「アンクール(ださい、やぼ)だぜ、ジャパン」
一時ほどではないが、いまでもアメリカには日本ファンが多い。日本の食事はおいしいし、寺院や庭園は美しいし、若者に人気のManga発祥地でもある。
日本政府は、そういう日本の特性を「クールジャパン資源」と呼び、観光に活用して外国人にお金を落としてもらおうとしている。それ自体は素晴らしいアイディアだし、どんどんやってもらいたい。
昨年、8年ぶりに娘と京都を旅行して気付いたのは、隣国アジアからの観光客が増えたことだ。昔なら大型バスでやってくるのは地方からの日本人団体観光客と決まっていたが、聞こえてくるのは中国語が多い。それもそのはず、クールジャパンの報告書では、アジアからの観光客は現在では外国人観光客の79%、つまりほぼ8割を占めるというのだ。
昔は英語だけだったのに、中国語や韓国語の案内での標示も増えていて、クールジャパン対策の結果だとしたら、おおいに評価したい。
しかし、「クールジャパン」には、名前ほど「クール(cool, かっこいい)」ではないことが多い。
先の報告書には、「アニメ聖地巡礼」や「アニメを活用したまちづくり」、原宿文化を「カワイイ文化」として「国内外発信」することがわざわざ活用例としてあげられている。
だが、会議室でこういう案を出す日本人がcoolだと思っていることが、日本通の外国人観光客をかえって「アンクール(ださい、やぼ)だぜ、ジャパン」とイラだたせているのだ。
景観を台なしにするゆるキャラの氾濫
まずは、アニメとカワイイの氾濫について。
姫路城を訪問した私の娘は、隅から隅までじっくり観察し、「興味深い歴史と建築物。来て良かった」と喜んでいた。ところが、駅に向かって歩いているときに、ぬいぐるみの餅のようなものを被っている若い女性をみて「あれ何?」と眉をひそめた。
iPhoneで調べたところ、姫路のゆるキャラ「しろまるひめ」だという。
娘はアニメやマンガの大ファンなのだが、「せっかくの素晴らしい文化遺産なのに、イメージを崩すのはやめてほしい」と憤慨した。「マンガやアニメは、あるべきところ(ジブリ美術館など)にだけあればいい」と。
欧米人観光客からのそういった苦情を、私はこれまで何度も耳にしてきた。
「お寺や城、聖地など歴史を楽しむものは、もっと静かで美しい佇まいを尊重してほしい。アニメや看板があると、それだけで雰囲気が損なわれてしまう」、「昔ながらの自然の景色を楽しむ場所には自動販売機や看板を置かないでほしい。景観が台なし」というものだ。
前回の日本旅行で14歳だった娘が一番気に入ったのは、靄に包まれた早朝の奈良公園だった。なぜかというと、看板など邪魔なものがなく、まるで過去に戻ったかのような静けさを味わえたからだ。子どもだって、そういうものを求めて旅をするものなのだ。それに「しろまるひめ」がいるからといって姫路に来ることを選ぶ外国人はいない。伝統文化や景観に対しては明らかに異物であり、むしろ邪魔なものなのに、なぜムダ金を使うのか?
会議室の中だけで空想の「ガイジン観光客」を「おもてなし」している背広の人には、そういう声はたぶん届いていないだろう。
うんざりするほど罠ばかりのネット購入
次の「アンクール」は、もっと深刻だ。
「となりのトトロ」などのジブリ作品を観て育った22歳の娘は、11月の日本訪問中に「三鷹の森ジブリ美術館」に行きたがっていた。私は猛烈に忙しかったので、「行きたいなら自分でチケット買いなさい」と命じていたのだが、しばらくして「どうやって購入していいのか、ちっともわからない」と助けを求めてきた。
そこで日本語のチケット購入方法を読んでみたところ、海外在住の私にはこの方法では購入が不可能だということがわかった。
オンラインで予約はできるけれど、チケットを購入できるのはローソンだけで、しかも、「予約当日を含む3日以内」にローソンに行って手続きをしなければならない。毎月10日にチケット発売開始なので、日本に行ってからでは売り切れてしまっていて間に合わない。
今度は娘がチェックした英語のチケット購入手続きページに行ったのだが、読む前からうんざりしてしまった。
簡単にまとめると、日本の旅行会社JTBのアメリカ支店のカウンターか、あるいは電話か手紙でリクエストして郵送で購入するという方法だ。しかし、私が住むボストンには支店がないし、たかがチケットを購入するためにパスポートのような身分証明書まで提出させられるという。
私はこれまで50か国以上を旅しているし、訪問前に予約がとりにくいレストランとメールを交わして席を確保するという体験も何度もしている。娘もイギリス留学中に友人とふたりでヨーロッパを旅したときに海外のホテルや美術館すべてを自分で予約した。このように海外旅行や予約に慣れている私たちですら、ジブリ美術館のチケット予約には頭を抱えたのだ。日本在住の知り合いがチケットを購入してくれたので助かったが、そういう知り合いがいないアメリカ人のアニメファンが苦労するのは間違いない。
コンサートのチケット購入も大難関だ。
日本滞在中にどうしても行きたいコンサートがあり、公演場所に電話をしたら「チケット購入サイトでしか売っていませんから、そちらでお願いします」と言われ、そのサイトに行った。公演日を選んで購入プロセスを始めたところ、日本の住所しか入れられない。海外在住者のことは念頭にないのだ。仕方なく実家の住所を使うと、次の難関は電話番号だ。私の携帯はアメリカの電話番号なのだが、その数字を入れるとエラーになる。仕方なくホテルの番号を入れ、ようやく最後の支払いに到達した。AmexでもVisaでもいいということでAmexカードを使ったところ、「このカードでは購入できません」というメッセージが出て、拒否されてしまった。
そこで最初から手続きをやりなおし、今度はヨーロッパや中南米ですでに何度か使っているトラベル用のVisaカードを使った。
しかし、これも「このカードでは購入できません」というメッセージではねつけられた。
「どこか間違ったかもしれない」と思い、何度もトライしたが同じ結果だ。ネットで調べたところ、たとえ国際ブランドのAmexやVisaでも、日本で発行されたカードでないと使えないことが多いらしい。
チケット購入のために1時間以上ムダにした私は、心身ともに疲弊し、コンサートに行くのをすっかり諦めた。
でも、日本に関するこういった現象は、ジブリ美術館やコンサートに限ったことではない。
Japan Rail Passのサイトの説明文は、弁護士が書いた契約書と見間違えるほどの長文で、まるで購入希望者が読むのに疲れて諦めてくれるのを望んでいるのではないかと勘ぐるほどだ。
これらのサイトを見ていると、インターネットが誕生したばかりの1990年代に戻った気分になる。あの頃は、航空券を買うのも、チケットの手配も、すべて旅行会社まかせだったから、ジブリ美術館のチケットがJTBでしか買えなくても問題なかった。
でも、インターネットがこれだけ発達し、欧米からの個人旅行者が増えている現代でもこのやり方を続けていると、ほかの国から観光旅行者を奪われてしまうだろう。
カナダの観光カンファレンスに集まった観光のプロたちに日本のサイトを見せて感想を聞いたところ、一様に「I don’t understand!(わけがわからん)」とあきれていた。
「英語圏からの観光客に来てほしくないのかね?」
「でも、それならなぜわざわざサイトに英語の説明まで作ったのか?」
かえってそんな質問をされてしまった。
娘が憤慨していたのもそこだ。
「三鷹の森ジブリ美術館」の英語のサイトでは、ジブリや美術館がいかに素晴らしいのかが延々と語られている。
「このサイトに来るときから、もう私たちファンは行きたいと思っているのだから、そこをくどく語る必要はない。それよりもチケットの購入を簡単にしてほしい。ほかの国の美術館は、クレジットカードとワンクリックなんだから」
娘が言うように、現代のアメリカ人はチケットやホテルの予約はほぼネットで済ませる。とくにマンガが好きなアメリカの若者層を呼び寄せるつもりなら、彼らの購買スタイルにあわせ、ネットで簡単に購入できる方法を適用したほうがいい。
アンクールではもったいない
どこの国にも理解不能な地方ルールはあるし、「いくつもの難関を乗り越えて来る人だけが、わが店のサービスを受ける権利がある」という高慢な態度がかえって客を呼び寄せる店もある。
そして、「三鷹の森ジブリ美術館」は日本人でも少し面倒な特殊な例だという意見も聞いた。
でも、外国人観光客には、「日本人も困っているのだから我慢するべき」という言い訳は通じない。「おいで」と誘われたのに、その相手に目の前で門を閉められてしまったような印象を受ける。
これに限らず、日本が文化を広めながら、海外観光客からきちんとお金を得るには、自分が海外に行った観光客の視点で眺めてみるといい。言語がよくわからない異国を訪問するときには、「行きたい場所に簡単に行けて、やりたいことが容易にできて、ほしいものがすぐに買える」のが一番ありがたいのではないか。
日本人は、外国人向けの市場になると、とたんにマーケティングで悩んでしまうような気がする。
マーケティングとは、「自分が売りたい商品を押し付ける」ことではない。「自分にとって大切なカスタマーが困っている問題を解決し、必要としているものをみつけやすくし、楽にしてあげる」というのが現代のマーケティングの考え方だ。
カスタマーがすでに買いたいものがせっかくあるのに、なかなか買わせてくれない日本は、旅行者にとってまことに「アンクール」で、もったいないとしかいいようがない。