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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

エゴグラムを「本性」って思うのは大間違いやで。

汎適

 
性格診断を受けて当たるって思うのは大間違いやで。 - うつ病だけど女子力上げよう
 
 リンク先の記事は、心理検査のエゴグラムについてのものだ。曰く、他のブロガーが心理検査について「当たっている」と言っていたことに対してモヤモヤして書いたらしい。
 
 ところが精神科医の私が読むと、むしろこちらの記事にモヤモヤしてしまう。しかもはてなブックマークを見ると、「腑に落ちた」「へ~知らなかった~~~~~」といったコメントが並んでいたので、おいおい大丈夫か? と心配になってきたので、精神科医が書くことではない気がするけれども書いてみる。
 
 

エゴグラムは「本性」を見抜くタイプの検査ではない

 
 リンク先の筆者は、エゴグラムの結果について「あまり言い当てられると凹むでな。」と言っていたブロガーに、
 

あはは。いつも仲良くさせていただいているからあえて言わせてもらいます。
凹め。それがあなたの本性である。

 と書いている。デジタル大辞泉によると、本性(ほんしょう)とは、
 

 本性(ほんしょう)
《古くは「ほんじょう」とも》本来もっている性質。生まれながらの性質。ほんせい。「―をあらわす」
本心。また、正気。「酔って―を失う」

 とある。
 
 しかし、臨床ベースでエゴグラムを用いる人間の一人としては、エゴグラムという検査から本性というボキャブラリーは想像できない。むしろ、本性という言葉からいちばん遠い部類の心理検査ではないかと思えてしまう。
 
 たとえば私のエゴグラムのパターンは、二十代の頃と三十代後半の頃ではおおきく形が変わっている。仕事に行き詰っていた頃のエゴグラムのパターンは、いかにも葛藤の大きそうなかたちをしていた。私は数年ごとにエゴグラムをやっていて、過去のエゴグラムと比較してあれこれ考えるのが好きだ。一度一度のエゴグラムのパターン以上に、エゴグラムの変化のさまが私の社会適応や精神状態を反映しているようにみえて、他の心理検査では得られにくい情報と感じるのだ。
 
 こうした事は精神科や心療内科の患者さんにも当てはまる。初診から間もない患者さんのエゴグラムが、数か月後・数年後には大きく変わっているのはよくあることだ。エゴグラムの変化の軌跡を追いながら、治療期間を経て何が変わったのか・何が変わっていないのかを語り合うのは、有意義なことだと思う。とりわけ認知行動療法をはじめとする心理療法的アプローチが重要なウエイトを占める患者さんの場合、エゴグラムは、心理状態や処世術の変化を話し合う良い材料を提供してくれる。
 
 そんなわけで、エゴグラムという心理検査の結果はコロコロ変わる。変わることを踏まえるなら「本性」という言葉は似つかわしくない。エゴグラムは本性とは別物な何かを捉えていて、臨床場面では、むしろエゴグラムが変化するよう期待することが多い。
 
 

エゴグラムの使い方は「交流分析」にあるのでは

 
 なぜエゴグラムの結果はコロコロ変わるのか?
 
 エゴグラムがつくられた背景・目的・方法が、本性を探り当てるのとは違っているからだと思う。
 
 そもそもエゴグラムは交流分析のツールだ。交流分析とは、クライアントとカウンセラーが話し合いながら心理療法を行うもので、エゴグラムは直近のクライアントの心理状態を把握し、話し合う一材料として用いられる。私が交流分析の本を読んだのは研修医時代なので、もしかしたら間違っているかもしれないが、確か、交流分析のテキストブックにも心理療法のbefore-afterでエゴグラムのかたちがどう変化したのかが例示されていたはずだ。
 
 また、エゴグラムで把握されるのは直近の心理状態であって、なかなか変化しない性格傾向や本性のたぐいではない。性格傾向や本性に相当するもの、特に個人精神病理に相当するような特徴を抽出する検査といえば、ロールシャッハテストやバウムテストが第一に連想され、記述式の心理検査のなかではSCTやMMPIのほうがまだ近い。このへんを大雑把に表に並べてみると、
 

↑こんな感じになる。
 
 表には認知機能検査や特定の疾患親和性を抽出するための検査は含めていない。だが、エゴグラムが心理検査のなかでどこらへんに位置づけられるのかは示せていると思う。
 
 エゴグラムによって捉えられる心理状態とは、意識の表層に近く、状況や境遇や処世術によって変わりやすい領域だ。心理療法に反応しやすい領域でもある。だからカウンセラーがクライアントの状態変化を逐一把握する手段としては有用だと思う。
 
 しかし、意識にのぼって来ない心理的特徴や個人精神病理といった、まだしも本性に近い領域を精査するにはエゴグラムは不適と言わざるを得ない。心理療法では変化しにくい特徴を把握し、それでもって心理療法の適用の幅を決定する際には、他の心理検査を適用したほうが無難だろう。
 
 

エゴグラムの結果は変わっていくぐらいが良い

 
 まとめると、エゴグラムは
 
 交流分析のツールとして便利な、意識の表層に近い現在の心理状態を把握する検査
 
 といった位置づけになるだろうか。 
 
 だから私は、エゴグラムという言葉と本性という言葉が手を繋いでいることにモヤモヤしてしまったのだろう。リンク先の筆者は心理畑の人らしいが、それにしては、こうしたエゴグラムの位置づけを踏まえた文意が感じられなかった。もしかしたら、こういう事は臨床方面に足を踏み入れなければ教わらないことなのかもしれないが……*1
 
 エゴグラムの結果は、本性と言うにはあまりにもコロコロ変わる。心理療法を受けていない人でも、人生の選択やエイジングによってエゴグラムのパターンは少しずつ変わっていく。私見では、それを数年に一度程度振り返ってみることには、単なる「診断ごっこ」以上の値打ちがあると思う。
 
 昨今は、インターネット上でエゴグラムを無料で試し、一喜一憂する人が増えている。それはいいとして、エゴグラムの結果を「本性」と位置づけるのではなく、今現在の心理状態として捉えていただきたいと思う。そして自分のエゴグラムに問題が見つかったからといって、それを訂正不能な欠点とみなすのでなく、長い人生のなかで軌道修正していくべき課題とみなしていって欲しい。
 

*1:それとも、私の知らないところで臨床心理系の教育状況が激変している、なんて事があったりするのでしょうか?もしあったら教えてプリーズ>心理畑のみなさん

シロクマ(熊代亨)の著書