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熊本愛華のひとりごと

意思を持った人を増やす社会創りがしたい

捉え方次第で、景色は変わる。ある女性との出会いが母との絆を深くし、わたしに母親になる勇気をも与えてくれた。

あかちゃんをかかえるおかあさんの負担を減らしたい。

新年早々混み合う新幹線の自由席。1歳児をかかえつつ3歳児の手をにぎり立っている女性と出会った。あ、名古屋駅から乗車してきたよね、ということは最短でも2時間は立たなくちゃいけないよね。そう想ったときにはすでに体が動いていて席を譲っていた。

目の前で困っている人に対してどのようなお力添えができるだろう。

彼女を横目に、小柄な母が10kgのわたしをかかえてくれていたことを想像し胸が熱くなった。「まま、育ててくれてありがとう」と新幹線を降りてから母に電話で伝えると、母が本当に喜んでくれて。「年末年始に伝えてくれた、愛ちゃんのどんな優しい言葉よりも自信に繋がったよ。ままこそありがとうねぇ」とのことで、また胸が熱くなった。

さて、これまでのわたしならどう捉えていただろうか。

赤子を2人連れた状態でなぜ指定席を取らないのか、と脳内で非難し席を譲りもしなかっただろう。せっかく父がホームまで見送りに来てくれて行列を一緒に並んでくれたのに申し訳ないもんなんて、行動しないための言い訳ばかりを無意識に探してさ。自分がどうしたいかだけが大切なのにね。

どんな相手にでも「お疲れさま」と優しく見守れる人でありたいね。

大なり小なり、人には人の理由があり、一番反省しているのは本人だ。なにも知らないだれかが非難できる権利はない。聞けば、ご主人の転勤で、数ヶ月前に芦屋を離れ東京に住みはじめたとのこと。その上、ご主人が仕事で急遽先に東京へ戻ることになり、奥方がひとりでこどもを連れて帰ることになったようだ。非難するのではなく、慣れない環境で余裕なかったよね、お疲れさまと優しく見守れる人でありたいね。

自分と異なった相手を理解しようと想えるか。

自分とは異なった人物を理解しようと努め、自分事化し行動にうつしてはじめて、相手に対して関与できる。無関係にもかかわらずとやかく言う人が多すぎる。ただ、それ自体が悪いわけではないなと。経験していないことはだれしもわからないのだ、未経験分野においてはあかちゃんと同様くらいの無知だと捉えた方がよいなと。ということで、そもそもの考え方を芽生えさせる環境創りも含め、大きな枠組から機会や機能を社会に提供していきたい。最後に。期待的観測ではあるが、今回の経験を通して彼女は変わっていくだろう。子どものために指定席を取るなど、事前準備のやり方を見直して。