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Parablog - 俺が叫びたがってるんだ。

もしも今、心が叫び出したなら。新しい人生を紡ぎ出すための、たった3億個の大切なことを贈りたい。

やりたいことをやって生きていこうとする、すべての人を応援したい。

考えを伝えたい 生き方の話

次の社会へ。

こんにちは、パラベル(@parabell_life)です。

やりたいことをやって生きていけるとしたら、それはもう最高だ。

何しろ「やりたいこと」なわけだから、そんな生き方ができれば、文句はなしだ。

大半は否定される。

やりたいことをやって生きていく、と語れば、反応の大半は否定的なものになる。

やれ現実を見ろだとか、楽して生きていけると思うなとか、そんなのは一握りの才能に恵まれた人間だけだとか…理解者に恵まれていないと、否定の言葉で潰されて終わる。

それは純粋な善意から単なる妬みまで、口にする人によって、さまざまだ。

中には、かつてそんな生き方に挑戦しての、夢破れたがゆえの言葉もあると思う。

やってみなければわからないだとか、その手の話はまた別の機会に取っておくとして、やりたいことをやって生きていくのは、はたして楽な生き方のうちに入るのか。

その点には大いに異論があるから、伝えたい。これからの生き方を決める誰かにとって、この記事がその心の向かう先を決める手助けになったとしたら、とても嬉しく思う。

それは全然、楽じゃない。

結論から言って、やりたいことをやって生きていくのは、まったく楽じゃない。むしろきつい。もし日々に不満をこぼす勤め人としての生活を続けているなら、それはよほどのブラック企業でもない限り、楽な人生だ。何でも人や会社、社会のせいにできる。

好き好んで始めた生き方なら、それで結果が付いてこないとなれば、やりたくないことで結果が出ないよりも苦しい。誰のせいにもできず、言い訳もできない。やりたいことをやっている以上は、生活が成り立たないとなれば、そのすべてを自分で背負うしかない。

時につまづいたり、悩んだり、失敗することだって、きっとある。

次々と襲いかかる課題、問題、現実に苛まれて、心休まる暇もないかもしれない。

失敗に終わってしまえば、肩身も狭い。失敗からの再起に対して過度に厳しい現代社会にあっては「善意の忠告」で圧殺されてしまうのも、やむを得ないのかもしれない。

それでもやりたいことをやって生きることを望むなら、人生の願いをかけるなら、それが本当にやりたいことなのかどうかを、やろうとしていることを見つめてみるといい。

楽じゃないことは、苦とは別物。

俺は別にやりたいことを生業にして生きているわけじゃないし、大体からして会社員のまま生きていきたいとは思っていない。それでも、この話に触れる断片くらいはある。

少しベクトルは違うけど、会社で「それはおかしいだろ、俺が変えてやる!」と思って取り組んだことなら、多大な労力を払って消耗したとしても、苦とは感じない。

このブログにとてつもない時間と労力を注いで、毎日睡眠不足でも苦にならない。

それはやっぱり、自分がそうしたいと望んで行動に移したことだからだと思うし、どうしても変えたいと望んで行動したことに結果が付いてくれば、そこには満足感がある。

本心がやりたいと叫んでいないことだと、やっぱりそうはいかない。

伝わるかどうかはわからないけど、楽じゃないということは、苦とは別のものだ。

やりたいことをやって生きていくのは、決して楽なことじゃない。でも、それはイコールで苦だということにはならない。だから、そこを見つめてみれば、自分がやろうとしていることが本当にやりたいことなのかどうかが、おぼろげでも見えてくるはずだ。

絶対に一生楽にならないと考えて、それでもやりたいと思うなら、それは本物だ。

その道を選ぶ、すべての人を応援したい。

やりたいことをやって生きていくには、それなりの準備期間が必要になる。

行動は素早く、すぐにでも起こした方がいいし、結果は焦らないで待つ方がいい。

何でも結果が出るには時間がかかるし、安定するにはもっとかかる。結果を急くと消耗してしまって続かない。人事を尽くして天命を待つとは、まったくもってその通りだ。

そのやりたいことで生きていけるだけの力を持てるようになるまで、やりたくないことで食いつなぐこともあるだろうし、時には両立できなくなることもあるかもしれない。

いつまで努力を続ければ結果が付いてくるのか、先の見えない生活が嫌になる日が来るかもしれないし、挫折しそうになることだってあると思う。やりたいことだったはずのそれが、いつしか嫌悪や憎悪の対象になってしまうことも、絶対にないとは言い切れない。

何もかもがどうでもよくなる、そんな瞬間が訪れることもあるだろう。

だから、人間社会で生きる戦友とでもいうべき誰かに、これからの生き方を決めようとしている誰かに、そして、既に新しい生き方への一歩を踏み出している誰かにも、人生で幾度となく挫折を繰り返してしまった俺から、エールを贈りたい。

その生き方の果てに得られるものは、その過程から結果に至るまでのすべてを凝縮した、この上ない満足になるはずだ。それだけは、やりたくないことだらけの人生では決して得ることができない、貴重なものになる。成功にしろ、失敗にしろ、それはきっとある。

少なくとも、やらずに終わった人生の後悔に苛まれることだけはない。

俺がやろうとしていることは、小さくて、リスクも少ない、どちらかといえば消極的なことだ。だからこそ、これからの人生を新しい何かで紡ぎ出そうとする姿が、眩しい。

その眩しさをもっと見ていたいし、その眩しさが誰かを照らすことに期待したい。

そんな人が、自分のやりたいことで生きていける人が、増えてほしい。

やりたいことをやって生きていける、それが当たり前になるような時代や社会が訪れるとしたら、それは今まさに挑戦している人たちが織り成してこそ、実現できるものだ。

だから、俺はその織り手を応援していきたい。

やりたいことをやって生きていこうとするすべての人を、俺は応援したい。

そして、俺もその織り手になれるように、細々とでも続けていきたい。

あ!どれだけやりたいことでも、人を不幸にする前提のことはやっちゃダメだぞ!

指切りげんまんな!

それでは、また次の記事で!