(2016年1月19日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
1月10日に他界したデビッド・ボウイ〔 AFPBB News 〕
筆者は先週、デビッド・ボウイの訃報に接し、遠い昔にしばらく思いをはせた後、楽観的な気持ちになった。戦争、テロ、相場の暴落といったニュースで新聞が埋め尽くされているこの時期にボウイの曲を聴き、日々の見出しを読んでやたらに慌てる必要はないと思い直した。政治や経済のニュースがどこかに消えてしまった後も、音楽や芸術はずっと残り続けるからだ。
ボウイの最高傑作は、政治的な状況が悪い時代に生み出された。アルバム「ジギー・スターダスト」(1972年)から「ヒーローズ」(1977年)までの5年間、英国はひどい時期に入っていた。
テロ、中東戦争、原油価格、(ウガンダからの)難民、「欧州にとどまる」か否かを問う国民投票など、今日の我々にも不思議となじみのある諸問題に直面していたのだ。
物事をまじめにとらえる、それこそ新聞にコラムを書くような人たちは、そういう問題に頭を悩ませていた。それに比べれば、異性の服を着てロンドンのハマースミス・オデオン*1の舞台に立つロックスターが作る歌など、どうでもいいと思われていたに違いない。
しかし、今振り返ってみて、当時の英国にあったもののうち、本当の意味で生き残っているのは何だろうか。
1970年代の英国
ボウイの全盛期は英国のエドワード・ヒース首相の在任期間と重なる部分が大きいが、ヒース元首相の押し殺したような声は、今ではとても遠い昔のもののように聞こえる。当時の政治的議論を丹念に調べるのも、今日では歴史家だけだ。これに対し、ボウイのジギー・スターダストはまだ毎日、世界中でオーディオ機器から流れてくる。そのサウンドは今なお新鮮で、耳にすれば心が躍る。
ボウイの音楽が生き続けている一方で、当時の政治のニュースはもはや気にもされていないという事実には、ほっとする。ほとんどの人にとって、大抵の場合、政治や経済のニュースは無視しても差し支えないということを思い出させてくれるからだ。
平時に人の一生を形作るのは、公的な出来事ではなく個人的な出来事である。そして多くの人は、友人や特定の場所、出来事などに関連した音楽や歌を思い出のBGMにしている。今日の西側諸国で活躍する政界や実業界のリーダーのほとんどは、個人的な思い出のサウンドトラックにボウイの楽曲を結構多く採り入れていると見て間違いあるまい。
*1=現在の名称はハマースミス・アポロ
大半の政治家やジャーナリストより優れた能力
ボウイの訃報を聞いてこみ上げてくる感情的な反応は、芸術と政治との、そして私的な生活と公的な生活との相対的な重要性についての考えだけではなかった。ボウイの音楽は、単なる現実逃避を超えたものだった。彼は正規の資格をほとんど取らずに学校を出たが、現代の世界を形作る潮流を見分けるその能力は、1970年代のほとんどの政治家やジャーナリストよりも優れていた。
英国の政治家たちは労使関係、国際収支、英国は落ち目だという大方の見方などへの心配で頭がいっぱいだったが、ボウイの音楽は、普通の人々の生活を本当の意味で変えつつあった社会的・技術的な潮流を反映していた。
「チェンジス」などの楽曲は、政治・経済の沈んだ雰囲気ではなく、個人的なチャンスを手にしたという感覚や解放感をテーマにしていた。
セクシュアリティが変わりうることやジェンダーについての考えは、ステージでの両性具有的なペルソナにて表現され、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)の権利をめぐる今日の議論を予感させた。ボウイは同性愛者権利運動にはあまりエネルギーを投じなかったが、もっとパワフルなことをやってのけた。自分自身の人生を生き、かつそれを楽しく華やかなものに見せたことで、社会を反映するとともに社会を変えてみせたのだ。
それとは対照的に、当時の政治は1950年代にどっぷり浸かっていた。ヒース首相は同性愛者だとうわさするときに「水兵ヒース」とか「どうしても結婚しそうにない男」といった遠回しな表現を使うにとどまっていた。
音楽からテクノロジー、金融まで
ボウイの音楽には、科学技術には世界を作り替える潜在力があるという直観的な理解もあふれていた。「スペイス・オディティ」や「スターマン」といった楽曲には、1969年に月面着陸が実現してから地球上での人生が大きく変化したように感じられたことが反映されていた。
その30年後には、ボウイはインターネットがもたらしうる根本的な変革を最初に理解したアーティストの1人になり、1998年には自らのオンライン・ミュージック・サービスを立ち上げた。
英国放送協会(BBC)からやって来た懐疑的なインタビュアーには、インターネットは聞き手とアーティストの間の壁をぶち壊すだろうと話し、「ユーザーと提供者との相互作用により、メディアとは何かという私たちの考え方は木っ端みじんにされるだろう・・・心の躍るような、そしてとても恐ろしい何かが始まるんだ」と述べていた。
ボウイは金融においても革新的な人物だった。ロックスターとしては初めて、将来受け取るロイヤルティー(著作権使用料)を裏付けとする債券を発行し、証券化という分野のパイオニアになった(ただ、何でも完璧にこなす人はこの世にいない)。彼は、将来やって来るパワフルなトレンドを見極めてそれに乗るコツをつかんでいた。その能力は音楽や情報技術、セクシュアル・アイデンティティに加えて金融でも発揮されたのだ。
ボウイの人生は第2次大戦後の英国の発展と重なる。1947年生まれの彼は緊縮財政の時代に育った。と言っても、当時の緊縮財政は公的セクターの給与の支払い凍結ではなく、食糧の配給を意味していた。
成人した1960年代には階級や文化の壁が崩れ、ビートルズやローリング・ストーンズのアルバムが制作された。そして1970年代にはボウイ自身が、ポピュラー音楽と文化を刺激的で新しい方向に引っ張り込んだ。
政治ではなく個人的なことにもっぱら目を向けたその活動や作品を見たり聴いたりしていると、1970年代の英国における憂鬱なニュースや見出しは一時的なものでさほど重要ではないように思われた。ある意味で、本当にそれらは重要ではなかった。
ダボス会議は暗いムードになりそうだが・・・
筆者はそんなことを考えながら今週、スイスのダボスで開かれる世界経済フォーラム(ダボス会議)に足を運ぶ。強大な権力を持つ人々が数多く集まるだろうが、その雰囲気は中東、中国、ウォール街、アイオワ州などで起きた出来事の影響で暗いものになるだろう。
ひょっとしたら、政治や経済の話には耳をふさぎ、代わりに音楽を聴いていた方が有益かもしれない。悪い知らせが消えてしまった後も優れた芸術は生き残るということを、とにかく忘れないようにするために。
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