたいと日々考え続けているシリコンバレーなどの若き野心家たちです。
アリエリー教授は最新の行動経済学を駆使して人間のまか不思議な行動や意思決定のメカニズムを解き明かしていきます。
今日は最終回。
テーマは「仕事とモチベーション」です。
私たちが仕事をするのはお金のためだと思われがちだ。
でも実際働く理由はいろいろとある。
どうしたらモチベーションを高める事ができるのか。
仕事を頑張ろうと思う時と適当でいいやと思う時では一体何が違うのか。
「仕事のモチベーション」が今日のテーマだ。

(拍手と歓声)今日で最後か…どうしよう?拍手に慣れてしまった。
そう拍手をしてくれるアプリがある。
それを朝晩使う事にしよう。
こんな事がある。
社員のモチベーションを高めるためボーナスを与えるとそれが逆効果になる事があるんだ。
私たちはいわば2つの世界に住んでいる。
人との社会的関係や思いやりを重視する世界。
そして金銭で物事を捉える世界。
人によりよい行動をとってもらいたい時はこの2つが全く異なるものだと知っておく必要がある。
君たちと知り合って数時間を共にしてきた。
もし私が今「隣の町まで車で送ってくれないか?」と頼んだら君たちはどうする?その次に私が「タクシー代と同じ料金を支払うから隣の町まで送ってくれないか?」と頼んだらどうだ?「すばらしい。
ダンの頼みを聞いてあげられるしタクシー代と同じだけお金が稼げますから」とは言わないだろう?今の例えで面白いのは最初は何ももらえなくても喜んで助けようと思っていたのにお金の要素が入った途端助けたい気持ちが薄れてしまう事だ。
もちろん大金を支払って人に何かを頼む事は可能だ。
でも金額が少ないとお金の話が人のモチベーションを逆に下げてしまう事がある。
アメリカで「落ちこぼれゼロ」という政策をやった時実際にそうした事が起きた。
教師はもともと子どもが好きで教育の事をちゃんと考えている人たちがなるものだろう?なのに突然「生徒の成績を上げたら年収を数百ドル増やします」と言われたんだ。
教師たちはそのためにさんざん苦労しても「それしか給料が増えないのか」とがっかりして教育の質が逆に下がってしまったんだ。
そうなってしまったのも…確かにお金の要素がある事で何かの行動をしようと思う時はあるが最初に社会的なモチベーションで動いていたのにあとからお金の要素が加わった場合当初のモチベーションは消えてしまうんだ。
こうしたモチベーションの事を考えるにあたり「完備契約」と「不完備契約」と呼ばれているものを紹介しよう。
「完備契約」とは君たちが私の部下だとした場合私が君たちのやるべき仕事をずらりと列挙しそれぞれの仕事にいくら支払うかを決めておく事だ。
そして「不完備契約」は結婚に似ている。
お互いに助け合いましょうという感じだが今後何が起こるかは正確には分からない。
長い間にはどんな事でも起こりうるだろうがだからといって今後起こりそうな事を全部書き出したりはしない。
ちなみに弁護士は常に完備契約を結ぼうとする。
私個人の経験から例を挙げよう。
私は以前マサチューセッツ工科大学MITで教えていたがMITにはルールがあった。
何しろ工科大学なのでルールはとても複雑で教師が担当すべきコマ数や1コマ当たりの学生数学生は授業以外に何時間勉強すべきかというような事まで定められていた。
私はそのルールを「挑戦」として受け止めなるべく少ないコマ数で最大のポイントを稼ごうとした。
とにかくルールがきっちりしてたから逆にそれを利用してやろうと考えたんだ。
私が教えたのは10年にわたり年間1コマだけだった。
週に3時間それが12週間続きたったそれだけで済んだ。
人数の多いクラスを教える事でいろいろ裏技を使ったんだ。
大学側としてはみんなのモチベーションアップをねらってルールを定めたんだが私は逆にそれを利用した。
学部長か誰かに仕事を頼まれる度それをやったら何ポイントもらえるかを尋ねポイントとの引き換えをねらった。
その後私は今いるデューク大学に移った。
その際学部長に「うちではポイント制なんかないですよ。
何を教えて頂くか毎年こんなふうに話し合いましょう。
取り決めやポイントのようなものは一切ありません」と言われた。
MITにいた時より仕事が増える事は明らかだったが私はその説明に納得した。
面白いのは今デュークで私は本来なら担当しなくてもいい授業まで受け持っている事だ。
MITにいた時はポイント制だったから誰かに補習を頼まれたりすると「それは何ポイントですか?」と聞いていた。
今はいわば社会的関係の中にいる。
本当は1コマしか担当しなくていいはずなんだが追加で夜間の授業をやってほしいとか頼まれても一向にかまわないと思っている。
さて報酬や労働何がモチベーションになるかについて話してきたがそうした事を念頭に置いてもらったうえである実験を紹介しよう。
コンピューターチップを作る工場がある。
チップを作る労働者の仕事のサイクルは8日だ。
4日連続で12時間シフトで働いたら次の4日間は休み。
4日働き4日休み。
この工場では昔からそのサイクルの初日に従業員を激励する事にしていた。
初日に一定の成果を上げている労働者にボーナスを出すんだ。
レベル以下なら何もなしレベル以上ならボーナスを出す。
2日目から4日目はボーナスなしで働き続く4日間は休み。
そしてまたボーナス日がやって来る。
この工場では長い事そうしてきた。
私たちはこの会社にボーナスに関する実験に協力してもらった。
実験をやる時に重要なのは基準となるグループを作る事だ。
実験では基準としてボーナスをあげないグループを作りそれと比べてお金をあげるとどうなのかを調べた。
更にお金をあげる以外の条件も提案してみた。
「お金の代わりにピザをあげるのはどうでしょう」と。
ピザはお金よりも社会的な報酬という要素が強いからだ。
会社側にはそれはちょっと難しいと言われたが…ピザのクーポンならいいと言われた。
そこでピザのクーポンを渡す事になった。
ピザそのものではないがお金よりはピザに近い。
そして私たちは最後にこうお願いしてみた。
「物じゃないものをあげるのも試してみたいんですが。
上司からのメッセージだけをあげるんです」と。
こうして労働者たちは一定の成果を上げた場合ある人はお金をある人はピザをある人は上司から「よくやった」というメッセージを受け取る事になった。
ここで問題だ。
3つの条件の人たちは何ももらえない人たちに比べて成果が上がっただろうか。
上がらなかったと思う人?誰もいない。
同じだったと思う人?2人。
成果が上がったと思う人?棄権は認めないと言ったはずだぞ。
意見を持たなくちゃ。
そう3つの条件の人たちは何ももらえない人よりは成果を上げた。
では3つのうちどのボーナスが一番いい成果につながったか。
お金だと思う人手を挙げて。
お金持ちの街ロサンゼルスの人かな?
(笑い)ああニューヨークか。
ピザだと思う人。
何人かいるね。
じゃあメッセージは?たくさんいる。
これまでの講義である種の刷り込みが行われたのかもしれないな。
でも実は3つとも成果は同じだったんだ。
どのボーナスでも成果は同じだった。
ところがボーナスの翌日のデータが面白かった。
ボーナスなしの日だ。
そこに「残存効果」が見られたんだ。
翌日の成果を比べるとお金がボーナスの人たちはボーナスなしの人たちと比べて15%成果が落ちた。
「昨日はボーナスがあったけど今日はないからやる気が起きないな」と思ったんだ。
メッセージをもらえる人たちの翌日の成果はどうだったか。
ボーナスなしの人たちよりも良かった。
ピザの場合はお金とメッセージの間だった。
この事から何が分かるか。
私たちは直感的にお金を与えればモチベーションがアップすると考えがちだ。
確かにそうだが…実験のあと会社にこう伝えた。
「労働者には余計なお金をあげてもあまり効果がない事が分かりました。
今度は幹部の皆さんのボーナスでも実験したいんですが」と。
すると「それはいいです」と言われた。
私の教え子でウォール街で働いていた人から聞いた話をしよう。
彼の奥さんの妊娠中出産予定日の1か月前の事だったそうなんだが上司が年末のボーナスとしてアパートを1年間貸してくれる事になったそうだ。
彼はそれまで郊外に住んでいたんだが上司が「私は使っていないから」と言って「自分が所有するアパートを1年間自由に使いなさい」と貸してくれた。
そのアパートは会社のすぐ隣にあった。
「君のところはこれから赤ちゃんが生まれるんだから職場に近い方が何かと便利だろう」というわけだ。
彼はすっかり上司にほれ込んでしまった。
私は彼にこう言った。
「本来のボーナスの額とそのアパートの家賃の事を考えるとその上司もうまくやったな」と。
本来のボーナスより家賃はずっと安かったからだ。
でもアパートを貸すのは部下への思いやりの表れだし部下との絆を生み出した。
以来12年間彼は上司に忠実だ。
彼がもし代わりにお金をもらっていたらもっといいアパートに住めたかもしれないがその場合「上司のおかげだ」とか毎日考えたりはしなかっただろう。
ちなみに人に何かプレゼントする時インパクトを強める方法がある。
誰かに携帯端末をあげるならあと3ドル余計に出して裏に名前を彫ろう。
つまりずっと思い出してもらえるものをあげればいいんだ。
お望みならプレゼントのアドバイスをしてあげるよ。
ここに相手が気に入る事間違いなしのプレゼントとそこまではいかないけど送り主の事を毎日思い出すプレゼントがあると考えてくれ。
別の実験を紹介しよう。
私たちがあるホテルチェーンで行った実験だ。
このホテルにはコールセンターがある。
スタッフが電話を受けて客に何かサービスを提供したり部屋をアップグレードしたりする仕事だ。
成果を評価しやすい類いの仕事だと言える。
私たちはホテル側からスタッフの仕事ぶりに関するデータを提供してもらった。
ボーナスのデータもあったがそれを見て分かったのはボーナスをもらうのがいつも同じ顔ぶれだという事だった。
いつも同じ人だったんだ。
その事からどんな仮説を導き出せるだろうか?誰か分かる人?後ろの君。
その人たちが優秀かあるいは要領がいいんだと思います。
優秀なのかあるいは要領がいいのか。
そして?うるさくない客を選んでいると思います。
でも電話は無作為にかかってくるからそれは難しい。
というかボーナスを受け取っている人はお金が好きな人なんじゃないか?優秀なのではなく単にお金のために頑張っているのではないか。
ではお金が大好きな人と優秀な人のどっちかがボーナスをもらっているという仮説を立てよう。
君たちが経営者だとしたら優秀な人たちに対してボーナス制度を続けたいだろうか。
お金欲しさに頑張る人たちに対してならボーナス制度を続けようと思うんじゃないか?そもそも「ボーナス」とは何か。
ボーナスはこれまで働いた分に応じて与えられるというものではない。
君はよく働いて君は働かなかったから君にはこれだけあげるとかまあそういうやり方を否定するわけではないがでもボーナスに効果があるのは「この人は今よりもっと頑張れるはずだ」という時だけなんだ。
先ほどのコールセンターのスタッフの話に戻ろう。
いい業績を上げているスタッフはお金が欲しいからこそ頑張ってるんだと思う人は?では純粋に優秀だからだと思う人は?多いな。
仮説を検証するための私たちの実験はこうだ。
まず会社側からスタッフにこう伝えてもらった。
「今後君たちのボーナスはこの研究グループに決めてもらいます」と。
そしてスタッフたちの業績の一覧を提供してもらって私たちが毎週のボーナスを決めた。
実際にはボーナスを与える人を業績とは関係なくランダムに選んだんだがどうなったと思う?優秀なスタッフにボーナスを出すのとそうでもない人たちに出すのとではどちらがより会社のためになったと思う?優秀でないスタッフだ。
なぜか。
優秀なスタッフは大抵言われなくてもやるべき事を心得ている。
君たちが一流の歌手だとして報酬が減らされたらわざと下手に歌うだろうか?一流の歌手ならおのずとうまく歌うだろう。
むしろキーを外して歌う方がかえって面倒だろう。
コールセンターのスタッフの中には電話のマナーが良かったり会話が上手な人もいるが今以上の成果を期待するのは難しい。
そういう人は初めから雇わなければいいんだが既に雇っている場合彼らにこそボーナスの効果があるわけだ。
こうしてみると「報酬の世界」というのが実に奥深い事が分かる。
どこの会社でも予算で一番大きな割合を占めているのは人件費なのに私たちが報酬についてほとんど知らないのは驚きだ。
理由としては実験がやりにくい事が挙げられる。
弁護士が文句を言ったり雇用関係の法律もあるし手続きも大変だ。
従業員にランダムに仕事を与えるのも難しい。
でも実に興味深く是非とも解明していきたい分野だ。
なぜなら報酬の与え方を間違えるとお金が無駄になるだけでなく従業員の幸せをも奪いかねない。
報酬は従業員から成果を搾り出させたりするだけではない。
支払い方によっては従業員をより幸せにする事だってできるはずなんだ。
もう一つ例を挙げよう。
マイク・ノートンが行った実験だ。
被験者はベルギーの製薬会社の人たちで薬のセールスマンたちだ。
あるグループにはメンバーそれぞれに15ユーロを渡し「自分のために使って下さい」と伝えた。
別のグループには「このお金でグループのメンバーにプレゼントを買って下さい」と伝えた。
そして2つのグループの売り上げがどうなったかを調べた。
最初の自分のためにお金を使ったグループでは売り上げが4ユーロほど伸びた。
15ユーロ投資した割に少ないリターンだ。
もう一つのグループは売り上げが73ユーロも伸びた。
他の人にプレゼントをする事でグループの団結が強まったんだ。
それまでよりお互いを気にかけるようになり話し合いも増えて成果が伸びた。
このようにお金を与えたりモチベーションを上げたりするやり方しだいで従業員の喜びをより高めたり生産性を上げたりする事ができるんだ。
さて仕事について考えてゆく場合「どういう気持ちで仕事に向き合うか」という事がある。
私はそういう時登山を例にとると分かりやすいと思っている。
本格的な登山をした事がある人は?少しいるね。
私はヒマラヤのアンナプルナという山に登った事がある。
ヒマラヤの中ではほどほどの高さの山だったがものすごくきつい体験だった。
例えばエベレストに登った人たちの本を読むとどんな体験だったか詳しく書いてあるがどんな描写が多いと思う?「澄んだ心で世界を見つめる事ができた」とか「人生を振り返る事ができて充実した」とかだろうか?どの本を読んでもそんな幸せな話にお目にかかった事は一度もない。
本にあるのはつらい体験ばかりだ。
苦痛を感じた事や凍傷や呼吸困難になった体験などであふれている。
長々と続く悲惨な描写を読んでいると君はこんなふうに思うはずだ。
「登山する人は頂上に着いた時登山なんて人生最悪の決断だったと気付いたに違いない。
そして一刻も早く下山しただろうし再び登山する事は決してないだろう」と。
私自身頂上ではのんびり景色でも眺めようと思っていたのにいざ到着すると凍えるように寒くて慌てて下山した。
でも今では「もう一度登りたいな」と思っている。
登山というのは本当に面白い挑戦だ。
ところでいわゆる普通の意味での「幸福感」を最大限味わおうとしたら人は何をしたいと思う?ビーチに座ってモヒートを飲む。
ソファーでコメディー番組を見る。
そんな類いのものが思いつくだろう。
幸福を最大限に味わうという事をイメージする時「登山のようなきつい事」が頭に浮かぶ人はいるだろうか?登山は異常な体験だがそれでも人はその体験を求めるんだ。
ところで君たちの仕事は登山に近い?それともビーチでモヒートを飲む方に近い?モヒートです。
君はラッキーだ。
でも人はわざと困難な事をやろうとする。
一般的には「幸福感」とは苦痛とは縁のないもののはずなんだが。
ところで登山の場合ふだんとは違う満足感を与えてくれるのはどんな要素だと思う?サバイバルの要素だと思います。
つまり「挑戦」だね。
乗り越えるべき難関。
でも自分の命を危険にさらす事が幸せだなんておかしな話だと思わないか?とはいえ君の言うとおりだ。
他には?山が高ければ高いほどやり遂げた時自分が一回り大きくなったように思えます。
何かをやり遂げると人に自慢できるし「こういう一面があったんだな」と自分を見る目が変わってくる。
何かをやり遂げるような経験がないと自分を今までと違う目で見るのは難しいからね。
中には勘違いだけの人もいるけどね。
他には?登山は目に見える闘いです。
登っている間じゅう頂上が見えるから目標が持てます。
何かを目指して頑張っているんだと思う事ができます。
進歩が見えて達成可能という事だね。
仮にエベレストの頂上が閉鎖されていたら人は登るだろうか?98%までは登れるけど最後の2%が立ち入り禁止だったら?登らないだろう。
大切なのは前進し続けている事と何かを達成できる事が分かるという事だね。
もし自分にそれができたらそれまではできないと思っていた他の事もできると思えるはずです。
自分に対する見方が変わるんだね。
よろしい。
いろいろな答えが出たが肝心なのはそこに深い「やりがいがある」という事だ。
自分を理解し自分が成し遂げた事を振り返る事。
つまりはやりがいだ。
私はある時仕事のやりがいについて考えるようになった。
大きなやりがいではなく小さなやりがいについてだ。
ある日かつての教え子が私の所を訪ねてきてこんな話を聞かせてくれた。
彼は投資銀行に勤めていて会社の合併や買収の案件を担当していたんだがあるプレゼン用にスライドを作ったそうだ。
3週間かけて動くスライドなんかもある見事なものが出来たそうなんだがミーティングの前日にそれを上司にメールするとこんな返事が返ってきた。
「よく出来ているがあの合併の話はなくなったよ」と。
彼はがっくりきてしまった。
それから2週間ほどした時に私に会いに来たんだが彼はこう言っていた。
「彼女もいるしニューヨークも大好きだし食べ物もおいしいし全てがそろっています。
でももうモチベーションがなくなってしまいました」と。
合併の話がなくなる可能性がある事は彼も最初から分かっていた。
それに上司もスライドを褒めてくれていた。
全体的には何も問題がなかった。
でも苦労したスライドが日の目を見ないと思うとモチベーションがすっかりなくなってしまったというんだ。
そこで私たちは人のモチベーションに関する実験をする事にした。
被験者たちにお金を支払ってブロックを組み立ててかっこいいロボットを作ってもらう実験だ。
実験の際2通りの条件を設定した。
まずはやって来た被験者たちにこう聞いた。
「3ドル支払うからロボットを作ってくれる?」と。
ほとんどの人は「はい」と言った。
作り終わるとまた作ってくれるか聞くんだが今度は2ドル70セントだ。
こうして次々とブロックを渡したが30セントずつ報酬が下がっていって被験者がお金に見合わないからやめたいと感じた時にやめてもらった。
時間がお金に見合わなくなるのはいつなのかを確かめようとしたんだ。
これが1つ目の条件で「有意義条件」と呼ぼう。
あまり有意義に思えないかもしれないが次のに比べれば有意義だ。
2つ目は「シーシュポス条件」というものだ。
シーシュポスの神話を覚えているか?シーシュポスは神々から岩の塊を丘の上に押し上げるという罰を与えられた。
だがあと少しで頂上という時になると岩が転がり落ち一からやり直しになるんだ。
これはきつい。
刑務所を舞台にした映画にこんなシーンがある。
本当に刑務所でやっているのかは知らないが囚人に穴を掘らせて埋めさせてまた掘らせるんだ。
シーシュポスの場合毎回同じ丘じゃなければまだマシだったかもしれない。
さて実験ではシーシュポス条件も試した。
被験者に3ドルで作ってくれるか聞いてOKだったら作ってもらう。
次は2ドル70セントでいいか聞いて作ってもらう。
だが被験者が2つ目のロボットを作っている間に私たちは最初に作ったロボットを壊すんだ。
被験者が組み立てて私たちは壊して箱に戻す。
更に30セント安い報酬で作ってくれると言ったらまたブロックを渡す。
このように組み立ててもらっては壊し組み立ててもらっては壊しを繰り返した。
両方の条件とも被験者は自分が組み立てたロボットがいつかは分解される事は分かっている。
別にスミソニアン博物館に飾られるわけではない。
でもシーシュポス条件の人たちには壊すところを目の前で見せた。
それぞれ何個作ったと思う?有意義条件の被験者の方がシーシュポス条件の被験者より4個多く組み立てた。
確認しておくが両者にやりがいの違いはそんなにはない。
有意義条件の人たちはがんの治療に貢献していたとかいうわけでもない。
どちらの条件でも被験者は意味なくブロックを組み立てただけだ。
でもこういう小さなやりがいの差でも結果に大きな違いが出たんだ。
さて私たちは被験者以外のあるグループに今の実験の内容を話した。
そしてそれぞれの条件で被験者が何個ずつブロックを組み立てたかを予測してもらった。
するとみんな有意義条件の方が多いだろうと正しく予測した。
だが作った個数の差についてはだいぶ小さく見積もった。
1つぐらいだろうと答えたが実際の差は4個もあったんだ。
人はやりがいが大切な事は分かっているがその重要性を過小評価する傾向があるという事だ。
私たちは一連の実験の最後に被験者の中にブロックを組み立てるのがもともと大好きな人が何人くらいいて彼らが実際何個組み立てたかも調べた。
大好きな人の方が作る楽しみがあるので報酬が低くても頑張るだろうし好きでない人は早くやめるだろう。
実際に有意義条件でははっきりとした相関関係が見られた。
好きな人はたくさん組み立て好きでない人は少なかった。
一方シーシュポス条件ではなんと相関関係はゼロだった。
つまりブロックが大好きな人たちからブロックへの愛情までをも取り上げてしまったというわけだ。
自分が組み立てたものが目の前で壊されるのを見てすっかり意気消沈してしまったんだ。
これまでの授業でテクノロジーと行動経済学の関係性についていろいろと話をしてきた。
今の話に関連して興味深いのはこんな事だと思う。
紙に文章を書くと書いた痕跡が残るがコンピューターで書くと痕跡が残らない。
上書きされていわば歴史が消去されてしまう。
私は初めて本を書いた時にそう感じたんだ。
書き上げるまでに長い時間がかかってさんざん試行錯誤したのにそれまでの記録がなくなっていた。
苦労した道のりなのにその足跡がないんだ。
なぜ初めから最終バージョンを書かなかったんだろうと思った。
もちろん実際にはそんな事はできなかったし試行錯誤は必要だったし手書きもしたくなかった。
でももし足跡が残る方法で書いていたら進歩を実感できたかもしれない。
自分がどれほど努力したかが目に見えるから長い下書きの時間は無駄だったと感じずにすんだかもしれないんだ。
さてブロックの実験のあと私はシアトルにある教え子の勤め先に講演に行った。
大手ソフトウエアの会社だ。
教え子は何年か前からそこに勤めていた。
彼はとても優秀ないわば会社の最もクリエーティブな人たちのグループの一員だった。
一般社員とは別にシアトルのダウンタウンにあるビルに集められていて「我が社のために次なるエキサイティングな新製品を開発してくれ」と言われていた。
そして2年にわたって面白い新製品の開発に取り組んだ。
でも私が訪れたのは金曜だったんだがその4日前の月曜にグループのリーダーが会社のCEOと話し合いCEOが新製品開発プロジェクトを中止したんだ。
私が着いた時目の前にいたのはこれまで見た事もないぐらいがっくりと落ち込んだ200人の集団だった。
その人たちを前にモチベーションや例のロボット作りの実験の話をしたんだ。
彼らは「まさに自分たちはその被験者のようだ」と言った。
私は彼らに聞いた。
「今後これまでより遅く出勤すると思う人は?」と。
すると全員が手を挙げた。
「では夕方早く会社を出る人は?」と聞くとまたしても全員だ。
「経費をごまかすと思う人は?」と聞くと一人も手を挙げなかったが夕食はしっかりごちそうしてくれた。
私は更に彼らに尋ねた。
「CEOとしてはプロジェクトを中止するほかなかったと仮定しよう。
そうだとしても君たちのモチベーションをここまで下げずにすむ方法はあったと思うか?」と。
彼らはいろいろな案を出してくれた。
もし試作品を完成させる事を許してくれてそのあと2年間それを社内で試してみる事を認めてくれていたら。
社員全員の前で報告会を開いて2年間の試行錯誤の様子を発表させてくれていたら。
「君たちが開発した技術の中で他の部署で使えそうなものはないか」とか聞いてくれていたら。
ただ問題は報告会を開くのはそれほど大変ではないがそれ以外の案はどれも手間とお金がかかるという事だ。
もしCEOが人のやりがいというものを甘く見ていたら「私にどうしろというんだ」とか言うだろう。
逆にきちんと理解していればグループの言い分を聞いてくれたかもしれない。
さてこの話は悲しい結末を迎えた。
グループは崩壊し社内で最もクリエーティブな人たちの何人かが辞めていったんだ。
とても悲しい事だ。
やりがいに関する実験の別バージョンも紹介しよう。
被験者にこんな紙を渡す。
そして「隣り合う同じ文字を見つけたら円で囲んで下さい」と伝えた。
「終わったらスタッフに渡して下さい。
また別の紙を渡します」と。
この実験でも報酬は徐々に下がっていき被験者は好きな時点でやめる。
さて1つ目のグループでは被験者に自分の名前を書いてもらった。
そして課題が終わったらスタッフがチェックしてから紙の山に重ねていった。
いわば「認知される」条件としよう。
2つ目のグループでは課題が終わったら同じくスタッフに渡すが自分の名前を記入する必要はない。
またスタッフは紙を積み上げていくだけで中身をチェックする事もない。
いわば「無視される」条件だ。
3つ目のグループではスタッフが紙を受け取ったらすぐさまシュレッダーにかける。
被験者はいつ実験をやめたか。
1つ目のグループでは紙がチェックされるのでごまかすのは難しい。
残りの2つはごまかしがきく。
特に3つ目のグループではどうせシュレッダーにかけられるので「終わりました」とさえ言えば課題を解かなくてもどんどんお金が稼げる。
結果はどうだったか。
このグラフは被験者が作業をやめた時の金額だ。
だから数字が低い方がより多くの紙を処理した事を表す。
1つ目のスタッフに成果を認知されるグループでは被験者は報酬が15セントに下がるまで作業を続けた。
シュレッダーにかけられるグループでは30セントに下がったところでやめた。
ごまかす事もできたが意味がないから作業をはやばやとやめたんだ。
ブロックの実験の時と同じだ。
成果を破壊されればやる気がうせる。
では2つ目の無視されるグループではどうなったと思う?シュレッダーと同じか認知と同じかその間か。
無視されるグループでは紙を破棄される事はない。
でもチェックもされない。
どうなったと思う?予想してほしい。
結果は2つの中間だったがシュレッダーにかけられる条件とほぼ同じだった。
この事から分かるのは人の努力を認知してあげない事はシュレッダーにかけるのと同じくらい悪いという事だ。
人のやる気をとことんそぎたければシュレッダーだ。
無視するだけでもシュレッダーと同じような効果があるんだ。
さてマイナス面の話ばかりしてきた。
どうすればモチベーションが下がるかやりがいがなくなるかという話だ。
もちろん逆の事もできる。
やりがいを生み出す事だってできる。
例を挙げよう。
「卵理論」と呼ばれるものだ。
ずっと昔アメリカにケーキ用の粉「ケーキミックス」が入ってきた頃の話だ。
パンやら何やらがアメリカに持ち込まれたあとケーキミックスが入ってきた。
でもみんな買おうとはしなかった。
なぜか。
メーカーは試食してもらったりさまざまな手を使って売ろうとした。
味も問題なかった。
ではなぜ買ってもらえなかったのか。
メーカーはこんな理由を思いついた。
人は粉に水を注いでかき混ぜオーブンに入れるだけのケーキをお客に出して「ああおいしかった」と言われてもその言葉を素直に受け取る気持ちにはなれないのではないかと。
そこでメーカーはどうしたかというと粉から牛乳と卵を取り除いた。
だから卵を割ってミルクを注ぐ必要が生じたが作れば君のお手製だ。
この「卵理論」で確固たる地位を築いた女性がアメリカにいる。
サンドラ・リーという人だ。
彼女が教えるのはいわば最小限の手間で手作り気分を味わう方法だ。
例えば市販のパスタソースを買ってただ温めるだけではお客に出せないだろう?ではバジルの葉を2枚とコショウを一つまみ入れたら?立派な家庭料理に早変わりだ。
卵理論から分かるのはこんな事だ。
今世間には手間を減らそうとする試みがたくさんある事を考えるとこれは興味深い。
手間が減ったら楽しみも減ってしまう場合があるんだ。
私たちは手間と愛情に関して折り紙を使って実験をする事にした。
被験者たちにツルの折り方の説明書を渡し作ってもらったんだ。
誰が作ったものもこの程度で見本とは似ても似つかない相当ひどい作品が出来上がった。
私たちは被験者に伝えた。
「この作品の所有権は実験を主催した我々にある。
でも君たちに売ってあげてもかまわない。
オークション形式でいこう。
いくらなら買う?」と。
私たちはこんな事を調べたんだ。
作者は自分が折ったものにどのくらいの価値をつけ他人はそれをどう評価するか。
すると作者自身はすばらしい作品だと考えて高値をつけ評価者は「ただのくしゃくしゃの紙だ」と言って1ドルも支払いたがらなかった。
そこで次の疑問がわいた。
折り紙を折った人はこんなふうに考えはしないかと。
「他人から見たらただのくしゃくしゃの紙でもこれは自分が作ったから私は大好きだ。
でも好きなのは私しかいない事も分かっている」と。
そこで被験者に「作った君以外は誰もこれを欲しがらない事を分かっている?」と聞いてみた。
答えは「ノー」だった。
自分の作品はすばらしくて他人もみんなそう思うはずだと思ったんだ。
だからこそ世界中の開発者たちは自分の作品を誰もが高く評価してくれるはずだと思い込むんだ。
実際はそうならない事が多いんだが。
今話した折り紙実験では説明書に折り方が文章と共に載っていたから「簡単バージョン」としよう。
さて「難しいバージョン」も試した。
絵だけがあって文章は省かれている。
被験者が作った作品のクオリティーはどうなったか?もちろん低下した。
難しいからだ。
では作品への評価はどうなったか。
簡単バージョンでは作者は「すばらしい」と思い他人は「大した事ない」と思った。
難しいバージョンでは作者は更に「すばらしい」と思いより高く買い取ってもいいと思った。
そして他人は「あまりにひどい」と思った。
事実ひどい作品だからだ。
(笑い)面白い事に…最も端的な例はもちろん子どもだ。
君たちに子どもがいたとして私が「お子さんをいくらで売ってくれますか?」と聞いたとする。
「お子さんはよい家庭で育てますからご心配なく。
ただしお子さんにまつわるあなたの記憶は全て消去します。
いくらで売りますか?」と。
子どもが生意気なティーンエージャーでもないかぎりこう言うだろう。
「私は子どもを愛しているのでいくらもらっても売りません」と。
次は君たちに子どもがいないとする。
公園に行ったら2人の子どもに出会った。
まるで自分の子どものようで一緒に3時間遊んでさよならを言った。
すると子どもの親が「興味がおありならこの子たちは売り物ですよ」と言う。
君たちならいくら支払う?子どものいる人に同じ質問をしたら「買ったりはしない」と言うだろう。
子育ては困難で手間がかかり説明書だってないからだ。
子どもへの愛情の大半は実は自分への愛情なんだが2つは区別がつけ難いので親は子どもを溺愛するんだ。
さて人が愛着を持つのは形あるものに対してだけではない。
アイデアもそうだ。
「自社開発主義」というのがそれだ。
人は自分たちが開発したものには愛着を持つがよそで生まれたアイデアには関心を持たない。
だから一部の会社では社員の支持を取り付けるため政治的な根回しをやって愛着を持たせてから会議に臨む。
人は自分のアイデアだと思うと愛着を持つからだ。
この事に関連して1つ例を挙げよう。
トーマス・エジソンとニコラ・テスラの話だ。
エジソンは直流送電を発明しテスラは交流送電を発明した。
テスラが交流送電を発明した場所はエジソンが造った研究所だったからエジソンがアイデアの所有者になる事もできたんだがエジソンは交流送電を憎んだ。
テスラを追放し広告会社を雇って交流送電を中傷する事までした。
交流送電が原因で事故が起きる度エジソンはあらゆる雑誌などにその記事が載るよう手を回した。
自分以外の人が思いついたアイデアへの憎しみはそれほど強かったんだ。
エジソンといえば近代の最高の秀才の一人だし我々は彼から大きな恩恵を受けているが彼のエゴと「自分開発主義」とでもいうものはあまりに強かったんだ。
私たちの学界ではそういうのを「歯ブラシ理論」という。
つまり誰もが1つは欲しがるが決して他人のものは欲しがらない。
そうしたさまざまな事を考えていくと仕事に対する見方が変わってくる。
普通報酬を増やせば人々のモチベーションは上がると考えがちだ。
でもモチベーションに影響を与える要素は他にもたくさんある。
やりがい創造挑戦所有アイデンティティプライドなどなど。
もし君たちが経営者で社員の「モチベーションの方程式」を作るとしたら方程式の右側にはどんな要素を持ってくる?お金はモチベーションの源の一つだが他にもいろいろと要素はある。
でもお金がそうした要素のもとになる事もある。
例えば自分の成功の度合いをお金で測る人にとってはお金はアイデンティティやプライドのもとになる。
でもだからといって人はお金だけで報われるんだろうか?人を幸せにする事こそが大事なんだという事を忘れないでほしい。
最後にこんな事を話しておきたい。
仕事とモチベーションに関する哲学的思想は大きく言うと2つある。
まずはアダム・スミスの考えだ。
覚えているか?彼は労働を「分業化」する事で大量生産を可能にする方法を示した。
ピン工場を例にとりこう考えた。
「ピンの製造には十数個の工程がある。
全工程を1人でやったら僅かなピンしか作れないだろうけど十数人を製造ラインに立たせて一工程ずつ分担させればはるかに多くのピンが作れて誰もが満足する」と。
つまり労働を分業化する世界だ。
全員が何かの仕事に特化し歯車となれば生産量は上がると。
これと対極的なのはもちろんカール・マルクスの考えだ。
仕事のやりがいこそが肝心でそれが何に結び付くかが重要なんだと。
2人の思想はまるで違う。
片や生産の方法片や仕事のやりがい。
どちらが正しいと思う?私はこれまではアダム・スミスが正しいとされる傾向があったと思う。
産業革命が成し遂げられたのも仕事を分業化して人それぞれに特定の仕事を割り当ててきたからだ。
でも私はそれは今の知識を基盤とした経済には当てはまらないと思う。
例えば大規模なソフトウエアを作るとして仕事を分業化しても出来上がる製品が何なのかを誰も知らないとしたらやりがいは大幅に低下するだろう。
人生だって同じだ。
他の人が生きがいや充実感を持てるような世界をつくるにはどうするか。
君たちがその答えを見つけ出せれば世界中の人が幸せになれるはずだ。
さて長時間どうもありがとう。
あっちに飲み物を用意しているからもう少し一緒に楽しい夜を過ごそう。
どうもありがとう!
(拍手)2016/01/22(金) 23:00〜23:55
NHKEテレ1大阪
お金と感情と意思決定の白熱教室 楽しい行動経済学の世界6 何のために働くのか[二][字]

人が働くのはお金のためだというのは本当だろうか?例えば報酬の与え方を間違えると人は逆に働かなくなることが分かっている。人々がやりがいを持って働ける世界を考える!

詳細情報
番組内容
人が働くのはお金のためだと思われがちだが本当だろうか? 例えば、報酬の与え方を間違えると、人は逆に働かなくなることが分かっている。実はお金よりもはるかに大切なのが「やりがい」だ。例えば、報酬を与えてブロックでたくさんのロボットを組み立てさせる実験。ロボットが完成するたびにそれを壊して見せると、お金はもらえても人は徒労感にさいなまれ辞めてしまう。人々がやりがいと充実感を持って働ける世界を考える!
出演者
【出演】デューク大学教授…ダン・アリエリー

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
趣味/教育 – その他

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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