ProEver, Inc.のCEO古屋征紀氏
2014年は、正月から憂鬱な気分だった。それまで数年にわたって一緒に製品開発を行ってきた同僚のエンジニアが、年末休暇中に「会社を辞める」とメールしてきたからだ。
この話の主人公である古屋征紀氏は当時、プロジェクトマネジメント支援を軸とした各種のPMO(プロジェクト・マネジメント・オフィス)ソリューションを提供するマネジメントソリューションズで、とあるツール開発のプロダクトマネジャーを務めていた。務めると言っても、チーム再編やメンバーの入れ替わりといった紆余曲折があり、長く開発を担当していた古屋氏がチームをリードする立場となったのだった。
2007年に同社の合弁会社へアルバイト入社して以来、テスターやエンジニアとしての現場経験しかなかった古屋氏に、そこからプロダクトとチームを立て直すのに必要な知恵は備わっていなかった。
だが、最後の1人となり途方に暮れていた彼の人生はここから激変する。
新たなプロダクト開発を託されてシリコンバレーに足を運ぶようになり、2014年の秋には現地で出会ったエンジニアと共に機械学習を用いたナレッジベースシステム『ProEver』のプロトタイプ開発に着手。約1年後の2015年11月に無事β版をローンチし、マネジメントソリューションズの100%子会社となるProEver, Inc.のCEOに就任した。
「この1年間で、僕の価値観は天動説から地動説になるくらい変わった」と話す古屋氏は、シリコンバレーで何を学んだのか、詳細を聞いた。
「開発者を辞めよう」と思っていた時期に掛けられた一言
元テスターだった古屋氏が、シリコンバレーに行くことになったいきさつは?
その前に、彼の経歴をざっと振り返ろう。
「そもそも僕は、プログラミングに触れるようになった時期が遅かったんです。社会人になるまでは、ド文系の人間でした」
大学院では哲学を学んでいた。在学中に日本でブロードバンドが普及し始め、ITやインターネットに強い関心を持つようになったものの、学歴上IT業界への就職は縁遠いと感じていたという。
そこで知人伝いでIT系の仕事を探したところ、まだ創業間もなかったマネジメントソリューションズを紹介され、関連会社のアルバイトから始めることに。最初はテスターをやりながらソフトウエアのイロハを覚え、徐々に受託開発、自社製品の開発へと活動の場を移していく。
冒頭に記した転機が訪れたのは、マネジメントソリューションズが開発・運営していたプロジェクト管理ツールの開発時だ。プロジェクトマネジメントをITの側面からも支援しようと、JIRAやRedmineのようなツールを開発していたが、大きく普及するには至らず。追い討ちをかけるように、開発メンバーも減っていった。
このままだと、会社にいる価値のない人間になってしまう。いっそ、開発者を辞めて社内の情報システム部員にでもなろうか……。そう考えた古屋氏は、プロダクトの今後と自身の去就について社長の高橋信也氏に相談する。すると、意外な答えが返ってきた。
「高橋はその時、米国法人の立ち上げでカリフォルニアのサンマテオに移住していたんですね。それもあってか、『一度失敗したくらいで何をクヨクヨしているんだ』、『ITにおける世界の最先端はもっと競争が熾烈だぞ』と。要は、エンジニアとしてマインドセットを変えろと叱られたのです」
この一件をきっかけに、シリコンバレーへの道が開かれることになる。
「1時間もムダにできない」と足を運んだセミナーで、後の盟友と出会う
ベイエリアに出張していた時期のオフショット
高橋氏の言う「世界の最先端」を肌身で体感するために、その後の古屋氏は出張ベースでたびたびベイエリア(サンフランシスコ市内~シリコンバレー一帯のIT企業集積地)を訪ねることになる。
会社から「事業開発担当」という肩書きを与えられ、ある時は高橋氏の家に住み込みで、ある時は2~3カ月ホテル住まいをしながら、ひたすら見聞を広めていった。
エンジニアとして何も作らず、社費で出張を続けることに後ろめたさを感じ、高橋氏に詫びたこともある。しかしその時も、「投資というのは失敗しても恨みっこなしだから投資なんだ」、「だから、現状を詫びるより『何を生み出すか』にフォーカスしろ」と檄を飛ばされた。
「あのころは英語もままならない状態でしたが、1時間もムダにしちゃダメだと思い、現地の大小さまざまなセミナーやミートアップに通いまくっていました」
この行動が、後に『ProEver』を共同で開発することになる台湾出身のエンジニアJay Hsueh氏との出会いを生んだ。
当時のHsueh氏は、世界的な半導体サプライヤーであるNXPセミコンダクターズで働きつつ、機械学習に精通する起業家として複数の社外プロジェクトにも携わっていた。
「彼とは、Facebookの人が登壇するUI/UX関連のセミナーで出会いました。偶然隣の席に座っていたJayに話しかけられたんです。その後何度か会ううちに、彼が機械学習エンジンの開発をしていると知り、何か一緒にやれるかもしれないと感じました」
Jay Hsueh氏(写真右)と出会ったころに撮った一枚
Hsueh氏との交流は、古屋氏にある種の自信をもたらすことにもなった。それまでメディアや書籍でしか触れることのなかった機械学習を、目の前にいる人が「普通に」駆使してプロダクト開発をしているという事実。
これが、先端テクノロジーを自分事としてとらえるきっかけになった。
「Jayと会ったセミナー然り、比較的小さなミートアップだったとしても、日本にいると雲の上の存在と感じるような会社の人たちが普通にやって来て、会話することができる。シリコンバレーに行って一番変わったのは、まさにこういう環境で得られる自信でした。フィギュアスケートで誰かがトリプルアクセルに成功すると、その後に他の選手も飛べるようになるじゃないですか? あれと似た感覚かもしれません」
Done is better than perfect.
こうして得た知見と、高橋氏やHsueh氏との度重なるブレインストーミングの結果生まれたのが、『ProEver』の構想だ。
このサービスは、プロジェクトマネジメントで直面する課題に対する事例やその解決策をCGMとして収集し、機械学習を搭載した独自エンジンがユーザーの状況に合わせてレコメンドするというもの。ユーザーが自身の職歴や現在手掛ける案件でのポジションを登録した後、サイトに「質問」を入力するだけで、最適な解決法が記された投稿をマッチングして表示してくれる。
いわば、プロジェクトマネジメントに関する集合知を機械学習エンジンが“メンター”代わりになって提示し、人それぞれに異なる課題を解消するサービスといえる。各種PMOソリューションを提供しているマネジメントソリューションズの事業とも、シナジー効果が見込めるものだ。
まだβ版ながら、すでにテスト導入する企業からいくつかの要望が寄せられており、徐々に手応えを感じているという。古屋氏は今後、それらの声を踏まえて新機能を開発し、正式版のリリースを予定している。
シリコンバレーでは、Hsueh氏と2人でホテルに缶詰状態になってコーディングしていた時期も
「プロトタイプの開発中はインドの会社へオフショアをしていた時期もありました。でも、こういう前例のないサービスづくりでは、要件も朝令暮改で変わっていきます。なので、途中からは僕とJayの2人で開発をしてきました」
そのHsueh氏は、ProEver, Inc.の共同創業者兼取締役として、近日来日することになっている。強力な仲間を得て、日本のみならず英語圏での普及も見据えて開発とマーケティングに注力していく。
「マーク・ザッカーバーグの有名な言葉の一つに“Done is better than perfect.(完璧を目指すよりも、まずは終わらせろ)”というものがありますが、新規プロダクトの開発で大切なのは、まさにこれだと実感しています。今は、分からなかったことが分かるようになるのが楽しい時期。CEOとしてもまだまだ未熟ですが、常に学びながら『ProEver』を育てていきたいと思っています」
取材・文・撮影/伊藤健吾(編集部)