小さい頃から、勉強もスポーツも出来ず、特別何かに秀でていた訳でも無く、更には転校を繰り返していた為、その度に、既に出来上がっているコミュニティの輪の中に取り入ってもらう為に、「変な奴」を演じたり、「学級委員」に成る事で先生から可愛がってもらったりする事で、何とかしてその場に適応しようと必死に取り繕っていました。
中学校に上がった頃からは、たまたま親に塾に入れられて勉強をする様になり、そしたら皆から褒めてもらえる様になり、ようやく自分は「勉強」と言う軸を持ってしてこの世に存在しても良いと思える様になりました。
但し、塾で勉強を続けていくうちに、偏差値などを通じて周囲と比較されるうちに自分の事を「勉強」しか出来ないクズと認識する様になり、受験を通じて「負け」を知る様にもなり、再び自分に対する自尊心(self-esteem)も地に堕ちてゆき、高校生の頃には自分の事を「勉強」すら出来ないクズと認識する様になりました。
そこから更に紆余曲折を経て、今の大学(ICU)に入学する事になったのですが、そこでも感じたのが、「俺、人間としてまるでダメじゃん……」と言う失望でした。
「リベラルアーツをやる!」と決心してICUに来た僕ですが、そこでも待って居たのは、やはり「勉強」以外に何も自分に軸を持っていなく、実際には何の意欲も沸かないのに欠乏感だけで必死に動き回り続ける”生き急ぎの死にたがり”でした。
その後、今に至るまでに色んな出会いや活動を通じて、更には自分でも長年気付いていなかった内心上の根深い問題とも正面から向き合い、闘った事で、少しは自分に対する歪んだ認識も徐々に本来ある底力のある形に修正されて来たのですが、それでも日々の生活の中でふと、『自分は生きていても良いのだろうか?』『何かをしなくてはいけないのではないか?』と自分に問いかけてしまう事があるのです。
さて、そういう時に、僕が自分にどういう返答をしているのかというと、それは、
「お前は何もしてなくても良いし、何をしても良い」
といったものです。
一言一句、この通りの事を言っている訳では無いのですが、共通してあるのは、「何もしなくても良い」と言う点です。
僕たち現代人は、下手をしたら産まれた時から『何かをする事』を強要され続けながら生きているかもしれません。
特に、高学歴の人ほど、学校に通う様になってからは、常に『勉強しなければ』というプレッシャーに長年晒され続けるあまり、正常に物事を判断できなくなる人が多いです。
これは、大人が想像する以上に深刻な話ですし、これが理由で後になって自殺する人も山ほどいます。
……………………ああ、よそう。こんな話がしたい訳では無いんだ。
すみません。今日はちょっと頭が混乱していて冷静な文章が書けませんね。
支離滅裂ですが、もうまとめる事にします。
大切なのは、「何もしない」事を、自分に許す事です。
休みたきゃ休めばいいし、サボりたければサボれ良い。
大勢の人に迷惑を掛けても構わないし、何なら責任を放棄しても構わない。
寧ろ、そういう構えでいる事で、自然と「やってみよう」という気持ちも湧いてくるのです。
何だか、本当に絶不調ですね。文章にキレが無い……
ええい、止む無し!
今回はここまでにします。
まぁいいや。今日上手く描けなくても、また改めて書いても良いのだし。
それ位のテキトーさも大事ですね。
ではでは、今回は、この辺にて。
バイバ〜イ♪
↑本日のICU
質問・感想などがある方は、コメント欄かこちらのメールアドレスまで気軽にお問い合わせ下さい(^人^)
tsubasaikoma8@gmail.com
Twitterアカウント:@Tomo_Haneda03