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「多宗教世界におけるキリスト者の証し:信仰の実践のための提言」全訳

2014年9月5日20時38分 印刷
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以下は、世界教会協議会(WCC)、ローマ教皇庁諸宗教対話評議会(PCID)、世界福音同盟(WEA)によって、2011年に出された「多宗教世界におけるキリスト者の証し:信仰の実践のための提言(Christian Witness in a Multi-Religious World: Recommendations for Conduct)」の本紙による日本語訳(非公式)。英語原文はこちら

多宗教世界におけるキリスト者の証し:信仰の実践のための提言

2011年6月28日
世界教会協議会
教皇庁諸宗教対話評議会
世界福音同盟

前文

宣教は教会の存在そのものに関わるものである。神の御言葉を宣べ伝えることと、世界へ証しすることは、どのキリスト者にとっても欠かすことができない。同時に、全ての人間に対する十分な尊重と愛をもってそれを福音の原則に従って行うことが必要である。

宗教的信条の異なる人々や、社会同士の緊張やキリスト者の証しに関するさまざまな解釈を意識し、教皇庁諸宗教対話評議会(PCID)、世界教会協議会(WCC)、そしてWCCの招きによって、世界福音同盟(WEA)は、この文書が世界中でのキリスト者の証しの実践のための提言としての役目を果たすべく、考察をし、この文書を生み出すために5年間にわたって会合を行った。この文書は宣教に関する神学的声明文であることを意図したものではなく、多宗教世界におけるキリスト者の証しについて実践的な諸問題に取り組むことを意図したものである。

この文書の目的は、教会や教会協議会、および宣教組織が、現在における自らの実践について省察するとともに、さまざまな諸宗教の人たちの間や、特定の宗教を信仰していない人たちの間における自らの証しと宣教のための各自の指針を作成するために、この文書にある提言を用いるよう促すことである。世界中のキリスト者が、言葉と行いの両方において、キリストへの信仰を証しする自らの実践に照らし合わせて、この文書を学ぶことが望ましい。

キリスト者の証しのための基礎

  1. キリスト者にとって、自らの中にある希望を弁明し、穏やかに、敬意をもってそうすることは、特権であり喜びである(ペトロ一3:15)。
  2. イエス・キリストが最高の証人である(ヨハネ18:37)。キリスト者の証しは常に彼の証しを分かち合うことであり、それは、たとえ与えるというその行為が十字架へとつながるとしても、御国を宣べ伝えること、隣人への奉仕、自らの賜物全てという形を取る。御父が御子を聖霊の力においてお遣わしになったのとちょうど同じように、信者たちもまた三位一体の神の愛を言葉と行いにおいて証しするという使命のうちに遣わされるのである。
  3. イエス・キリストや初期教会の模範と教えを、キリスト者の宣教の手引きとしなければならない。2000年間、キリスト者は神の国の福音を分かち合うことによってキリストの道に従おうとしてきた(ルカ4:16〜20)。
  4. 多元的世界におけるキリスト者の証しには、宗教や文化の異なる人々との対話に関わることが含まれる(使徒17:22〜28)。
  5. ある文脈においては、福音を生きて宣べ伝えることは難しかったり、妨げられたり、あるいは禁じられることさえあるが、それでもなおキリスト者は、キリストを自ら証しすることにおいてお互いへの連帯を忠実に続けるよう、キリストによって委ねられている(マタイ28:19〜20、マルコ16:14〜18、ルカ24:44〜48、ヨハネ20:21、使徒1:8)。
  6. もしキリスト者が詐欺や強制的手段に依拠することによって不適切な方法で宣教を実践しているのであれば、彼らは福音を裏切っており、他者に苦しみを与えているかもしれないのである。そのような背反には悔い改めが必要であり、私たちが神の絶え間なき恵みを必要としていることを思い起こさせてくれるのである(ローマ3:23)。
  7. キリスト者は、キリストを証しすることが自らの責任である一方で、改宗が究極的には聖霊の働きであるということを是認する(ヨハネ16:7〜9、使徒10:44〜47)。キリスト者は、どの人間にも統制できない形で聖霊が思いのままに吹くことを認めるのである(ヨハネ3:8)。

原則

キリスト者は、とりわけ諸宗教間の文脈の中において、キリストからの委託を適切な形で遂行しようとするにあたって、次の原則を支持するよう招かれている。

  1. 神の愛のうちに行動すること。キリスト者は、神があらゆる愛の源であり、従って、自らの証しにおいて愛の生活を生き、自らと同じように自らの隣人を愛するよう招かれている(マタイ22:34〜40、ヨハネ14:15)。
  2. イエス・キリストに倣うこと。生活のあらゆる側面において、そしてとりわけ自らの証しにおいて、キリスト者はイエス・キリストの模範と教えに従い、彼の愛を分かち合い、聖霊の力のうちに父なる神に栄光と誉れを与えるよう招かれている(ヨハネ20:21〜23)。
  3. キリスト者の美徳。キリスト者は誠実さ、寛容、憐れみ、そして謙虚さをもって身を処するよう、そしてあらゆる傲慢や見下し、そして軽蔑に打ち勝つよう招かれている(ガラテヤ5:22)。
  4. 奉仕と正義の行い。キリスト者は正義をもって行動し、慈しみをもって愛するよう招かれている(ミカ6:8)。彼らは他者に仕え、そうすることにおいて、自らの姉妹兄弟の中で最も小さき者の中にキリストを思い出すようさらに招かれている(マタイ25:45)。教育や保健、救援活動、正義の行いや提言活動といった奉仕の行いは、福音の証しになくてはならない部分である。貧困や欠乏の状況を利用することは、キリスト者の奉仕活動において存在する余地はない。キリスト者は、自らの奉仕の行いにおいては、金銭的な動機付けや報酬を含めた、あらゆる形の誘惑をもたらすことを非難し控えるべきである。
  5. 癒しの奉仕活動における思慮分別。福音を自ら証しすることの中になくてはならない部分として、キリスト者は癒しの奉仕活動を行う。彼らはこれらの奉仕活動を実施するにあたって、思慮分別を働かせて、人間の尊厳を十分に尊重し、人々の脆弱性や彼らの癒しの必要性が利用されることがないことを確実にするよう招かれている。
  6. 暴力の拒否。キリスト者は、自らの証しにおける権力の乱用を含め、あらゆる形の暴力、心理的ないし社会的なものでさえ、拒否するよう招かれている。彼らはまた、礼拝の場所や聖なる象徴ないし聖典の冒涜ないし破壊を含め、いかなる宗教的ないし世俗的権威による暴力や不当な差別ないし抑圧を拒否する。
  7. 信教や信仰の自由。自らの宗教を公に信仰し、実践し、広め、そして変える権利を含む信教の自由は、神にかたどり似せて全ての人間が創られたことに根ざした、人の人格の尊厳そのものから流れ出てきているものである(創世記1:26)。従って、全ての人間は平等な権利と責任を持つ。宗教が政治目的のための道具にされたり、あるいは宗教的迫害が起きているところでは、キリスト者はそのような行為を非難する預言者的な証しに携わるよう招かれている。
  8. お互いの尊重と連帯。キリスト者は全ての人々とお互いの尊重のうちに共に働く責務を負い、共に正義や平和そして共通の善を促進するよう招かれている。諸宗教間の協力はそのような責務の不可欠な次元である。
  9. 全ての人々を尊重すること。キリスト者は、福音が文化に課題をもたらすとともにそれを豊かにすると認識している。キリスト者は全ての人々を尊重するよう招かれているのである。キリスト者はまた、自らの文化の中に、福音によって課題を投げ掛けられている要素を見つけるよう招かれてもいるのである。
  10. 偽証を捨てること。キリスト者は真摯かつ謹んで語らなければならない。キリスト者は他者の信仰や実践を学ぶために耳を傾けなければならないし、またそれらの中で真理かつ善であることを認め正当に評価するよう奨励される。いかなる意見や批判的な方法もお互いを尊重するという精神のうちになされるべきであり、他の宗教に関する偽証をしないよう確実にすることである。
  11. 個人的な見極めを保証すること。キリスト者は、人が宗教を変えるということが、個人の自由を完全に保証する過程を通じて、十分な省察と準備のための充分な時間を伴わなければならない決定的な一歩であることを認めなければならない。
  12. 諸宗教間の関係を築くこと。キリスト者は、より深い相互理解や和解および共通の善のための協力を助けるために、宗教が異なる人々に対する尊敬と信頼の関係を築き続けるべきである。

提言

世界教会協議会とローマ教皇庁のPCIDによって世界福音同盟との恊働のうちに企画された第3回協議会は、最も大きなキリスト教の信仰の群れ(カトリック、正教、プロテスタント、福音派、ペンテコステ派)からの参加をもって、教会や全国的および地域的な信仰告白による団体や宣教団体、そしてとりわけ諸宗教間の文脈の中で活動している人たちに考えてもらおうと、この文書を作成するためにエキュメニカルな協力の精神のうちに行動し、これらの団体に次のことを提言する。

  1. この文書に提示された諸問題を研究し、適宜、自らの特定の文脈に適用できる、キリスト者の証しに関する実践のための指針をまとめること。可能なところではこれはエキュメニカルに、そして他の宗教の代表者たちと協議して行われるべきである。
  2. 教会と他の宗教社会との間において、特に組織的な次元で、全ての宗教の人々に対する尊敬と信頼の関係を築き、現在行われている諸宗教間の対話にキリスト者としての自らの責務の一部として関わること。何年にもわたる緊張や対立が社会同士やその間に根深い疑いや信頼関係の破れを生んできたある文脈においては、諸宗教間の対話は対立を解決し、正義を回復し、記憶を癒し、和解や平和構築をするための新しい機会をもたらしうる。
  3. 異なる諸宗教についての自らの知識や理解を深めつつ、自らの宗教的アイデンティティと信仰を強め、そしてそれらの諸宗教の信者の視点も考慮に入れつつ、そうするようキリスト者に促すこと。キリスト者は宗教の異なる人々の信仰や実践を誤って伝えるのを避けるべきである。
  4. 他の宗教共同体と協力して、正義や共通の善に向けた諸宗教間の提言活動に関わり、可能なところでは、紛争の状況にある人々と連帯して共に立つこと。
  5. 多くの国々で宗教団体や宗教者が自らの宣教を行うのを妨げられていることを認識しつつ、確実に信教の自由が適切かつ包括的に尊重されるよう、自国の政府に要求すること。
  6. 祈りが私たちの存在証明と行いに、またキリストのミッションにとっても、なくてはならないことを認識しつつ、自らの隣人とその安寧のために祈ること。

付録:この文書の背景

  1. 今日の世界においては、キリスト者同士やキリスト者と異なる宗教の信者の恊働が増えている。ローマ教皇庁諸宗教間対話評議会(PCID)と世界教会協議会の諸宗教間対話と協力プログラム(WCC−IRDC)はそのような恊働の歴史をもつ。PCIDとWCC−IRDCが過去において恊働したテーマの例としては、宗教間の結婚(1994年〜1997年)、宗教間の祈り(1997年〜1998年)、そしてアフリカの宗教性(2000年〜2004年)がある。この文書は彼らが共に活動してきた成果である。
  2. 今日の世界では、暴力や人命の損失を含む宗教間の緊張が増大している。政治や経済およびその他の要素がこれらの緊張における一端を担っている。キリスト者もまた時折、自発的にであれ非自発的にであれ、迫害されている人たちとして、あるいは暴力に加わっている人たちとして、これらの紛争に関わっていることがある。これに応えて、PCIDとWCC−IRDCは、キリスト者の証しに関する実践のための共有された提言を生み出すことに向かって、共同の過程において関連する諸問題に取り組むことを決めた。WCC−IRDCはこの過程に参加してもらおうと世界福音同盟(WEA)を招いたところ、彼らは喜んでそうしたのである。
  3. 当初は2つの協議会が開かれた。1つ目は、イタリアのラリアーノで2006年5月に「現実を評価する」と題して、さまざまな諸宗教の代表者たちが改宗の問題に関する自らの見解や体験を分かち合った。この協議会から出された声明文の一部にはこう書かれている。「私たちは、誰もが他者を自らの信仰についての理解へと招く権利を持っている一方で、それが他者の権利や宗教的感受性を侵害することによって行われるべきではないということを是認する。信教の自由は、自ら以外の諸信仰を尊重し、私たちの信仰の優位性を肯定するという目的のために決して彼らを中傷したり、けなしたり、誤って伝えてはならないという、等しく譲れない責任を、われわれ皆に命じるものである。
  4. 2つ目は、あるキリスト者同士の協議会が、2007年8月にフランスのトゥールーズで開かれ、これらの同じ諸問題について考察した。家族と共同体、他者の尊重、経済、市場と競争、そして暴力と政治が徹底的に議論された。これらの話題をめぐる司牧、牧会および宣教に関する諸問題がこの文書で展開された神学的省察や原則の背景となった。それぞれの問題はそれ自体が重要であり、これらの提言の中で払われている注意をより多く払うに値する。
  5. この第3回(キリスト者同士の)協議会の参加者たちは、2011年1月25日から28日までタイのバンコクで会合し、この文書を完成させた。

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