犬が死んだ。
犬がいなくなればいいと言っていた私に、罰を与えるかのように
本当に、犬が死んだ。
犬が死んだらどうしようといつも考えていた。
考えておかないとそうなった時どうしていいか解らないだろうから。
そして、いつも考えていたのに実際に犬が死んだらどうしていいのか解らなかった。
私は犬が死んだ時の事を、すぐに忘れてしまうだろう。
もう既にいくつかの記憶が曖昧になっている。
忘れる事で、自分を守ろうとしているのだと思う。
だから、記録のためにここに書いておく。
犬の事を忘れてしまいたくないから。
Lを我が家に連れて来たのは、2006年6月。
時々消耗品を買いに行っていたペットショップが明日で閉店、在庫一掃をしていると知った私達は買い物に出かけた。
フードやシーツだけでなくガーデニング関連も扱っていたので、安ければたくさん鉢花を買おうと思っていた。
そのショップには春頃からパピヨンの牡と牝が売られていた。どちらも可愛い顔立ちをした兄妹で、牝の方は早々に売れてしまった。
残った牡犬を買いませんかと行く度に言われ、夫はその気になりかけたが、先住犬との相性を見ようとして近づけたら牡がすぐに咬みついてきた。
驚いた先住犬は店の外に飛び出して逃げ、店員に捕獲されなければ車に轢かれるところだった。
こんな凶暴な犬などいらないと私はずっと反対をした。
でもショップに行く度に、勝手にLという名前を付けたこの牡犬が売れたかどうかの確認をするようになっていた。
閉店の前日、どうかLはもういませんようにと祈る気持ちで見に行くと、Lはまだいて私は落胆した。
Lはフリーになった広い店内を、落ち着きなくビュンビュンと走り回っていた。
店にはLの他に犬が5、6匹と猫が10匹位残っている。
何組もの家族が、どれを飼おうかと検討していた。
大人しくしていればいいものを。あんなガチャガチャした犬、誰も飼おうとは思わないだろう。
もう帰ろうと言っても、夫はLを連れて帰ろうよと言う。
玩具が欲しいと言って聞かない幼児と同じである。
何時間そこにいたか解らない。牝の甲斐犬が売れ、残っているのはLと、猫が数匹だけになった。
驚いた事に「お金はいくらでもいいので、どうか連れて帰って下さい」と頭を下げられた。
「いくらでもいいって…もしうちが連れて帰らなければ、この犬はどうなってしまうのですか?」
こう聞くと、店長らしき人は黙っていた。そして
「親会社に突然閉店と言われて、従業員も明日から自分達がどうなるのか全く解らないのです」
と答えた。
だから犬の行き先など知る由も無いという意味か、それとも言えないような行き先だという意味なのか、私には解りかねた。
「3万円とかでもいいのなら…」
と言うと
「いいですいいです。良かったな〜L。あ〜本当に良かった」
こうしてLは我が家の犬になり、それから9年半、あっという間に月日が流れた。
本当に、あっという間だった。
夫はおっとりして静かな牝の先住犬よりも、ガチャガチャした牡のLの方が犬らしくていいと可愛がった。
「男同士ふたり旅だ」
と言って突然キャンプに出かけたり、ドッグスポーツに参加したりした。
でもその後に牝の捨て犬を保護してからはそちらばかりを可愛がり、捨て犬も夫にだけベッタリとよく懐いた。
夫に放っておかれたLは、いつの間にか私の担当になっていた。
Lは家でも外でも喧嘩ばかりして、私はドッグランでいつでも謝って回らければならなかった。
ドッグカフェに行けば誰も騒がない店内に、Lが入っただけで騒然となった。
犬のいる楽しくて素敵な暮らしとは、どんどん遠ざかっていく感じがした。
ダメな犬と後ろ指をさされているようでオフ会にも行けなくなった。
けれども、Lは朝から晩まで私にベッタリのマザコン犬で、私もLが可愛いと思うようになった。
あんなに連れて帰るのが嫌だったのに。
連れて帰った事を後悔ばかりしていたのに。
祖母が、ヤクザだった末っ子を一番溺愛していたように
私も猛犬で手に負えないおバカなLが可愛くて可愛くて仕方の無い、バカ飼い主になっていた。