読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

あれこれやそれこれ

雑記系ブログのさらなる高みを目指すブログ

ドッジボールは「いじめ」。銃乱射事件にも似てるから??

スポンサーリンク
/ /

bylines.news.yahoo.co.jp

ええ?という方はまず↑この記事から。

確かにドッジボールという球技において「得意な人」と「不得意な人」が出てくるのは間違いないけど、不得意で苦手な人にボールをまっさきにぶつけるのは「いじめ」だからやめよう、というのはさすがにちょっとどうなん。

中井久夫氏は『アリアドネからの糸』(中井久夫著・みすず書房)に収められている「いじめの政治学」のなかで、いじめでないかどうかを見分けるもっとも簡単な基準は、そこに相互性があるかどうかである。としている。

 いじめられてる子がドッジボールがヘタでボールをすぐ当てられるのは「いじめ」。2番めに当てられるならいじめじゃない、とか何その理屈面倒くさい。じゃあいつもいじめられてるけどドッジボールがめちゃくちゃ上手くていつもいじめてるやつをバッタバッタと強いボールを顔面狙いで投げ続けるのはいじめじゃないのか。

当てられて外野に出てもまた相手にぶつけたら復活できるやん。どういう位置取りをすればボールをうまく避けられるか、とかどういうボールのパス回しをすれば相手に勝てるかをみんなで考えたりするやん。弱い奴がいれば最初外野にまわしておいてあとで有利な時に戻すとかもできるやん。

そんなん言うたら「跳び箱を一番最初に飛ぶやつは周りから注目されてるし、失敗したら笑われるかもしれないからいじめ」とか「水泳で泳げない子に対してむりやり壁際でバタ足させるのは教師から子供に対するいじめ」とか「逆上がりができない子供は以下略」とかいくらでもでてくるやん。

弱いものに銃を向けた銃乱射事件にも似ているじゃないか、アメリカでは禁止したところもでてきた、じゃあニッポンも禁止。いやいや・・・。屁理屈に大義名分をかぶせてほしくない。

僕は未成年の時期にある程度のストレス耐性は身につけさせておくべきだと思ってます。お花畑のような学生時代をいくら送れたって社会にでればモンスターのような人間はいくらでもいます。「いろんなタイプの奴がいてストレスになることもある、でもそのストレスをいかに受け止めるか」も子供の頃から少しづつ勉学と一緒に身につけて欲しい。

自分の身に起きる様々な「何かをどう受け止め、行動するか」。今はもちろん強い子だけじゃなくて弱い子もいるし、僕も決して強い子でいたわけじゃない。ストレスで急性胃炎で救急車で運ばれたことだってあるしイライラして八つ当たりするようなこともあったし(いまもあるか)

受け止められない時だって誰にでもあるけど「その何かすら奪ってしまう」教育ってなんなんだろう。純粋培養で育てられた子供にいきなり「さあ受験戦争だ」と周りを全員ライバルのように見立ててキャンキャンするのが子供にとってどうなのか、は考えるべきだと思う。

勝つときもあれば負けるときもある、得意なことも不得意なことも自分にはあって、それをどうやって乗り越えたりかわしたり凹ませたりしながら生きていくのかをいろんな小さい事から考えるのが「子供が学ぶべきこと」だと思うんだがいかがだろうか。

ドッジボールだってその小さい事の一つだと思うんだけど。

f:id:masaki709:20160126125748j:plain